08 : 疑心






ちょっと、ヒトカゲ!待ちなよ!

・・・


僕は馬鹿なトカゲを追うために足を速めた。
彼の不安は理解できないが、なんとなく、理由はわかった。
体中にある傷から見て過去に何があったかくらいは容易に想像がつく。

僕らポケモンは人語を話せはしないけれど、理解はできる。
テレビにうつるニュースキャスターが"ポケモン保護法"に違反した人間について話しているのも何度も聞いた。
ジュンサーという、世界を取り締まる人間がいくらいたところで悪は減らないのだと研究所の人間が話していた。

彼らは僕の生活を見たり、害のない研究をしていたから法に違反はしていないんだろう。
むしろ僕らの生態を調べることによってバランスの良いフードを作ることができるって言っていた。
僕はまだ生まれてそれほど月日は経っていないし、気がついたら研究所にいたからどんな人間がいるかなんて想像できない。

ただ、ヒトカゲは、違うんだろうな。


ついてくんなよ、エロ草。アイツに何かあったらどうするんだよ…

君が戻らないと、僕だって手ぶらじゃ帰れないよ。
 君に何があってどういった過去を持ってるかなんて知らないし、興味ない…けどさ、ヒトカゲはヒスイのこと信じてるんでしょ?



じゃあ、なんで迷う必要があるのさ。僕がそう言えば彼は口を固く閉じた。
ヒトカゲ自身だって多分良い意味で迷っているんだと思う。
ただ、たったの一歩が踏み出せないんだ。

でも、ずるいと思う。

だって彼は僕より彼女と長くいて、僕より強くて、信頼されてる。
だから迷えるんだよ、僕が迷えばきっと、彼女は僕を手放すだろうから。
だけど君が迷っても彼女はヒトカゲを待ち続ける。

比べたくないのに、理解してしまう僕とヒトカゲの差。


迷ってるぐらいなら、僕、ヒスイのこと独り占めするね

…好きにしろよ


できるわけないのに、僕は宣戦布告して。
認めてないくせに、彼は了承した。

でもね、僕だって馬鹿じゃないんだから、たった数日の差くらい埋めてしまえるんだよ。
僕も君もポケモンで、ハンデだってある。
いつか彼女は僕らポケモンを手放してしまうかもしれないし、それどころか、どこか遠い世界に戻ってしまうかもしれない。

ああ、苛々してきた。


ねぇバカトカゲ、いい気にならないでよ。
 どうせお前になんかできるかよって思ってるんだろうけれど、君は僕を甘く見すぎてる。
 本当に、僕は・・・


「きゃああっ!」


ヒスイの声がして僕は振り返った。それはヒトカゲも一緒だった。
はぐれたのか、明るい場所にいるはずのないズバットがヒスイのまわりをぐるぐると回ってる。

僕は咄嗟に葉っぱカッターをだして走った。
ズバットには当たらなかったけれど、相当弱ってるみたいだった。
これなら相性は悪いけどマジカルリーフ仕留めて…


「ま、まって!チコリータくん!」


その声に力を一瞬、抑えてしまう。
襲われてたヒスイは床に散らばった図鑑を取り出してズバットにあてた。
それから口を少しだけ、動かした。


「チコリータくん、ツルを出して捕らえて!」

わかった!


しゅるしゅるといとも容易くツルに捕まったズバットは抵抗も小さかった。
ヒスイは帽子を取ってズバットに太陽光があたらないようにした。


「相当弱ってるみたい…小さいし、太陽浴びすぎたのかな」

さぁ…もう抵抗しないみたいだからツル外すね


気をつけて、と僕が言ってもあまり聞いてなさそうにズバットを抱えて大きな木の下に入った。
荷物をがさがさと漁りだしたヒスイに、傷薬?と聞く。
彼女は首を僅かに横に振った。


「傷がないから、たぶん、あれは外傷用だと思う・・・。
 ズバットに効くのは、あった!これこれ」


そう彼女が取り出したのは、刃がしまえるタイプのナイフ。
一体何をするんだろうと嫌な予感がしたのも束の間、彼女は戸惑いもなく切った。

自分の、腕を。

「待っててね」と笑いながら自分の腕から血を絞るように腕を掴む。
ぽたり、ぽたりとズバットの口に注がれる赤い液体を見ながら僕は言葉が出なかった。

躊躇すら、しなかった。
額に滲む汗は紛れもなく痛みからきているものだというのに、それでも尚も自分の血を提供し続ける彼女。
あれぐらい深ければ、痕が残るのに。


もう…大丈夫だと、思う

「でも気を失ってるし、ポケモンセンターに連れて行くべきかな…
 あ、ヒトカゲくん、どうしよう…」


ぼたぼたと落ちる血に気にせず彼の心配をする。
優しくて、愚か過ぎる。こんなんじゃいつかボロボロになってしまうだろうに。
ツルを出して傷口上部を軽く締めて止血すると、「あ」と思い出したように傷を見た。


「そうだ、まず止血しないとだめだったよね。ありがとう、チコリータくん」

…どういたしまして。ズバット、君、大丈夫?


ヒスイの傷口から血がでなくなったのを確認して、僕はズバットの頭をぺしぺしと叩いた。
目がないから起きたかどうかわからなかったけれど、血だらけの口をもごもごと動かした。


あの、私…ごめんなさい。血を分けていただいてしまって…

「あ、気にしないでください。あたしが好きでやったことなので」


でも夜までは日陰にいてくださいね、とヒスイが笑うと、ズバットは耳を少し下げた。
襲う気はなかったんです、とズバットは木の上に飛んで実を採ってきた。
何の実だかわからないものをヒスイに渡す。


この木はオレンの実をつけます。人間でも滋養強壮に使えるそうなので、あの、はやく血が止まってほしいです

「もう止血もしたしあて布もしたからすぐに止まると思います!
 でもこれはありがたく受け取っておきますね」


にこり、とヒスイが笑うとズバットは安心したように何度も頭を下げた。
でも中々離れず、困ったように僕を見る。

あの、と控えめに、でも引き下がれない事情があるようにズバットは続けた。


私、暗闇の洞穴からきたんです。でも迷っちゃって…
 もしよければ、案内してもらえませんか?


「うーん」


ヒスイはポケギアを出してマップと睨めっこをした後、肩に止まるズバットに「キキョウシティの通り道みたいですから、大丈夫ですよ」と微笑んだ。
どこまでお人よしなんだろう、彼女は…。

帽子の中に入るように言ってヒスイはそれを被った。
窮屈だろうがこれなら太陽光を浴びない、と言っていた。
頭皮かじらないようにだけは言ってたみたいだけど。(…)


「ヒトカゲくん、戻ってこないよね」


まるで独り言のようにそう言って立ち上がった彼女は、ヒトカゲの去った方を少しだけ見て歩き出した。
待たないんだ・・・僕は、嬉しいような、苦しいような複雑な気分を味わった。
彼がいないなら、都合がいいはずなのに。

暫く無言で歩いていたら、風を切るような、ヒュンという音がして咄嗟に葉っぱカッターを音のほうに向けて放つ。
石がふたつに割れて、その先には隻眼のヒトカゲが苛々と石を上に向けて投げては掴み、を繰り返していた。

ヒスイは目を丸くしてたし、僕自身、どう反応していいかわからなかった。
複雑な気持ちは変わらないし、でもどこか喜んでる僕の心を憎みたくなった。

あ、と声を発して口を閉じるヒスイにヒトカゲはゆっくりと寄ってくる。
置いていくなよ』と苛々したようにヒスイを見上げた。


ひとつ、条件がある。


ヒトカゲの言う言葉をしっかり聞こうとヒスイが屈めば、彼はヒスイの腕を掴んで見上げた。
何を言ったのか僕には聞こえなかったけれど、ヒスイはほんの少し、頬を赤らめていた。

・・・なんだか、すごく苛々する。


どうしたんだよ、チコリータ。行くぞ?

…ッ別に!


そのニヤニヤした顔を向けるのは、悪戯が成功したような、僕を小馬鹿にするような、見下すような表情で。
やっぱりあの時追いかけなければ良かったとほんの少し、僕は後悔した。



09/10/14



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