20 : Cycling







そういえば。

サイクリングロードでの受付でふと我に帰る。

そういえば。

レンタルする自転車をどれにするか聞かれて。

そういえば。

…………あたし、自転車乗れません!!






「いま、なんて」

「だから、その、あたし自転車に乗れないんです……」

「練習しなかったの」


ズケズケとレッドさんから尋問を受けて、メンタルがほどほどに崩れていく。
っていうかレッドさん、幼少期に練習したんですか。想像できないんですけれど。

あたしは家柄的に自転車に乗る生活は想像もしていなかった。
大学に自転車で通う人を見ているから、極々普通に乗れるものだと思ってたけれど、よく考えたらあんな細い車輪ふたつでバランスをとりながら足を動かすって、めちゃくちゃだよね。
重力どこいった。
あたしからしたら自転車に乗れる人はみんなサーカスに出られるとおもうよ。

そんなわけで用意してもらった三輪車……ではなく。

ふたりで乗るタイプの自転車。少し電気を使うこともできるけれど、それほど速度がでるわけじゃないらしい。
橙華とピカチュウくんには内側と外側からわずかな電力を送ってもらうことであたしの情けなく引けた足腰の分まで動かしてくれることになった。

海の上に敷かれたサイクリングロードは、本当はものすごく海が見られて綺麗なんだとおもう。
潮風に髪が拐われるような、そんなシーンは想像できる。でも今のあたしはなるべくハンドルを固く握りしめて、俯いてバランスがおかしくないか、漕ぐ足のリズムは合っているか、慎重に動かすだけで精一杯だった。

ときおりレッドさんがあたしに対して「少し左にいく」だとか、いわゆる車線変更のような言葉を投げかけてからゆっくり車線を変えていくことはあったけれど、なんとか転ばずにいられたのはレッドさんとふたりの電気ポケモンのおかげ。
本日のキャンプ地についたとき、どっと疲れてしまって、足腰が役に立たないものになっているのが自覚できた。

このあまりの不甲斐なさを哀れんでか、バトルは一切申し込まれなかった。
さすがに目も合わせないどころか常に俯き必死に漕いでいる人間には話しかけづらいのだろうな。そんなことを眠る前に考える。
だからといってスタイルは変えられないんだけど。





いつもよりはやめの就寝から目を覚まして、ようやく朝日を反射した海をゆっくり眺めることができた。
潮風が頬を撫でるのも、気持ちがいい。

昨日はこんな余裕なんてなかったな、なんて考えてしまうあたしは、たぶん、ううん絶対、今日も同じことを繰り返すのだとおもう。
海をのぞむ塀にぐってりともたれかかった。あーあ、こんなにいい景色なのに。

ため息ばかりのあたしにしびれをきらしたのか、左腕をつつかれる。どうしたの、橙華、と顔をあげれば見覚えのある、何か。
“水のカタマリ”が何かのかたちを作っている。その”水のカタマリ”がことりとあたしの隣に何かをおいた。


「……綺麗」


大きな貝殻の破片だけれど、オーロラのような模様が朝日を反射して輝いている。
しばらくそうしていたあたしを、水のカタマリのような何かは観察していたようだったけれど慌てて逃げ出そうと海に駆け出そうとした。

あ、待って。ヤマブキシティのときもあたしを慰めるように花を届けてくれたナニカにお礼を言いたくて身を乗り出す。
水のカタマリは海へと落ちる途中にぱしゃり、とただの水に変わってしまったけれどあたしは違う。
重力に従って体が落ちていくだけ。まってまって、今は誰も助けてくれな━━……


ぴたり。

体が、落ちる寸前でとまった。
意識が朦朧として、でもどこかで覚えている、この感覚。

どこで、だったっけ……

そんなぼんやりした意識がだんだん現実に戻ると同時にぴったりと熱が張り付くのを感じて、自由になった体で振り返った。

振り返ったなんていうのは語弊があるかもしれない。しっかりと背後から羽交い締めとばかりにレッドさんがあたしをロックしていたから。
首だけレッドさんを見上げると「自殺してる暇、ないでしょ」と鋭い眼光で睨みつけられてしまった。


「す、すみません……不注意でした」

「だと思ってた。朝ごはん、作る」


一瞬、ぎゅっと抱き寄せられたかと思ったら、ぱっと離される。
ビックリしちゃった。

そういえばレッドさんと一緒にいて、落ちたことがあったなぁ……あのときはシルバーくんのユンゲラーが助けてくれたんだった。
今日はレッドさんが間に合ってくれて助かった、なんて息をついて胸に手を当てた。

かしゃり、と手の中に何かがある。そうだ、あの不思議なポケモン……!

手の中のオーロラを見て海を覗き込む、けれど、誰もいなくて。
今度は痛いくらいに肩を掴まれて耳元に低い声がずっしりと重く響く。


「二度目は許さない」

「ごっ、ごめんなさい!!」


レッドさんの重いお叱りのあと、朝食を摂ることになったのでした。




珍しくポケモン図鑑と睨めっこをしているあたしの背後に、レッドさんが回り込んでくるのを視界の端で捉えた。
橙華はピカチュウくんと遊んでいる。朝食の片付けは座っていることを条件に、レッドさんが済ませてくれていた。伸びをするために立ち上がろうとしたらものすごく睨まれたのは、さっきの水のカタマリ、謎ポケモンのせいだけれど……なんだろう、どこか安心する気がした。
監視なんかじゃなくて、どちらかというと見守られている。そんなかんじ。

かしゃりと貝殻を入れたポケットを布上から指でなぞった。

でも調べているのは別のこと。目下の問題、……いやいや自転車じゃなくて、その先にあるジム戦のこと。
セキチクジムは毒タイプのポケモンを使うアンズさんがいる。

あたし的には翠霞も十分毒タイプに近いとおもうけど(いろんな意味で)(なんて言ったら拗ねちゃうかも)、草タイプの翠霞は出せない。

とくに毒タイプっていうと、結構色んな複合タイプがある。


「ジム戦の下調べ?」

「あ、レッドさん。はい、あたしの手持ちにエスパータイプはいない……ので」


たぶん。そう心の中で付け加えた。

実際橙華ことロトムや、真紅ことルカリオについては図鑑に載っていない。だからこうだと確証は得られない。
本人曰くとなってしまうけれど「本人からタイプを聞きました」とは言えないので、歯切れの悪い返答になってしまった。


「でも、毒タイプって結構そのままって感じのポケモンは少ないんですね」

「……というと?」

「ベトベターやドガースなんかは実にそのまんま毒タイプってイメージが浮かぶんですけれど、ホラ、見てください」


と、彼に図鑑を差し出す。リストには毒タイプを持つポケモンがずらりと並んでいる。


「個人的にはマタドガスやベトベトンが厄介ですが、ここ、虫タイプだったり飛行タイプだったり、複合タイプの種類が多いんです。
 それに、アンズさんが使ってくるポケモンにベトベトンはいない可能性が高いんですよ、最悪マタドガス、それなら凌ぎ切れるかなって」

「なんで手持ちがわかるの」

「それは……偉大な先人の知恵っていうか」


ググったというか。そう続けるとじっとりとした視線があたしに向けられる。
いいじゃないですか、とあたしが鼻をならすと、それ以上のお咎めはなかった。


「勝つためにはなんだってします。誰かを傷つけないなら。
 さて、リサーチは終了です。皿洗い、ありがとうございました」


立ち上がって図鑑をしまおうとして、はたと、思い返した。
エスパータイプのポケモンか、水タイプのポケモンか。水のカタマリを思い返して、容姿を見られるようにリスト化して検索する。

……やっぱり。
そんなポケモンは存在しないか、図鑑に登録されていないかのどちらかだ。
念のためゴーストポケモンとしても検索をかけたけれど引っかからず。

でもあの感じは、シルバーくんのユンゲラーに助けてもらった時と同じで。
少なくともエスパー技にも長けているポケモン、と考えてもいいとおもう。

きっとあたしに何かあって、それでついてきている。
サイクリングロードにはいないポケモンということは海、つまり水にも強いと思ったのだけど……これ以上はわからないか。

きっと、姿を見せないのは人が多いからだろうな。

よし。立ち上がって、パシンと気合の一発を込めて頬を両手で叩いた。
とりあえずジム戦、……の前に、恐怖の自転車でセキチクシティを目指そう!



2020.09.13





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