08 揺蕩う
ー土曜日、11時に駅で待ち合わせ。デートだからちゃんとお洒落をしてくること。出来ればミニのワンピースで!
そんな連絡を貰ったから、しっかりワンピースを着てみた。ただ、おそ松さんの期待していたミニのワンピースではないけど。ボルドーの落ち着いた清楚なワンピース。髪もゆるくコテで巻いて、優しい色味の口紅を塗った。
「名前ちゃん!」
待ち合わせ場所に着き、ぼんやり待っていると背後から手が伸びて目を塞がれた。
「さて、私は誰でしょう?」
「おそ松さんでしょ。」
「大正解!」
視界が開かれ、目に飛び込んだのはにっこり笑うおそ松さん。私と目が会うなり、急に黙り込む。
「へ?どうしたの?」
「あ、いやー…うん、あの」
「何でしょうか?」
「今日、なんか雰囲気違うね。」
「うん。お洒落をしてくること…って言い付けを守ってみたよ。」
「…っ!名前ちゃん、すっげえかわいい!!」
私が目を丸くすると、おそ松さんは顔が真っ赤になり、「何言ってんの俺…」と、セルフツッコミ。なんか、変なの。私が目を伏せると、おそ松さんは続けた。
「あのさ、今から電車で移動するから、ついて来て。」
「うん。」
「あっ、なんなら手繋ぐ?」
「えっと、何番線のホームに行けば良いのかな?」
「………2番線です。」
すたすた歩き出す私に、おそ松さんが小走りで後を追って来た。どこへ向かうのだろう?電車に乗り、乗り換えをする駅で下車し、さらにまたしばらく電車に乗って、目的地の駅に着いた。駅から二人で歩いて、10分ー大きな建物と、目の前には海が広がる。
「水族館だ…」
「そう。俺、水族館とか行ってみたかったんだよね〜。釣り堀で釣りをたまにするし。」
「魚釣りかぁ。一度やってみたいかも。」
水族館に到着し、私達は入場券を買った。おそ松さんはイルカで、私はアザラシの入場券。一人ひとり、入場券の絵柄が違うようだ。奥に進むと、水槽の中で海の魚たちが私達を出迎えた。
「わ〜!綺麗!」
水族館なんて、何年ぶりだろう。私は歓声をあげて水槽に駆け寄った。薄暗い水族館の中でゆっくりと泳ぐ魚たちは、きらきら水の中で光って見える。仕事ばっかり毎日考えて生きていたけど、こうして一度自然の中に住み生き物達に目を向けると、穏やかな気持ちになったりするものなんだろうか。
「あっ、チンアナゴ!可愛い。」
「へぇ〜。可愛いかな、これ?」
「可愛いよ、だって目がくりくりしてて…」
「女の子の可愛いってよくわかんないなー。」
「向こうはクラゲの展示やってるよ、行こう!」
私達がクラゲの水槽に足を進めると、青白い空間の中に、クラゲが揺蕩っている。エチゼンクラゲ、タコクラゲ、ミズクラゲ、ヤナギクラゲ、アマクサクラゲー
「クラゲってさー、ふわふわ漂う姿が好きなんだよね、俺。」
「あぁ、わかるかも。」
「なんか自分と似てる。」
社会でしっかり働いているつもりだけど、所詮ふわふわ漂う個体にしか過ぎないのか。どこへ向って泳いでいるのかも、よくわからない。
「でも、それが儚くて美しいのかもしれない。」
私がくるりとおそ松さんの方を向くと、案外距離が近くてびっくりした。暗闇の中だからか、距離感が上手く掴めない。おそ松さんの吐息が、私の唇にかかった。
「ーご、ごめん。」
「ううん、大丈夫。」
一瞬口ごもり、おそ松さんは私から視線を外した。何だか、付き合い始めの初々しいカップルの様。…これって、デートなのかな。私、今日はただ友達と遊ぶ感覚で来たのに。
「っ、名前ちゃん!」
おそ松さんが、私を急に抱き締めた。腰に回された手は少しだけ緊張で震えていて、私の肩に熱い吐息がかかる。耳元でおそ松さんの優しい声が聞こえた。
「名前ちゃん、俺ー」
「ごめんね。」
どんなに優しく名前を呼ばれても、きっとこの距離は縮まらない。
「私、誰とも付き合う気がないんだ。」
暗闇の中では、鈍い色を放ちながら、ハナグサクラゲが水槽の中で宙を舞っていた。
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