菊地原士郎
ぬいあわせ


音がよく聞こえるのにはもう慣れた。
雑音が聞こえるのは仕方がないという事も理解している。
だけどこの言葉だけは拾いたくなかった。

「歌川くんかっこいいねー」


今は学園祭の準備期間。
ぼくたちのクラスは学園祭で演劇をすることになった。
この短期間で芝居をするなんて正気の沙汰じゃない。
そもそもここ進学校だし。
…ま、決まったものはしょうがないけど。
そう思うしかできない。
どの台本をやるとか、
誰がどの役だとか、どの作業をするのかとか興味がなかった。
因みに言うと演目が白雪姫で歌川が王子役とかどうでもよかった。
どっちかというとよくやるよねと思ったくらい。
え、ぼく?
ぼくは裏方で小道具を用意するくらいで正直皆の前に出なくていいから安心した。
それくらいクラスの出し物なんてぼくにとってはどうでも良くて、
適当に過ごせればそれで良かった。
衣装を着た歌川の姿を見たクラスメイトがキャーキャー叫ぼうがどうでもいい。
聞こえてくるその声を聞き流すのはいつものこと。
…なんだけど、
神威さんの声だけは聞こえてきて、
神威さんのその言葉だけははっきりと拾ってしまった。

歌川くんかっこいいねー

その言葉を聞いてむしゃくしゃする。
歌川がかっこいいとか別にどうでもいいけどさ!
神威さんが笑顔で歌川と話している。
歌川の顔を真剣に見て話しているのは衣装の事なんだというのは分かっている。
っていうか聞こえてくる。
だけどイライラしてくるんだからしょうがないじゃないか。
歌川から衣装を受け取った神威さんが席に着く。
衣装の飾り物の微調整をするために少し縫うらしい。
針に糸を通し、縫っていく。

「神威さんってああいうのが好みだったりするわけ?」

ぼくの言葉に神威さんがきょとんとした。
何の事なのか分かっていないらしい。
嘘でしょと思ったけどぼくは歌川の事を言う。

「…どうして?」
「どうしてって…歌川のことかっこいいって言ってたじゃないか」
「うん。衣装係だからね。
やっぱり王子様はかっこよくしないと!
歌川くんに似合っていて良かったよー」

安堵の息を吐く神威さんは楽しそうにしている。
その対象はどれに向けられているのか、
ぼくは気になってしょうがない。

「菊地原くんはどうしたの?」
「ぼく小道具担当なんだけど。
歌川の衣装決まったんでしょ。
剣がちゃんと腰につけられるか確認したいんだけど」
「あ、じゃあ歌川くんに脱いでもらう前にやればよかったね!」
「別にいいよ。その調整が終わってからで」
「じゃあ急いでやるね」
「慌てて指に針を刺されても困るんだけど」

神威さんの指に貼られた絆創膏を見る。
その怪我はどの時にできたか知っているぼくはそう言うしかできない。
神威さんは恥ずかしそうに笑って小さくありがとうって言った。
ぼくの気持ちを知らないでそんなこと言う彼女。
ゆっくり作業をしてくれた方が助かるとか、
誰かのために作った傷が嫌だとかそう思っていることなんて彼女は知らないだろう。

「話逸らされたけど、神威さんはああいうのが好みなの?」
「王子様?
好みというか現実にはあまりいなそうなタイプだから貴重かなーって思う」
「なにそれ」
「私、王子様はタイプじゃないってこと」
「ふーん。それなのに歌川のためにそんな傷作ってやるんだ」
「だって担当だもん。ちゃんとやらないと皆に迷惑掛かるでしょ。
それに私、好きでやっているからいいの」
「へー物好きだね」
「菊地原くんだって、乗り気なかったのにちゃんとやってるでしょ同じじゃないかな」
「ぼくは今でも面倒でしょうがないけど」
「…楽しくない?」
「あまり。
神威さん、歌川の衣装作り頑張ってるし」

楽しいよりむしゃくしゃする。
そうはっきりと口にしたら神威さんはどんな顔をするんだろう。
ま、いい顔はしないよね。
神威さんの顔を見れば目を丸くしてこっちを見てくる。
ぼく、何か変なこと言ったっけ?
適当に答えたからなんて言ったのか思い出せない。

「…菊地原くんもしかして王子様の衣装着たいの?」
「は?嫌だよあんなの」
「じゃあ…」

言おうとして躊躇う。
何を言いたいのか知らないけどはっきりしなよって思う。

「あー…私、ね。
このクラスで学園祭できて良かったと思う。
え、演劇で…私、衣装担当できて楽しかったの」
「君、作るの好きだからね」
「そ、それもあるけど…そうじゃなくて!」

口をもごもごし始める神威さん。
そんな風にされると別の意味でイライラする。

「はっきりしないなー何なの」
「菊地原くんと一緒にいれて、なんだか嬉しくて…!」
「……………………え?」

それってどういう意味なの?
そう聞く前に彼女が顔を赤くして白状する。

「怪我した時も、
菊地原くんが心配してくれて嬉しかったです…」

恥ずかしそうに小声で言うけどぼくにはばっちり聞こえている。
つまりどういうこと?
歌川のためにじゃなくて、そういうことなの?
さっきまでイライラしていたモノがどこかへ飛んでいって、
ぼくまで顔が赤くなる。
本当止めてよね。

「とりあえずさっさと縫えば?」
「う、うん…!」

気恥ずかしい沈黙が流れる。
周囲はクラスメイト達が他愛無い話をしているが不思議と入ってこない。
意識しないと聞き取れないような布に糸が通る音を聞いて、
ぼくの心臓が五月蠅く脈打っているのだけを感じた。


20161030


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