過去と現在
裏切り

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風を切る音。
揺れる身体。
時折聞こえる爆音に届いてくる風圧。
その度に自分の中で軋む音が聞こえた気がした。

痛い……

桜花は目を覚ました。
目の前にいるのは先程対峙していた敵ではない。
ぼんやりとした頭で誰に抱きかかえられているのかと焦点をあわせる。
少しでも何かしようと考えなければすぐに意識を持っていかれそうだ。
「桜花さんの首に例の首輪がついています」
『そうか、出水。気を付けろよ』
「了解」
会話の内容を聞く。
誰と話しているのかは知らないが、
出水は自分がつけている首輪のことを知っているのだということだけは分かった。
「……出水」
名前を呼ぶ。音にするのも痛いがそんなこといってられない。
何とかならないかと桜花は考えることしかできない。
桜花が現状把握をしたいのだと判断した出水は今どうなっているのかと自分達は何をするために動いているのかを告げる。
「太刀川さん達が敵を引きつけてます。
今、本部に向かってるんでそこで手当しましょう」
「出水」
「なんですか?」
「痛い……アンタもう少し優しく抱けないの」
「……」
『出水、どうかしたか?』
「風間さん、桜花さん負傷してますが凄く元気です!!」
出水の腕に力が入る。
「出水、痛いって言ってるでしょう……」
「すみませんっ!!」
桜花は肋骨が損傷しているのか、呼吸はままならず苦しそうだ。
だから心配してみれば、本人の口から出てきた言葉はこの場にそぐわないふざけたもので、
思わず抱きかかえているこの手を離そうかと思ってしまった。
元気だったら迷わず落とすところだが、一応怪我人なので仕方がない。
落とさなかったことに感謝してほしいと出水は思った。
だが同時に冗談を言えるくらい彼女はまだ切羽詰まっていないし、
いつも通りだとも思い、出水は少しだけ安心する。
通信相手である風間は桜花が出水になんと言ったのかは知らないが、
禄でもないことを言ったのだろうと完結した。
内容は聞きはしないがたった一言「今は我慢しろ」とだけ告げる。
出水は了承の意を込めて「あとでハチの巣にします」と宣言した。
その言葉に「そうしろ」と風間は返す。
今、トリオン体に換装していない桜花は出水達がどんな会話をしているのか知ることができない。
ただ、桜花は感謝した。
自分を助けてくれたことに。
移動しているせいで骨と骨が擦りあい痛みが襲ってくる。
飛びそうになる意識を痛みが現実に引き止めてくれている。
本当に桜花は感謝した。
ありがとう。そしてごめん。
助けられてここで終わってしまえたら良かったのにと嘆いてしまったのは、
少なからず桜花が彼等を大切なものとして認識しているからだ。
だから自分本位な選択をしようとしている今、胸が少し傷んだのだろう。
悩んで考えろと訴えたのだろう。
だけど桜花の目には出水の顔よりも上空に飛ぶコウモリ型のトリオン兵ニュクスの姿が映る。
彼等は本当に自分を助けるために動いてくれているのかもしれない。
その善意が邪魔だった。
迅の予知を知っているのなら警戒していて欲しい。
その方が気が楽になれるのに――と思わずにはいられない。
なにせ桜花は任務通り男と接触して、次の任務を言い渡されたのだから。
どんな任務を課せられたのか……想像はつくが念の為に確認したい。
鏡がある場所で首輪を目視するかそれともトリオン体へ換装して情報を閲覧するか。
桜花はその時間が欲しかった。
最初の人型近界民との接触した時点で桜花がとらなくてはいけない行動は定められていた。
迷う必要はない。
迷って行動できなくなるのは罪だ。
確認する。
最優先にすべきは自分の命。
それは今も変わらない。
自分がやりたいことをする。自分ができることをする。
他はそのついででいいのだと当の昔に決めてしまった。
恩を仇で返すのは主義ではないが自分の生を繋ぐためならそんなものはちっぽけな問題だった。
「出水、痛い」
桜花は小さく呟いた。
敵が襲ってくる中、迎撃すればそれだけ激しく動く。
動き回る度に桜花の身体は悲鳴をあげる。

だから――
「おろして……」
このままでは戦いにくいでしょう――?

それは誰に呟いた言葉だったか。
ただ、出水は桜花の言葉を聞いて一理あると思った。
射手だから彼女を抱えながら戦うことは可能だ。
だが、思う存分に動けるかといわれればそうではない。
動けば動く程、負傷している桜花は痛いと文句を言ってくる。
いくら戦闘経験があるとはいえ、出水だって一般の人が抱く感情は持っている。
心配して満足に動けないのは失敗に繋がる可能性がある。
どこかの部隊と合流できればそのまま本部まで駆けて行くが、現状すぐに合流できそうな部隊はない。
ならば応援を要請し合流するまで桜花には物陰に隠れてもらい、
その間、周囲にいる敵を一掃してしまった方が彼女の安全を確保できるのではないかと考えた。
出水は一度風間に伝え、指示を仰ぐ。
「分かりました」
「だから痛いって」
ビルに飛び降りた衝撃が伝わり桜花が文句を言う。
「こういう時くらい大人しくしておいてくださいよ」
「それは無理な話よ」
「だと思いました」
「恨み言なら後で聞いてあげるわよ」
「たっぷりと聞いてもらいますよ。
応援がくるまでこの辺りを一掃するので、念のために隠れててください」
出水が地を蹴り、トリオン兵の群れに飛び込み火力で敵を削っていく。
こういう時トリオン量の多い射手程心強い者はおらず、厄介な者もいないだろう。
出水がいなくなってから桜花はトリガーを起動する。
痛みを感じなくなって楽にはなった。
トリオン体である限り、自分の思い通りに動くことができる。
トリオンの残量もまだある。
上手く動けば今日を乗り切ることができる。
隊服のポケットに手を入れれば、修に手渡された首輪の機能を無効化するトリガーに触れた。
桜花は静かに息を吐いた。
自分が置かれている現状を確認する。
修達は青葉の首輪を外すために本部へ移動中で距離は遠い。
迅と太刀川は近界民の男と戦闘中。
出水は周囲のトリオン兵の掃討。
そして桜花の監視をするためか、上空に飛んでいるニュクスがぴたりとついてきている。
想像通り、桜花の首輪はデータの更新が行われていた。
おかげで少しだけ生き延びることができた。
代わりにやらなければいけないことができた。

“新たな戦力を確保し、3時間後にポイントXにて合流せよ”

玄界の戦力の分散ではなく確保ときた。
テラペイアーは人手不足なのか……初めからボーダー隊員を確保する動きがあったため驚きはしないが、
ニュクスが飛んでいる分がそのまま隊員確保数ということだ。
明らかにボーダー隊員よりも多いだろう数に、
失敗などさせるつもりはないと言われているようだった。
時間指定に場所指定。
ひとまず自分はここで使い切って捨てられるわけではないらしい。
やり方次第ではまだ自分の命が繋げられることを知る。
桜花はポケットから手を出した。
その手は何も掴んでいない。
代わりに剣の柄を握り、抜刀した。


出水はトリオン兵を打倒していた。
本部からの連絡で10分もすれば応援が到着するらしい。
レーダーに映る敵戦力を確認する。
無数のトリオン兵ともう1つ。
これは桜花が身につけている首輪が反応して映し出されているだけだ。
その他は特に何も表示されていない。
幸いにも新型が近くにいないせいか凌ぐのは難しいことではなかった。
「この調子なら……」
大丈夫だと出水が思った時だった。
自分の左腕に衝撃が走った。
撃たれたと認識したのと相手を捕捉したのはほぼ同時――。
「マジですか」
「最初から知ってたでしょ?」
「それはそうですけど――!!」
本当に裏切るなんて思うわけないじゃないですかと出水が反論する前に、
彼女の剣で胸が貫かれる。
せめて反撃を……と手からトリオンキューブを出して出水は自分の左腕に気づく。
(もろに入っていたのに何で……ああ――)
反射的に出水は標的を変更し、彼女ではなくトリオン兵に向ける。
「本当にあとでたっぷり聞いてもらいますから」
「ええ、聞いてあげるわ」
出水の身体に罅が入っていく。
トリオン体活動限界を告げるアナウンスが流れた。
出水のベイルアウトする信号を察知し、ニュクスが彼目掛けて飛び捕獲し、
そのまま軌跡を描いて消えていった。
ボーダー隊員が近づいてくるのが見えて桜花は移動した。
「やっぱり……」
今もぴたりとついてくるニュクスを見て桜花は間違いなく自分を監視するためにいるのだと確信する。
そして下手なことはできない。
自分の働き次第で今後が決まってくるのであれば全力で動くまでだ。
誰になんと言われようが構わない。
この道を信じて動くしかない。

他のボーダー隊員と合流するために桜花は走りだした。


20170625


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