「送っていただきありがとうございました」

 ポケモンセンターまで送ると頑なな相手をどうにか説得し流星の滝の入り口で別れることとなった。夜道だけど本当に大丈夫かと心配げに眉根を寄せる相手に、チャンピオンの時間をこれ以上頂くわけにはいかないと首を振る。

「今日は為になるお話ありがとうございます! ダイゴさんってテレビで見た印象通り、とても紳士な方なんですね! 教えてもらったバトルのコツ、早速実践してみます」
「どういたしまして。僕も石の良さを分かってくれる子が増えてくれて嬉しいよ。また会った時には成長の程を見る為に是非一戦交えてみたいものだね」

 お手柔らかにお願いしますと微笑みの仮面を被る。ご教示の為にチャンピオンと一戦交えるだなんて恐れ多いし回復薬の無駄遣いだ。ポケモン回復設備の恩恵を受けれるのなら経験を積む為お願いしただろうが、財布が軽くなるのはいただけない。

「そうだ、ポケナビを交換しよう」

 それでは、と別れを告げようとして象った唇は思わぬ提案によって遮られた。え、と動きを止めた私を気にも留めず相手はポケットからポケナビを取り出す。

「石に興味があるようだし、また会うのなら交換しておいた方が良いだろう?」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます」

 上げた口角が痙攣するのを感じ咄嗟にポケナビを探す振りをして隠す。そうだった、ゲームでも分かっていたじゃないか。主人公の眼前に現れる度助言やアイテムを与えていく面倒見の鬼。まさか私にも発揮されるとは。
 うーん、ミーハーは嫌いだと踏んでいたのだが何がいけなかったんだと内心首を捻りながら一応交換しておく。やったー、名声あるイケメンの携帯番号ゲットだぜ。一体いくらで売れるんだろう。
 そんな邪な考えを抱きながら交換し新しく追加されたツワブキダイゴの名を視線でなぞりつつ疑問をぶつける。

「……あの、交換して本当に良かったんですか?」

 この世界での番号交換は元いた世界あちらより積極的に行われている。勿論個人差はあるものの、手っ取り早いバトルの再戦手段として使われるのだ。だが相手はその辺のトレーナーではなくチャンピオン。他人にホイホイ番号を渡していいような立場ではない気がする。そんな私の懸念を余所に、伸びしろのあると思ったトレーナーと連絡を取る用の番号だから問題ないよと何でもないように言った。
 なるほど、複数台持ちか。それなら差ほど問題ではないのかもしれない。納得してバッグの中にポケナビを仕舞う。

「何かあれば気軽に連絡して良いから」

 そう言って立ち去る相手を見送ってから流星の滝の中へ出戻りした。


 失敗した。あの時大人しくポケセンまで行っておけばよかったかもと気付かれないように溜め息を吐く。
 眼前には黒い生地に白いドクロマークの描かれたバンダナを着けた男女合わせて三人、つまりアクア団の下っ端。正直君達に構っている暇は一分たりともないんだよねと毒づきつつ、強そうなポケモン持っているじゃねえか寄越せ云々言ってくる言葉を聞き流す。

「おい! 聞いてんのか!」
「き、聞いてます……。あっ、あれはまさか!」

 怯えている振りをしながら突然何かに気付いたような体を装い人差し指で明後日の方向を指差し奴等の注意を引く。揃いも揃って首をそちらへ向けたところで短く唇を動かした。

「テレポート」

 なんとも使い勝手の良い技だ。サーナイト様々である。
 馬鹿正直にバトルをして叩きのめしてもいいが私の目的とは違うし、ファイトマネーを支払わず逃げられる懸念もあるので早々に離脱するのが正解。暗転する視界にうっすらと見えた団員達の表情に口端を吊り上げて返した。

 結局、十五分足らずで流星の滝入口に戻ってきてしまった。しかし今度は先程チャンピオンに送り届けられたカナズミシティに近い入口ではなく、岩男でも疲れる山道にある入口。流星の滝内部にテレポートして探索をと思ったが何人いるか分からない下っ端に絡まれると面倒だ。予定変更、下山しつつ見回って帰ろう。

 だが何も収穫はなく、この世界に来て一年目が悪戯に過ぎてしまった。


 ▲▼

 一年目と一日の朝。鳴り響くスマホのアラームを止め軽く伸びをして身支度を済ませる。残り少ない充電のパーセンテージを見つめ盗電しに行かないとなと思案する。こちらの世界ではスマホの代わりがポケナビだが、スマホのように高性能ではない。外出時のバッグに必ず携帯するモバイルバッテリーとコード、充電器が幸いして電池切れの心配なく人目を憚りながら使用していた。こっちの世界も早く開発すればいいのになんてぼやきながら今日の予定を組み立てる、と言ってもいつも通り賞金稼ぎだけれど。
 HPを削られず安定した勝率が得られるようになるまで半年以上掛かった。それまでの生活はかなり逼迫していたがここ数ヶ月からは安定している。少しの贅沢をしても十分お釣りがくるほどには。けれど今でも思い出す、夢を見る。あまりの空腹に野生している草や木の実を齧り毒と気付かず嘔吐した夢を。野宿している為見窄らしい格好をしている私に突き刺さる冷たい視線と言葉、態度。あんな惨めな思いはもうしたくはない。

 金蔓になりそうな相手に片っ端から声を掛けたバトル連戦後、小休憩と称しカウンター席にコンセントのついている喫茶店へと立ち寄る。お好きな席へどうぞとにこやかな笑みを浮かべる店員さんに軽く会釈をしてカウンター席の一番端っこを陣取り、お冷やとメニューが来て人がいなくなったのを確認してから手早く充電を始める。勿論スマホはリュックのポケットの中だ。おかわりの出来る珈琲とパスタランチを頼んで手帳とノート、筆記用具を取り出す。料理が来るまでの暇潰し、に先程まで得られた賞金の額、対戦した相手の名前、手持ち等々を書き連ねていく。届いたパスタをつつきながらペンを動かしたり気分転換にポケセン図鑑を読んだり珈琲のおかわりをしたりとしているうちにテーブルに置いたリュックのポケットが小さく振動した。充電完了の合図だ。
 何食わぬ顔で充電器を仕舞いレシートを手に取る。そろそろお暇しようと立ち上がりかけた時、「ジムリーダーのセンリさん、ご家族をこっちに呼び寄せたらしいわよ」という控えめな会話がジャズ風BGMの隙間を縫って聞こえてきた。ぴくりと指先を動かすがどこ吹く風でレジへと向かう。しっかり、その話をしている者達の横を通って。

「確か遠くに住んでいらっしゃったのよね。家族一緒に過ごせるのは良いことだわ」
「ぶっきら棒に見えるけど愛妻家よ。羨ましいわね」

 のほほんと会話を進める奥様方を通り過ぎ会計しながら近しい内に主要ストーリーが始まるかもしれないと財布を握る手を少しだけ強めた。


 と思って二ヶ月が経過した。アクア団、マグマ団の動きが時折テレビに取り上げられるだけで私の周りに変化はない。一応、彼等彼女等は旅に出てデボン社員とのやり取りも終え、着実に主要ストーリーをなぞっているみたいだがそこに私が無理矢理介入されるわけもなく、賞金を巻き上げる野宿生活には変わりない。なんだ、身構えて損をした。
 この世界の行く末を知識として知っているのだからてっきり何かしら役割を与えられたのだと思っていたがそうでもなさそうだ。連絡先を交換したダイゴさんとも石やポケモンの話をするだけで未だ一戦交えていない。当たり前だが忙しそうである。
 相変わらず、元の世界に戻れる術は見つからないし歴史文献を漁っても異世界渡りや召喚があったという記述はない。時折見ていたあの世界の夢もすっかり見なくなった。今では家族の声も思い出せない。家族写真がアルバムに入っているので時たま見返しているが以前まで強かった帰りたいという思いがだんだん薄れてきた。

──あの世界に帰ってどうするの? この世界に来て一年と少しが過ぎた。あの世界でも同じだけ時間が流れていたら? 警察や家族になんて言うの? 今までポケモンの世界にいましたなんて誰も信じないし、今みたいな悠々自適な生活は送れない。時間に縛られ上司の顔色を窺いミスに気を付けながら過ごしていく毎日。あの日々に戻りたいの? あんなに会いたいと思っていたキャラクター達がいて、会える距離にいるのに勿体ない。

──この世界でされたことを思い出せ。あの世界で生きれていれば受ける必要のなかった傷達を、地獄のような日々を。今は生活水準が良くなったからこのままでいいやと思えているだけで、何十年後の生活はどうなるの? 今と同じような生活が送れているとは限らない。異世界から来た私は密入国者の立ち位置で、生活の保障は一切ない。もし、公共機関にバレたらどういう扱いをされるか分かったもんじゃないわ。

 悪魔と天使の声がぐるぐると回っているようだ。このままではいけない。この世界に居座るのならきちんとした身分の確立を、元の世界に戻るのなら別な地方にも出向いてもっとしっかり調べるべきだろう。分かっている、こんな中途半端ではいけないということを。頭では理解していても私は迷っていた。この世界で着実に湧いていくポケモン達への愛着と、元の世界で気掛かりな家族、友人、同僚達。その天秤で揺れ動き続ける私の心。
 そして異世界転移した者に付き物の、何かしら重要なポジションが与えられシンデレラストーリーを歩めるのではという欲望。
 それが頭に過ぎって離れないのだ。だが現状、私に役割なんて与えられていないような気がしてならない。それなら私は一体、何のためにこの世界に来たんだろうか。

'17.01.28

存在意義

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