土曜日、昼過ぎ。

まずインターホンを鳴らしたらおばさんが出てきて、わたしが京治を呼んでくださいと言って、それから京治が出てきて、と考えていたのに。

「あれ、どうしたの」

最初から本人が出てくるのはかなり予想外だ。

「お、おばさんは?」
「たぶん買い物」
「あ、そうなんだ……、えっと…あの…」

昨日から何度も頭の中で反復した短いセリフがなかなか出てこない。口ごもっていたら、部活帰りだろうかジャージ姿の京治が怪訝そうに首を傾げた。

「流星群…、見に行かない?今日の夜」

なんとか口にした言葉を聞いて、京治はほんの少し驚いたような顔で瞬きをした。それを見て、やはり言わなければ良かったかと後悔が渦巻く。こんなに寒いのに、星を見に行きたい人なんてそうそういない。

「何流星群?」
「え?…えっと、ふたご座だけど」
「ふーん。何時?」
「塾終わってからだから、9時過ぎるけど…来てくれるの?」

恐る恐るそう尋ねると、京治はひとつゆっくり頷いた。

「いいよ。塾から家までは?ひとり?」
「友達がいる」
「ん、じゃあ夜にね」

ひらりと手を挙げられた手にわたしも手を振り返す。ゆっくりと扉が閉まったと同時に、心の奥からなんとも形容しがたい温かい気持ちがむくむくと上がってきた。




「お疲れ様」

塾から帰って自転車と荷物を置き、親に星を見に行ってくると声をかけて玄関を閉めたところで後ろから声がかかった。
暖かそうなコートに身を包んだ京治がマフラーを少し下げながら、裏山でいいんでしょ?と言う。言葉とともに漏れる白い息を見てなんだか申し訳なくなってくる。

「うん。ごめんね、寒いのに」
「…昔は冬でもお構い無しで連れ回してたのに」
「う…」

並んで歩き出すと、京治は少し意地悪そうな声音でそんなことを言う。確かに、小学生の頃のわたしは当たり前のように京治を引き連れていた。暑かろうが寒かろうが雨が降ろうが、それこそ本当にお構い無しだった。

「だってひとりで見るの怖いし」
「はいはい」

幼い頃からわたしは京治にお願いを聞いてもらってばかりだ。本当に、これじゃあどっちが歳上なのか分からない。

「勉強いいの?」
「息抜きです。むしろやる気が出る気がする」
「ふっ、そう」

ふたご座流星群。夏のペルセウス座流星群、1月のしぶんぎ座流星群と合わせて三大流星群のひとつだ。夏に京治と流星群を見て、星に対する思いを取り戻して以来、見たくて見たくて仕方なかった。

夏は途中で京治に引っ張ってもらった裏山の坂道。今回は自分の力で登ってやろうと、勇んで足を踏み出したけれど徐々に息が上がってくる。2歩ほど先にいる京治を見上げると、暗い中でも微かに笑っているのがわかった。おそらく、自分ひとりで登ってやろうというわたしの思いに気付いている。
昔はこんなことなかったのになと思う。どっちが先に上まで行くか競争ね、とかけ上がっていた。勝ったことは、なかったけれど。
ふと、先にいたはずの京治が横に並んだ。そのままわたしの歩くペースに合わせてくれる。白い息をはぁはぁと漏らしているわたしと違って、京治の呼吸は全く乱れがない。バレー強豪校の選手として、厳しい練習をこなしているだけある。


「はぁ…、疲れた」
「夏よりきつそうだったね」
「最近本当に動いてないから…」

呼吸が苦しくてマフラーを外す。冷たい風がさらりと首もとに入ってきて、火照る身体が冷めていく気がした。

「さすがに今日は寝転げないからね」
「今日はしないよ」

言い聞かせるように京治が言う。夜露にしっとりと濡れている芝生の上に寝転がれば、この冬買ったばかりのPコートが大変なことになってしまう。冬の流星群はこれができないから少し残念だ。

空には雲がなく、月もない。空気もよく澄んでいて、観測条件は最高だ。日没から未明にかけてと、パソコンで調べた記事には書いてあったから、もういつ見えてもおかしくはないだろう。

「ねぇ」
「ん?」
「マフラー落ちてる。わくわくしすぎ」

言われて足元を見ればグレーのコートに合わせて買った、お気に入りのチェックのマフラー。腕に引っ掻けていたのに、いつの間に落ちてしまったのか。京治が屈んでそれを拾ってくれる。

「ごめん、ありがと」

受け取ろうと手を伸ばそうとすると、それよりも先に京治が一歩前に近づいてきた。

「な、何?」

戸惑うわたしをよそに、京治はもう半歩近づいてわたしの首にくるくるとマフラーを巻いた。

「星見るのはいいけど風邪惹かないようにね。受験生なんだから」
「あ…、はい…」

俯いたまま数度頷くと、京治がふっと小さく笑ったのが聞こえた。
夏に、手を繋がれた時と同じだ。なんだか胸の奥が熱くなって、どうしたらいいか分からなくなる、感覚。
幼馴染みというものは、皆このように優しくしてくれるものなのだろうか。比べる対象がいないから分からないけれど、たぶん違うと思う。

「何で…、京治はわたしと流星群見てくれるの?」

別に京治はわたしのように天体が好きな訳ではないはずだ。中学に上がって以降、疎遠になったやり取りをわざわざもう一度繰り返す理由が知りたかった。
視線を星空に向けて、尋ねた。今はとても顔を見てなんて聞けそうになかったから。
京治はすぐには答えなかった。すぅと深く息を吸ってゆっくりと吐き出すのをとなりで聞きながら、わたしはただ瞬く星空を見詰めていた。

「志歩と、見るのが好きだから」

昔からね、と囁くように京治が言う。ちらりと横目で見ると、京治もまた星空を向いていた。

星がひとつ、流れる。
大好きな流星群を見ているのに、わたしはなぜだか上手く呼吸ができずにいた。

ジェミニの呼吸

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