ヒーローはいつだってかっこいい




 これはたまたまだ。ただ、運が悪かっただけ。
 だから今、私の眼前すぐのところまで迫っているコンクリートの塊を飛ばしてきた爆豪くんも、しまった、と言わんばかりに目を見開いていたんだ。珍しく焦りを表情に出しつつ、だけど、もう自分ではどうしようもできない様子。「避けろ」なんて、無茶な要求を叫んだ。
 爆豪くんたち敵チームと、私たちヒーローチームの屋内戦闘訓練。これは、その訓練中のアクシデントだった。
 私たちは爆豪くんを警戒するあまり敵チームに上手く近寄ることができず、廊下と部屋を遮る分厚いコンクリートの壁を盾に防戦一方状態となってしまった。すぐにその壁も爆破の個性で破壊されてしまったわけだけど、その壊れ方がまずかったんだ。全部綺麗に粉々になってくれれば良かった。だけど一つ、大きな塊は砕けることなく真っ直ぐ私に向かって飛んできてしまって。それが、今の状況だった。
 避けろ。そうは言うけど、この中で一番優秀な爆豪くんにできないことを、私なんかにどうこうできるわけがないじゃない。甘んじて痛みを受け入れるしか、選択肢なんてないんだ。
 一応私だってヒーローを目指してここにいるんだから、多少の怪我は覚悟の上だった。ただ、少しだけ。痛いとわかっていてコンクリートの塊を顔面に喰らうのは、やっぱり怖い。
 でも、でもね。こんな時、もしも私が漫画のヒロインであったなら、きっとヒーローがかっこよく助けてくれていたんだろうな、なんて。
 夢みたいなことを一瞬だけ期待して、すぐに諦めた。そのヒーローになるためにここにいるのに、馬鹿なこと考えちゃったな。無意識のうちに顔を庇う仕草を取って、その衝撃に備える。大丈夫。怪我したって、後でリカバリーガール先生に治して貰えばいいんだもん。少しの怪我くらい、大丈夫、大丈夫。

「あっぶね!って!」

 襟首を強く引っ張られて、ぐっと息が詰まる。自分の意志とは関係なく後ろに引かれ、足がもつれて尻もちをついてしまった。直後、鈍く、耳を塞ぎたくなるような嫌な音が聞こえる。小さな破片が当たったのか、じりじりとした地味な痛みは身体の至るところに感じたけれど、構えていたような痛みは襲ってこない。庇われたんだ。助けてもらった。一体誰に、

「か、上鳴くん、」

「ってぇ……!」

 誰か、というのは、この授業で同じチームを組んでいた上鳴くんだった。爆豪くんほどじゃないけど反射神経は優れている人だから、反射的に引っ張ってくれたんだと思う。だけど代わりに、私の顔面に当たるはずだったコンクリートは、彼の肩に直撃してしまったよう。痛みに耐えるように肩を抑えて座り込んでいる上鳴くんを見て、慌てて駆け寄った。

「だ、大丈夫!?ごめんなさい!私のこと庇ったせいで……!」
「……っあー、いや、ちょっと痛いけど、へーきだから。んな泣きそうな顔すんなよ」
「だ、だ、だって……!!」

 平気なわけ、ないじゃない。先ほど聞いたのは、骨折や脱臼を連想させるような、本当に嫌な音だった。爆豪くんは複雑そうに顔を顰めたまま私たちを見下ろし、彼のチームメイトである切島くんは、驚いた様子でこちらに走って来てくれる。
 モニターを通して見ていたオールマイト先生が、訓練の一時中止を呼びかけた。

「上鳴少年、大丈夫か!?」
「……へーきっす」
「平気なわけないよ!先生、保健室行ってもいいですか!?折れてるかも……!」
「え、いや大丈夫だって!マジいけるから!つーか爆豪も切島も難しい顔してんなよ!なんか恥ずかしーんだけど!」

 上鳴くんは爆豪くんに気を遣っているのか、保健室に行くことを嫌がっていた。気持ちはわかるけど、だけど。通信機の向こうにいる先生から、どうしたものかと戸惑う声が聞こえてくる。
 それまで黙っていた爆豪くんも、さすがに思うところがあったのかな。思い立ったように上鳴くんの元へずんずんと大股歩きで近寄っていく。しかし彼に視線の高さを合わせるようにしゃがんだと思ったら、突然コンクリートが当たった肩を勢いよくがしっと掴んだんだ。上鳴くん、切島くん、私の口から、同時に「え!」と驚きの声が上がる。

「あ!ちょ、まっ!いってぇ!ば、ばくご、痛い痛い痛い!なに!?ちょぉ離して!すっげー痛てぇから!!」
「痛てぇんじゃねぇか」

 ぱっと手を離した爆豪くんは眉間に深い皺を寄せ、「さっさと行って治してこいや」とドスを効かせた。凄まじい威圧に一瞬びくりと肩を揺らした上鳴くんは、だけど心底嫌そうに眉尻を下げ、いや、とか、だけど、とか、もだもだ言って動こうとはしない。

「みょうじに付いてってもらえよ。女子に着いてきて貰えるなら行くだろ?」

 一体上鳴くんのことをなんだと思っているのやら。切島くんが安直にそんなことを言って、私と上鳴くんを交互に見た。誰に言われずとも最初から付いていく気満々だった私は、一応何も言わずに頷く。先生も通信で、「そうした方がいい」と私たちの意見を推してくれた。
 それまで居心地悪そうに伏せられていた目が、チラリと私の方を見た。複雑そうに顔を歪める上鳴くん。仕方ない、というように小さく細いため息を吐いて、「へぇい」と間の抜けた声を上げた。





「ああ、折れてるね」

 酷く痛むのか、難しい顔をしたままの上鳴くんにリカバリーガール先生がそう告げた。本当は自分でも気付いていたんだと思う。上鳴くんはため息を吐きながら、決まりが悪そうに身をよじっていた。
 すぐに個性で治癒してもらった上鳴くんは、「すげぇ、もう痛くねぇ」と舌を巻く。だけど骨折をこんなに短時間で治してしまうくらい治癒力を活性化させてしまったんだ。当然、疲労も相当のもののはず。すぐにぐったりと背中を丸めて、ベッドのあるカーテンの奥へ消えてしまう。それを見届けて、私も漸く安心できた。

「さて、私は往診に行ってくるからね。あんたたち、一時間くらい休憩したら教室にお戻りよ」

 そう言って、先生はぴょこんと椅子から降りた。忙しいのに私の怪我まで診てもらって、なんだか申し訳ない。大きな荷物を抱えて保健室を後にする先生にお礼を述べると、「ゆっくりお休みよ」と可愛らしい笑みを返してくれた。

 上鳴くんが横になっていると思われるベッドスペースのカーテンを覗くと、だるそうに細められた瞳と目が合う。その、どこか気怠げな雰囲気がいつもとは全然違って、少しだけドキッとしてしまった。
 助けてもらった私がそのせいで怪我を負った彼を放って授業に戻るのは気が引ける。とりあえずベッド脇にパイプ椅子を置き、ゆっくりと腰掛けた。どちらも言葉を発さないものだから、逃げ場のない、濃密な静寂に息が詰まりそうになる。

「あの、どうして保健室来るの、嫌だったの?」

 嫌な音が聞こえたもの。眉間にシワ寄ってて、とても痛そうだった。我慢なんかしなくても良かったのに。
 先ほどからどこか暗い顔をした上鳴くんは「だって、」とわがままを言う子どものように口を尖らせる。

「なんかカッコ悪ぃじゃん。こんな怪我しちゃってさぁ。みょうじのこと、もっとこう、スマートにカッコよく助けたかった」
「そんなこと……上鳴くんのおかげで怪我しなくてすんだんだよ?」
「怪我、してたじゃん。ほっぺたとかも切れてた。血ィ出てたし。俺が怪我すんのは別に、ちょっとカッコ悪かったなーで済むからいいんだけどさ。女の子の顔に怪我させちまったんだから。そんなんで良かったなんて言えねぇって」

 上鳴くんのそんな言葉に、不覚にもドキドキとしてしまった。女の子扱いされることは嫌じゃない、というか、むしろ嬉しい。ううん、けれどね。私だって一応、あの雄英高校のヒーロー科に合格して、ここにいるんだよ。少し顔を怪我しちゃったくらいでそんな、大袈裟だよ。
 あんまり気にして欲しくなくて、へらっと笑ってそう告げる。天井をぼんやり見つめていた上鳴くんはその言葉を聞き、頭だけを僅かに動かして、私を見た。

「やだよ」

 ぽつりと呟いたのを聞いて、何のことかと首を傾げる。
 やだって、何が?そう尋ねる前に、上鳴くんの方から続きを口にしてくれた。

「だって、好きな女の子くらい守りたいじゃん」

 その言葉を、すんなりと理解することが出来なかった。え、と音を漏らして、どこへ視線を向けたらいいのかわからず、さ迷わせる。
 女の子なら誰だって勘違いしちゃいそうな言葉だとは思う、けど。まさかそんな風に好意を向けられているなんて感じたことがなかっただけに、簡単には信じられなかった。
 頭の中はぐるぐると渦巻いていて、ついつい「うそ」と、少しだけ酷い言葉を漏らしてしまう。上鳴くんは柔らかい笑顔で「ほんと」と言った。私の言葉をあまり気にした風ではない。むしろ、気付かなかった?とでも聞きたげな表情で見つめられる。

「骨折れるって結構痛いんだな。なまえちゃんが痛い思いしなくて良かったわ」
「う、……な、名前呼び……」

 ついさっきまでみょうじ呼びだったのに。上鳴くんの声で聞きなれない呼び方をされて、単純な私の心臓はドキドキとオーバーなくらいに伸縮を繰り返し始めた。
 まるで少女漫画の中の出来事みたいだなんて思う。男の子に下の名前で呼ばれることなんて、生まれて初めてのことだった。いつか私も、なんて焦れったい恋愛を繰り広げるヒロインの女の子とかっこいい男の子に憧れ、夢見ていたから、なんだかとてもくすぐったかったの。
 もちろん、みんなを守れるくらい強くてかっこいいヒーローにはなりたい。だけど、ヒーロー候補生である前に、女の子である、ということを捨てきれていなかった。ただのクラスメイトの男の子は、この瞬間、気になる男の子へと一気にランクアップしてしまったんだ。ちょっと名前呼びされたからって、本当に単純。恥ずかしいったらありゃしない。
 混乱し、上気させ、羞じる私の反応が面白いのか嬉しいのか、上鳴くんは少し意地悪っぽくにやにやしていた。冗談なのか本気なのかはさておき、愛の告白をしているっていうのに、随分と余裕なんだね。ちょっとだけ悔しくて、「本気じゃないんでしょ」なんて可愛くないことを口にしてしまう。

「本気だよ。こう見えてすっげードキドキしてんだぞ?」

 確かめてみる?と、ほんのり赤いほっぺたで、だけど上鳴くんはいつもみたいにおどけて言った。
 確かめるって、なにを、どうやって。
 二人きりなのをいいことに、なんて小っ恥ずかしいことを言ってるんだ。漫画を読んでいる時はこんなこと言われたいなぁなんて浸っていても、実際に言われると恥ずかしいだけだということがよくわかった。あと、なんて返せばいいのかわからない。すごくすごく困惑してしまう。

「な、今日のこと責任感じてたりする?」
「え、も、もちろんだよ!私のこと、庇ってくれたんだから……」
「そっかそっか。ホントはそんなの感じなくていいんだけど、なまえちゃんがそう言うなら仕方ないよな。一つお願い事聞いてもらおっかな」

 これ、まさか。言質を取られた、ってやつなのかな。
 こういうのも、あれだ、少女漫画でよく見る展開だ。上鳴くんの言うお願い事とやらが何かはわからないけれど、なんか、その、とてもいやらしいやつだったらどうしよう、なんて。
 ぼっと身体が熱くなって、ダメだよそんなの!なんて顔を隠す。やだやだ、なんか、ほんとに少女漫画みたい!うそ、こんなことってほんとにあるの?
 既視感のある恥ずかしいやりとりと、気になる男の子に言い寄られているというドキドキ感に、どうしようもなく高揚しちゃう。ダメだよ、そんなの!

「なまえちゃん」
「………っな、なに……?」

 上鳴くんがゆるく目を細める。弧を描く口元に、視線は釘付けになってしまっていた。緊張のあまり、ごくりと喉が大きく鳴ってしまう。

「俺とデートしない?好きなところ連れてくからさ」
「え、で、デート、ですか……」

 あ、やだ、今明らかにテンション低くなっちゃった!
 勝手に変な事を想像して、期待して、これじゃ私、変態みたい!こんな感情、知られたくない!
 無理やり大きな声を出して「で、で、デートね!うん、デート!もちろんだよ!私のせいだもんね!それくらいもちろんだよ!」なんて恥ずかしさを必死に誤魔化しちゃう。やだな、もう。顔あっついよ!

「……今なまえちゃん、何かエロいこと想像してただろ」
「え!?し、し、してないよっ!」
「ホント?なんかエロい顔してる」
「……っえ、え、えろくなんかない……!」

 やだやだやめていじめないで!恋に恋する年頃なんだもん!綺麗な少女漫画の読み過ぎでそういうことへの憧れが強いだけだもん!
 顔を伏せて両手で隠して、見てほしくなくて。最悪だ、なんて思いながら、柔らかいお布団を上鳴くんの頭の上から被せてその視界を封じてやる。もう顔見ないで、ほんとに!恥ずかしさで死んじゃうから!
 と、思ったら。ばふ、と私の頭にも布団が覆いかぶさってきた。急に暗くなる世界に一瞬狼狽えてしてしまったけど、すぐに上鳴くんの反撃であることを理解した。だって。

「なぁなまえちゃんさぁ、それ、脈アリってことだよな?期待しちゃうよ?俺」

 いくらお布団を被ってたって、今はお昼で、保健室の蛍光灯も明明と点いているんだ。繊維の間から差し込むぼんやりとした明かりによって、うっすらといたずらっぽい笑顔が見えた。よりにもよってすごくすごく近いところにそれはあって、びっくりしすぎて思わず呼吸を止めてしまう。男の子とこんな距離で話すことなんてないんだもん。必死に落ち着かせようとしても、私の意思とは関係なく、心臓はドキドキと音を立てる。はぁ、息苦しい。声が、出ない。

 あ、やだ、近すぎ。

 無理やり作った真っ暗闇の中で、一瞬だけ、何かの間違いだったのかなって思ってしまうほど短い時間、唇が触れ合う。
 想像していたよりも薄くて柔らかい、ふにゅんとした感触。
 直後にそこを指先で触れてみて、今までとは比べ物にならないくらい顔に熱が集まってしまった。
 うわぁ、ああ、やだ、もう。恥ずかしい、恥ずかしくて、ほんとのほんとに死んじゃいそう、
 さすがに照れているのか、少しだけぎこちなく上鳴くんが笑った。なまえちゃん、付き合ってよ、なんて、お布団の中で囁くように告白をされて、断れるわけがないじゃない。
 相変わらずまともな返事ができない私は一度だけ、小さく小さく頷いた。本当に小さな挙動だったんだけど、ちゃんとそれを見ていてくれたらしい。私のことを身体を張って守ってくれたかっこいいヒーローは、とてもとても幸せそうに笑っていた。

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