やさしい恋のエコー・ソング




※拳藤視点



 課題をしに図書室でも行こうか、なんて何気なくA組の前を通った時、聞きなれた女子の声が耳に入った。あ、なまえ。机に齧り付いている切島の目の前で足組んで、肘を付いて、超不機嫌そう。何してんだろ。
 隣を歩く唯の制服の袖を引っ張り、少しだけ立ち止まってもらう。一方的に文句を言っているようななまえの様子に、なんだか嫌な予感がした。

「こんな問題もわかんないの?切島、ほんと中学から勉強やり直した方が早いんじゃない?」
「うう、悪ぃ……。でもさ、いやほんと、全然わかんねーんだよ……」
「ほんと、よく雄英入れたよね。いくら積んだの?」
「つ、積んでねぇ!そんな男らしくねぇことすっかよ!」
「口動かす暇があったら手と頭を動かしてくれる?この状況、すっごく男らしくないからね」

 ぐうの音も出ないのか、切島はおとなしく机に向き直る。さっきから全然手は動いてなくて、あれでは勉強の意味なんてないんじゃないだろうか。なまえも丁寧に教えている風ではなく、ただただ切島を睨みつけるようにガン見。見ていられなくなって、唯に「ちょっとごめん」と告げる。「ん」と小さく返事をし、頷いた唯を横目に見て、A組の開けっ放しだった窓を覗き込んだ。

「ちょっと失礼するよ」

 私が急にひょっこりと顔を出したことで、窓際すぐの席に座る蛙吹さんを驚かせてしまったらしい。少し後ろに仰け反ってしまった彼女に、「あ、蛙吹さんごめんね、急に」と謝る。一度大きな瞳はぱちりと瞬きをした。感情の読取りにくいポーカーフェイスは、だけど「いいのよ」なんて小首を傾げて許してくれる。
 さてと。気を取り直してなまえを見る。このやりとりが聞こえていたのか、丸くなった目と視線が合った。そして、静かに私の名前を呼ぶ。

「一佳」
「なまえ、ちょっといい?」

 私の言葉に、なまえはたじろぐ。しぶしぶ、と言ったように立ち上がり、その際切島に「私が戻ってくるまでにそのページ終わらせてよ」と鬼みたいなことを言っていた。
 下を向いたまま、居心地悪そうに、とろとろと廊下に出てきたなまえをしっかりと目に収めてから、蛙吹さんに声を掛ける。

「じゃあ、蛙吹さん、邪魔したね」

 それまでなまえを見ていた大きな瞳が、再び私の方へ向いた。そしてすべてを見透かしたように口元に指を当て、「なまえちゃんのことよろしくね」なんて。私だけじゃなくて、いろんな人に心配されてたんだなぁ。根が素直ないい子なだけに、A組でも愛されているんだろう。小学校の時から仲の良かったなまえのことは、なんだか妹のように思っていたから、自分のことのように嬉しく思う。「了解」とピースサインをしてみせると、少し嬉しそうにピースサインを返してくれた。

「さてなまえ、私が言いたいことわかるね?」
「う……だ、だって一佳」
「言い訳しない。切島のこと好きなんだろ?あんな言い方したら嫌われるよって、前にも言ったよね?」

 なまえと唯にしか聞こえないような声量で、静かに説教をする。呆れの感情が伝わったのか、なまえは項垂れ、幼い子のように、だって、を繰り返していた。
 好きな男相手に素直になれないのは、この子の悪い癖だった。物間や飯田、上鳴、緑谷なんかはもちろん、あの爆豪相手にだって、なまえはあそこまでキツい態度は取ったりしない。だというのに好きになってしまった切島だけには、どうしても冷たい態度を取ってしまう。普段は大人しく、少し他人とコミュニケーションを取るのが苦手な風ではあるけれど、人を傷付けるような発言は決してしないのに。ああ本当に、頭はいいはずなのに学習のない子だ。

「嫌われたいわけじゃないだろ?」
「き、嫌われたくない……」
「なら素直にならないと」
「む、無理だよ……今更素直になったって、切島だって変に思うでしょ……」
「本人聞いてみたらいいじゃん」

 切島!と変わらず空きっぱなしの窓から教室の中に向かって呼び掛ける。なまえは予想外のことに慌てて私の服を掴み、呼ばれた切島はびくんと肩を揺らして、「お!?」と声を上げた。

「拳藤、何?あ、いや待って、まだ終わってねぇから……」
「表情筋死んでんね。なまえにいろいろキツいこと言われた?」
「あー、いや……」

 切島が言いにくそうに目をそらして、それを見たなまえの目元が僅かに赤くなった。ほら、嫌われたくないんだよね。嫌われたくないなら、言うことわかってるでしょ?

「なまえ」
「う……や、やっぱり無理だよ一佳。もう、」
「無理じゃない。遅くもないから」

 なまえと切島の視線がかち合う。だけどそれは、なまえの方が視線を落としてしまったことによって一秒にも満たない出来事になってしまった。
 先に口を開いたのは切島だった。視線を逸らされたことで気まずさが増したらしい。あのさ、と出てきた言葉は少しだけ上擦っているようだった。

「俺、みょうじになんかした?なんかすげー、嫌われてるような……。や、俺は、出来ればみんなと仲良くしたいなぁと、思ってるんだけど、」

 気遣うように、言いにくそうに続けられた言葉は、なまえの気持ちなんて一ミリも汲み取れていないことを見事に証明してしまった。嫌われてなくて良かったと安心するべきなのか、友情以上の感情が存在しない事実を嘆くべきなのか、聞いているこちらが複雑な気持ちになってしまって思わず顔を顰める。
 なまえは、とりあえず嫌われてなかったということにホッとしたんだろう。緊張して力の入った肩が僅かに弛緩したのが見えた。だけど、切島の問い掛けになんと言っていいのかわからない様子で、困り顔のまま私に助けを求める。ため息をついて、切島に背を向けるように二人して回れ右。廊下の壁まで寄って、こそこそと小さな声で話しかける。

「自分の気持ちを素直に言うの」
「え、す、す、好きって?ここで?」
「もう、違うだろ。嫌ってなんかないよって言うんだよ。なまえに嫌われるのは切島も本意じゃないんだ。まずは誤解を解かないと」
「そ、そっか。う、うん……。き、きらってなんかないよ、だね?きらってなんかないよ、きらってなんかないよ、きらってなんかにゃ、よ。あ、か、噛んじゃった……!」

 小さな声でセリフの練習をするなまえの顔は青ざめていて、冷や汗はだらだら、身体は震えていた。いやいや、恋する女の子としては、ここは緊張に顔を赤らめるところだろう。どこまで恋愛下手なんだ、本当に。
 い、一佳、ここにいてね、途中でいなくならないでね、手を繋いでいてね、切島に嫌われたらその胸貸してね、なんてやや呆然と、焦点の合っていない目で口だけを動かし、うわ言のようにわがままを言う。はいはいわかったと適当な返事をして、もう一度回れ右。教室の真ん中あたりが自分の席らしい切島と、廊下の端っこにいるなまえとの距離は数メートル。その視線が、数分ぶりにかち合った。

「あ、う、き、きらってなんか、ない、よ」
「……本当か?なんか、無理してねぇ?」
「し、し、してにゃ、い」

 ああ、結局噛んでるし。交わっていた視線は、いつの間にかまたお互いに逸らされていた。
 私が言ったことを復唱したしただけの、なんの感情も篭っていない言葉では、やはり何も伝わらなかったらしい。切島はなまえのただならぬ様子をどう解釈したのか、完全に嫌われていると思っているよう。若干落ち込んでいるようにさえ見える。なまえはもう今にも吐きそうとばかりに口を押さえて、「一佳、むり、むり、心臓でる、心臓でてくる、むり、なにか吐きそう」なんて言ってるし。
 ああもう、本当に焦れったい。なまえのアホ。

「あのね、切島。ほんとに違うの。この子の口から言わせると一生誤解されたままになりそうだから私から言うけどね、なまえ、アンタと仲良くしたいんだって」
「ふぉあ!?い、い、一佳!?」
「だけどこの通り、この子人にあんまり懐かなくて。ちょっとわかりにくいけど、冷たく接するのがなまえなりの愛情表現というか。っていうか切島のこと嫌いだったら勉強教えてないって。切島に勉強わかりやすく教えるために、ノートの取り方変えたそうだよ。全教科、切島に見せる用と自分の勉強用と二冊ずつノートあるんだって。素直じゃないから結局使ったことないらしいけどさ。見る?その努力。見たことある?」

 なまえからすればとんでもない爆弾だっただろう。やめて、やめて、私のキャラが!なんて泣きだしそうになっているなまえの頭を手で制して、真っ直ぐに切島を見る。驚いたように目を丸くする切島は、「え、え、ちょ、みょうじ、なぁ!」と慌てて廊下まで飛んできた。「今、え、拳藤が言ってたのってほんと?」「ノート、二冊もまとめてたの?全教科分?なぁ、」切島がたくさんたくさん話しかけているけれど、多分この状況に全く整理がついていないのだろう。へなへなと力が抜けたように座り込み、切島の呼び掛けに全く反応は返さず、放心状態でその顔を見ていた。

「あ、う……!」
「なぁって、みょうじ?」
「あー、ごめん、なまえ変なところプライド高いから、なんかキャパオーバーしたっぽい。とりあえずそういうことだから、切島むしろ好かれてると思うよ。俺用のノート見せてって言ってみ?多分そっちの方が勉強捗ると思う。傾向とか対策とか、アンタが苦手なところを集中的にまとめてたから」
「あ、お、おう!サンキュ!」
「ん、なまえと仲良くしてやってね」

 ずっと待たせていた唯に「ごめんね、お待たせ」と言うと「ん」と短く返される。
 再び廊下を歩くこと数分。図書室まであと少し、というところまで来て、唯がおかしそうに手を口元に持っていく。その仕草が気になってどうしたのかと尋ねると、無口で無表情の唯が、珍しくくすりと笑って見せた。

「かわいかった」

 かわいかった。ああ、なまえね。なんかあの初々しい感じ、ついつい思い出し笑いしちゃうよねぇ。いや、なんか、なんか可愛いんだ。素直じゃない性格が本当に可愛いの。同い年だけど、妹みたいでしょ。なまえのお姉さんポジションはヤキモキすることが多いけれど、同じくらいかそれ以上に、楽しいこともたくさんあるんだ。
 唯が笑うから、なんだか私までおかしくなってきちゃったよ。緊張して噛んじゃうの、可愛いかった。し、し、してにゃい、だって。暫くこれをネタにからかえそうだ、なんて。

 後日。ずっと書き溜めていたノートが漸く日の目を見たらしく、学業において目覚しい成長を遂げた切島から感謝をされ、今度お昼ごはんを奢ってもらうのだと嬉しそうになまえが報告をしてきた。
 あれから、やはりすぐには素直にはなれなかったらしい。素っ気ない態度は今でも続いているけれど、切島の方が「なまえの性格は爆豪のそれと同じ」だと自分の中で納得をしてしまったらしい。多少の嫌味や文句では物ともせず、何を言ってもへらへら笑いながら対応するようになったのだとか。
 このまま切島の彼女の座をゲットしちゃいなよ。そんな私と唯のアドバイスに「うん、が、がんばる!」なんて返答をしたなまえは、いやほんと、随分と成長したもんだよね。切島になまえを取られちゃうのは少し悔しいけど、妹のような可愛い親友だからこそ、幸せになって欲しいなって思ったんだ。

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