にゃんにゃんにゃん




※上鳴長編の番外編としてお読みください。



 ある日の休日。近所のコンビニでスナック菓子と炭酸ジュースを買って、借りてた少女漫画数冊を新しめのショルダーバッグに突っ込み、約束していた時間に合わせて、俺はその家の前に立っていた。
 煉瓦を組んで作られた立派な門扉はとうの昔に見慣れてしまったし、なまえの部屋だって何百回も上がらせてもらってる。なまえの部屋どころかキッチン借りて二人で食うメシを一緒に作ったことも記憶に新しく、なまえが買い物行ってくるとかで一人置き去りにされたこともあったか。そりゃもう勝手知ったる他人の家ってな感じで、みょうじ家のことは割と何でも把握していた。両親が帰って来るのが遅く、寂しいのはわかる。だけど、めでたく高校生と相成った俺たちだ。なまえ以外誰もいない自宅に異性の、男の俺を平気で入れてしまうっていうのはどうなのか。ありがたいやら悲しいやらって感じ。
 恋心を意識し始めてからこっち、なまえの部屋に上がることに緊張しない日なんて全くない。当然だよな、なまえが普段使っているベッドだとか、抱いて寝ているのであろうクッションだとか、部屋に充満する甘ったるい匂いとか、そういうものに包まれたまま何時間も気を紛らわさないといけねぇんだから。それを苦行と思いつつ、入り浸れることが嬉しかったりするのは、やっぱり好きだからなんだろうなぁ。もちろん当の本人は気付いてすらいないんだろうけど。なんだかなぁ。
 今日もきっとなまえの家にはなまえしかいないんだろう。俺がそこに加わったら、この家に二人きりになってしまうんだ。ああ、いつもの事だよ。いつもの事だけど。

「あー、緊張するわぁ……」

 今日は前に着てた、あの、ノースリーブ短パンの猫耳と猫のしっぽが付いてるほわほわした部屋着じゃねぇといいんだけど。あれはほんとダメ。足と脇と胸元がチラチラチラチラ視界に入ってすんげー気になるの。漫画読んでたってゲームしてたって全然集中なんか出来ねぇよあのバカ。可愛いけど。可愛いから気に入ってるんだろうけど。俺の前では本当にやめてほしい。
 その服露出多いからやめろ、なんて言ってしまえば、なまえを女子として意識してるのがバレてしまいそうな気がした。俺たちはあくまで幼なじみで、お互い異性として意識しちゃダメなんだ、きっと。この関係を壊したくなかったら、黙って賢者になるしかない。くそぅ。

 どうか目のやり場に困るような部屋着じゃありませんように。祈るような思いで鍵の掛かってない門を抜け、ドアの前でなまえのスマホに電話を掛ける。鍵開けてーの意味を込めて。昔は来る度ピンポン鳴らしてたけど、今はなんか、恥ずかしいんだよなぁ。ケータイ持たせて貰えるようになってからは専ら電話。鳴らすだけだからお金掛かんないし、なまえもいちいちインターホン確認しなくていいから楽じゃね?なんて勝手なことを思っている。
 待つこと数秒。パタパタとスリッパの音とロックな音楽を引っさげてなまえが鍵を開けドアから顔を覗かせた。あ、俺からの着信音変わってる。これ新曲じゃん。このCD借りっぱなしだった忘れてた。着信を切ると、いらっしゃい!と笑顔で出迎えられる。全然関係ないけど、ここで「ただいま」と言いたくなってしまうのは仕方のないことだと思う。なまえ以外は誰もいない、見慣れた家に足を踏み入れることは、なんとなく、二人だけで住んでいる家に帰ってきたような錯覚を起こしちまうんだもん。

「わり、CD忘れちまった」
「今度でいいよ!もうデータ取り込んでるし!」

 入って入って!と急かされて、一応「お邪魔しやーす」と断りを入れる。ふとなまえの足元を見て、うげ、なんて変な声が出た。こないだの露出高い半袖と短パンじゃん。また平気な顔して脚出してやがる、こいつ。

「……なぁ、前までの部屋着どしたの。何?最近それなまえの中で流行ってんの?」
「え?うん!かわいくない?この間のお休みの時にお父さんが買ってきてくれたの!猫耳としっぽが可愛いでしょ!」
「ヘェーソウデスカ」

 父ちゃんの趣味だったんかよ。会ったことねぇけどえらく可愛い趣味してんだなオイ。いや確かに可愛いけど。可愛いけどな。

「電気、猫好きじゃなかったっけ?」
「や、別に……人懐っこいのとかちっさい猫はかわいいなーとは思うけどさぁ。いや、前ので見慣れてるからなんか違和感が……」

 あ、いい。今いい事言った。
 この言い方だと今の部屋着貶してる訳じゃないし、前の方がいいぞっていうのがさり気なーく伝わるじゃん。俺天才かよ。

「そう?まぁこれから見慣れていってよ!」

 ああもうバカだ。なまえほんとバカ。気付けよ。見慣れていってよじゃねぇよ見慣れねぇからこちとら困ってんだってもうほんとバーカ!

「あーあー、もういいや、うん、もういい。とりあえずゲームしよ、ゲーム」
「あ!そうそうそうだよ!あれさー今やってたんだけど、全然進められないの!すぐ死んじゃう!」
「なまえへたくそだもんな、アクション」

 ほんとなまえってばゲーム好きな癖にへたくそなんだよ。レトロゲームから最新作まで、二人で協力してもう何十本もクリアしてるはずなのに、全く上達ってものが見られない。だからって俺とか、案外ゲームに詳しい爆豪とかより上手かったらちょっとショックだけど。ゲームは好きだけどあんまり上手ではないってところは程々に女の子らしくていいよな。俺がいないとクリア出来ないって、なんか可愛いじゃん。頼られてるって感じ。

 玄関すぐの階段を上がって、右側の部屋。飲み物とお菓子の準備のためにキッチンへ向かったなまえに案内される必要もなく、その部屋へ向かう。ドアを開けて、中を見渡し、苦笑いが零れた。

「あー、この中途半端に片付いてない感じだよなぁ、うん」

 普通さあ、男部屋に上げるなら綺麗にするじゃん?それがないんだよなぁ、なまえには。まぁ物が少ないだけ俺の部屋よかゴチャついてはねぇけど、漫画は縦に積み上げられ、バッグは中身が少し出ている状態でベッドの上に放置、勉強机にはやりかけの宿題が広がっていた。これ、あれだ。意識されてねぇんだなって痛感されられる瞬間ベストスリーに入るわ。
 って、おいおい朝着てたっぽいパジャマ脱ぎっぱなしかよあれほど脱いだものは洗濯機に入れとけっつったのにほんとあの子は!男来るんだぞパジャマとかそういうのは隠せよほんとに!俺が困る!

「あれ、なんで立ちっぱなし?」
「なまえ、パジャマ」
「あ、脱ぎっぱなしだね。洗濯機に入れるの忘れてたや」

 お菓子が雑めに流し込まれた木製の皿と、俺が買ってきた炭酸ジュースが入ったコップを、部屋の真ん中に鎮座するローテーブルに置く。そのままなまえは、あろうことかパジャマを無視してゲーム画面の説明に入りやがった。うん、まぁ、そうだよな。お前はそういうやつだよ、知ってる。こういうことをちっとも恥ずかしがらねぇのすげーよほんと。

「でね、こっから先が無理なの。全然進めない!」
「あー、確かにここ死にやすいわ……」

 少し色褪せたコントローラーを握り、一発でクリア出来るかわかんねぇけど、と、なまえの方で用意してくれていたらしいポッキーを口に含む。あ、そういえば借りてた少女漫画持ってきたんだった。少女漫画にしては結構話面白かったな、アレ。何より女の子が可愛い。「なまえ、鞄あさっていいから漫画抜いて。ついでに続き入れて」と声を掛ければ、「ほほーい」なんてどっかのアホな幼稚園児みたいな声を出した。似てねぇよかわいすぎかよバカ。

「……なまえさん、せめて足閉じようか」
「え?」
「テレビ画面がブラックアウトした時映り込んでるんですけど」
「あ、こりゃ失礼!自分の部屋だとどうにも緩んじゃって」

 あああもうバカ緩んじゃってじゃねぇよおめーパンツ見えちゃったじゃんちょっと!言わなかったけど!色までわかんなかったけど!バカ!ほんとバカ!だから短パンやめろっつってんの!異性を意識させないようにとかなんとか言っといてあれだけどさすがにパンツ見せられたままでいるのはちょっとなんかアレがアレしそうで言わざるを得なかったというかなんというか!つーか恥ずかしいからこういうこと言わせんなマジで!!
 この凶悪なまでに死にやすいゾーンを抜けるまでは絶対気を抜けないんだって。なまえだってわかってるはずなのに、そうやって集中力削ぐだろ?クリアしたいんじゃねぇのかよ。ああもうほんとさぁ、体力さっきからガンガン減ってってるんだけど。「電気でも無理なのー!?」じゃねーよなまえのせいだよ。

「あー、死んじゃったー」
「……なぁ、なまえそれわざと?わざとやってる?俺んこと試してる?」
「え?今度は何?」
「四つん這いでこっち来んな!その服前開きすぎなんだよ!」
「ふぉ、おお、これはこれはお見苦しいものを……」
「……全くだよ畜生……」

 あー、もう、ほんとこんなエロい服を自分の娘に着せるなよなまえの父ちゃん……。俺もうほんと頭痛くなってきた……。氷で冷えた炭酸ジュースを一気飲みして熱を覚まそうとするけど、あー、あー、ほんと無理。今日に限ってはほんと無理。呆れ成分百パーセントのため息を勢いよく吐いた。

「お前ほんと、そのカッコで外出んなよ。マジで」
「さすがにこれで外は恥ずかしいよ」
「恥ずかしいって自覚はあんだな」
「いやぁだって高校生にもなって猫のコスプレしてるみたいで。なんかいろいろとまずいでしょ、これは。猫耳にしっぽだよ?」
「あー、うん、そっちか。そっちも恥ずかしいな確かに……」

 こんなエロい部屋着で二人きりを過ごされたことは今回と前回を覗いて今まで全くなかったから、もうどうしていいか全然わかんねぇ。何着か部屋着はあったはずだけど、それ全部どうした。高校生になったから総取っかえしたんか?それにしちゃ大胆な。中学の時まで頻繁に着ていたあの部屋着マジで戻ってきてほしい。袖があってハーフパンツでこんなにも前が開いてない露出度80%オフのあの部屋着が恋しい。本当に。

「ねぇー電気ぃ」
「……なんだよ」
「これ、本当にかわいくない?」
「……いや、かわいくないとかじゃねぇけど、前の方がぜってぇいいって」
「えー!私絶対こっちの方が可愛いと思うんだけど!ほら!にゃんにゃん!」

 えーなんなんだこの無茶苦茶可愛い生き物。学校いる時と俺と二人で遊ぶ時のテンションが違うのは、まぁ、長い幼なじみ歴でわかってたけどさ。なまえこんなことするやつだった?ノリ良すぎじゃね?相当気に入ってんだなこのエロ猫部屋着。ただもう、我慢なんねぇ。何がって、俺の理性的なものが。むりむりむり。いや、無理だから。

「なー、言っていい?」
「なに?可愛い?可愛いでしょ?」
「あー、まぁ、可愛いけど、……何よりエロすぎ」
「え、えろ……えろい?」
「エロい」

「……そうか、電気から見たらエロいのかこれは……。可愛いじゃないのか……そうか……」

 なにやらぶつくさと呟いて、なまえは暗い顔をしてスッと立ち上がった。ついでに放置を喰らっていたパジャマを引っ掴んで、「着替エテキマス」と不穏な空気と謎の片言を残して静かに部屋を後にする。どうした。何があったんだこの一瞬で。まぁ俺の言いたいことが正しく伝わったのなら良かったけどさぁ。

 数十分後、なまえは俺の見慣れた部屋着に着替え、戻ってきた。小さく、「今度からはこっち着る……」としょぼくれた声を出していたのが気になったけれど、いや、俺は良かったと思う。頑張った。よく本能と戦ったよ、俺。
 ……とはいえ、あのカッコ、決して嫌いなわけではなかったというか、むしろ超好みというか。だから、もしそういうことができる関係になったら、その時、改めて着て見せて欲しいなぁなんて、思春期真っ只中の電気くんは思うわけですよ。捨てずに大事に取っておいてくれよ。猫プレイ絶対やりたいから。にゃんにゃん。

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