霧中の覚醒


 オルグレン邸に戻ったわたし達の前に現れたのは、齢30前後とみられるの男性だった。ホールで出くわしたのは偶々だったようで、玄関から入ってくるこちらを見て目を丸くした後、襟を正した。こちらも思いもよらぬ見知らぬ顔に身構える。
「やあ、レオンのご友人方。はじめまして、バイロン・オルグレンです。僕は今、叔父から留守を任されて滞在していましてね。何かあったら遠慮なくどうぞ」
 地声は高いとみられるが、それを必死に押さえ込んだトーンでバイロン氏はにこやかに語った。上背はアルフレートほどだが、横幅は倍ぐらいありそうだ。黒髪を撫で付け、同じく黒い口ひげが艶々と若い顔には浮いていた。彼の存在を知らなかったわたし達は面食らい、返事が遅れる。代わりに前に出たのはアルフレートだ。
「挨拶が遅れたようで大変失礼した。急な訪問にも快く迎えて頂いて感謝する」
 いつもながら感心する人当たりの良さでバイロン氏と握手した。バイロン氏の方も印象が良かったのか、機嫌よく応えている。レオンの歳を考えれば当たり前なのだが、留守を預かる大人がいたのか、と急に居心地が悪くなってしまった。バイロン氏が極端に横柄である、とか印象が悪いわけではないのだが、子供だけのお泊まり会だと思っていたところに見張り役の大人がいたような感覚だろうか。
「戻っていたのか」
 凛とした声が響く。柱と手すりが黒の螺旋階段、その上から降りてくるレオンがこちらに向かい、そう言った。頷くわたしにもう一度口を開く。
「イリヤはまだ目覚めていない。うなされたりはしていないようだが」
「そうなんだ」
 わたしは少々落胆する。早く話を聞きたいものだ。そんなわたし達にバイロン氏は「では失礼」と言って下がろうとするが、レオンがそれを引き止めた。
「何か続報は?」
 多忙な役人が上司に詰め寄るような姿勢だ。そんなレオンにバイロン氏は苦笑する。
「そんなに慌てるな、レオン。心配しなくても大丈夫、滅多なことは起こらないさ。明日の夕方には叔父さん達も戻るのだし……」
 そこでバイロン氏はわたし達の顔を見るとレオンを手招きした。
「こっちで話そうか」
 頷くレオンはわたし達に向き直り、済まなそうに眉を寄せる。
「夕食まで部屋でゆっくりしていてくれ。後で話そう」
 わたしはレオンに「気にしないで」と答えると、階段を上り始めた。造りがしっかりしているのか軋む音なども無いのに加え、艶めかしい曲線を描く手すりを眺めつつ足を運ぶ。
「やっぱり忙しいみたいね」
 わたしの小声にアルフレートは頷く。
「実権が残っているが故、だよ。ウェリスペルトの方じゃ権限が分かれたり、様々な分野が組織化されてるが、こっちの方じゃまだまだ各領主……提督の裁量が大きい。しかしその権限が無くなれば、一気に瓦解する恐れもある。この地域は脆い板の上でバランス取ってるようなもんだ」
「ふうん……」
 わたしは答えながら一つのドアをノックする。一瞬の間の後、ゆっくりとドアが開かれた。顔を出すのはローザ。奥のベッドにはイリヤが寝ているのが見える。
「おかえり。起きないけど外傷もないし、精神の大きな乱れだとか術にかかったような跡も無いわ。こんこんと寝てるだけみたい。たぶん夜にも目を醒ますんじゃないかしら」
 ローザの見立てに一同安堵する。音を立てないように気を付けながら部屋に入り、規則正しい寝息の聞こえる布団を覗き込む。柔らかい枕に頭が沈み、血色も良さそうな顔があった。
 ほっと息を吐き肩の力を抜くと、どこからか食欲を誘う匂いが漂ってくる。窓からの景色は、暗闇の中にあの特殊な植物たちの光がきらきらと浮かび上がる様に変わっていた。



「殺人事件だなんて怖いわあ。犯人は捕まりそうなの?」
 夕食の湯気を前にローザが眉を寄せる。家族部屋なのか八人がテーブルを囲めばいっぱいになるような小さい部屋だ。こういう方がわたしには落ち着く空間だった。まあ我が家のダイニングはもっと狭いんだけど。
 濃紺と金のストライプの壁紙に魔除けのタリスマンが飾ってある。見慣れない紋様だ。どこかの部族のものかもしれない。こういうものにも地域性を感じる。
 老齢の執事が可愛らしい制服のメイドと、首元の苦しそうな装いの男性使用人に指示を出し、スープが並び、食事が始まった。レオンがグラスを持ち、ローザに答える。
「捜査は徐々に進んでいるらしいがね……。まあタンヴァーも辺境地とはいえ人口は多い町なんだ。こういう事件もたびたび起こるから、護民団も慣れているはずだ」
「その割には慌ただしいじゃん」
 すまし顔でフロロが突っ込むと、レオンは唸る。
「うむ、実は周辺部族の関わりがあるんじゃないかという説が出てる。あくまで説、だが。住民に知られたら面倒になるんだ。それを隠すので慌ただしいという、少々恥ずかしい事態だ」
「あらら、ちょっとまずそうな話ね」
 ローザが声を押さえつつ肩をすくめた。この地域特有の根深い問題に触れた気がする。わたしが深く聞いていいものか迷っていると、
「ふうん、首突っ込んでいい?」
と、遠慮ないフロロ。
「駄目だ」
 レオンは当たり前のように即答する。
「父がいないんだ。勝手な真似は出来ない。それに護民団の顔を潰すようなことは絶対に出来ないんだ。彼らは誇り高い」
「いい子ちゃんじゃんよお」
「君らと一緒にしないでくれ」
 レオンはフロロを横目で睨みつけた。フロロも答えが分かっていてからかっているんだから性格悪い。そもそもこの事件の話を聞いたこと自体、あの留守番役にはいい顔されなそうだ。
「バイロンさんは一緒にご飯食べないの?」
 テーブルを囲むのは我々一同にレオン、ウーラだけだ。周りで忙しなくしていたメイド達も部屋から出ていき、老齢の執事がレオンの傍らにいるだけになっていた。
「ああ、久々のタンヴァーの夜だから友人に会うんだと。まあ気を使ってくれたんだろうけど」
 なるほど、そう聞くと悪い人じゃなさそうかな。立場の割に威圧的なところも無かったし。
「従兄弟のバイロンは、タンヴァー近郊にある大農場といくつかの工場を抱える私の伯父の右腕なんだ。伯父は父の兄にあたる。私のことも可愛がってくれているいい人だよ」
 レオンはそう語った後、「もちろんバイロンもね」と付け加えた。
「農場?」
 フロロの疑問の声にレオンは頷く。
「こんな寒い地域に、と思うかもしれないが、適応する作物はあるもんなんだよ。例えばピュリカとかね」
「あ! それ食べてきたよ。すごく美味しかった」
 わたしの反応に対し、レオンは得意げに皿の一つを指差した。
「これもだって気づいたか?」
 指さされた冷菜の皿をわたしは覗き込む。一通り口はつけたはずなんだが、わからなかったわたしは素直に感心する。
「へえー、食感が全然違うから気づかなかった」
「一度、素揚げにしていますので香ばしさと独特の食感が生まれます」
 さり気ない流れで会話に入り、丁寧に説明する執事の男性を見て、レオンは口元を拭きつつ紹介する。
「彼は執事のアダムス。オルグレン邸で一番の長生きであり、一番の物知りだ。今回、彼が私の元に残ってくれたから両親も安心しているんだよ」
 レオンの紹介に口元をほころばせ、モノクルをつけた執事は丁寧に頭を下げた。
「バイロンもいるじゃないか」
 アルフレートの意地悪い言い方にレオンは苦笑する。
「そうだな、残念ながらバイロンとは、君らが考えるようなややこしい関係じゃないぞ? 年齢がやや離れているのと、私の出自のせいで少し距離感が掴みにくいだけだ」
「私は何も言っていないぞ?」
 サラダを頬張りつつ鼻を鳴らすアルフレートを、ウーラが睨んでいた。相変わらずエルフには厳しいらしい。
 経営者の兄と領主の弟、か。どういう経緯でそうなったのか、気にならないといえば嘘になる。




 食事もあらかた終わり、小さなケーキを摘んでお茶を飲んでいた時だった。メイドの一人が慌ただしく入ってくると、アダムスに耳打ちする。
「ご友人様がお目覚めになられたそうです」
 執事の丁寧な物言いに全員が立ち上がる。マナーもへったくれもない勢いで部屋を出て、ローザを先頭に階段を駆け上がると部屋のドアに飛びついた。
 暗がりの中、騒がしさと勢いに押された困惑の顔がベッドからこちらを見ている。
「あの、えっと……」
 久々に感じる間の抜けた声と、怯えた小動物のように瞳孔の揺れる金の瞳。多少、やつれた感はあるものの、間違いなくあのイリヤだった。ローザが素早く脈を取る。
「体力は回復したみたいね。他は大丈夫? どこか変なところ無い?」
「ああ、うん、無いけど……ここどこ?」
 ローザの質問に答えるイリヤは目が泳いでいた。状況が理解出来ないでいるらしい。
「レオンの家よ。オルグレン邸、分かる?」
「あー、何か見覚えあると思ったんだよね」
 再会した時は夢遊病者のようで不気味だったのだが、今、頭をかくイリヤはわたしの知っている彼のままだ。とりあえず安堵する。
 イリヤの様子を見ながら、みんな無言になる。回復したてに質問攻めにしても悪いかと、とりあえず待ってみるものの、イリヤの方も困惑げにこちらの顔を見るだけだった。
 自分からは何も語りだそうとしない彼に少し苛立ちながら、わたしは質問する。
「それで、何があったの? 他の仲間とはどうしたの?」
 返ってきたのは思いもしない言葉だった。
「仲間? 何のこと?」
 喧嘩でもしたのか苛立った様子で、ならまだ分かる。心底意外そうな声でぽかんとするイリヤにぞくりとする。まるでこちらの勘違いだと言わんばかりの視線に、異次元に迷い込んだような気がしてしまった。
「何、って何言ってんのよ……サラ達のことに決まってるじゃない。セリスが聞いたら怒られるわよ、そんな冗談。今頃、デイビスだって心配してるに決まってる」
 ローザの乾いた笑い混じりの声に、イリヤは「え? ちょっと待って」などと呟いていたが、
「デイビス? 誰、それ?」
 この言葉に部屋が静まり返る。言葉を失うのと反対に、心臓の鼓動はうるさくなっていった。
「じゃあイリヤ、あなたは一人でここまで来たって言うの?」
 わたしの質問にイリヤは眉を寄せる。
「当たり前だよ。学園でも友達なんて出来たことないのに、俺にパーティーメンバーなんているわけ無いじゃん……」
「じゃあ俺らは何なんだよ? 友達だと思ってたのになあ」
 口を尖らせるフロロにイリヤは身を縮め、気まずそうに上目遣いになる。
「それは君らが変わり者だから、俺みたいのに平気で関わってくるんじゃないか。……ああ、そっか、俺を探しに来てくれたんだね。ありがとう」
 お礼が遅れたことにしまったと思ったのか頬が赤くなる。でもこちらが聞きたいのはそんなことじゃない。
「ねえ、本当にふざけないでよ。他のみんなはどこ? 一人で来たっていうならデイビス達はウェリスペルトで待ってるの? ならどうして学園に来てないのよ」
「リジア、落ち着こう」
 ヘクターに肩を叩かれる。イリヤの様子に嘘は無い。だとすれば何かがきっかけて記憶がおかしくなっているのだ。ここで糾弾しても何も分からない。
 理解すると同時に目が潤む。なんで、なんで、何があってこんなことになっちゃったんだろう。まさかサラ達に何かがあったんじゃ。そのショックでイリヤは彼らの存在を忘れてしまったんじゃないだろうか。嫌な想像が止まらなくなる。
「もう少し休んだ方がいいわ。食事を頼んでくる。その後はお風呂でじっくり温まって、それからまた話しましょう」
 ローザの意外なほど落ち着いた声に、わたしは急いで目元を拭う。誰もが不満げな顔で立ち上がり、扉に向かう中、イリヤがおずおずと声をかける。
「ごめん、アルフレート残ってもらえるかな。……ちょっと話がしたい」
 雰囲気からして深刻な様子だが、少人数で落ち着いて話したい、ということなのかもしれない。アルフレートは感情を表に出さない普段の顔で、ゆっくりと頷いた。
 部屋をでるとウーラが待っていた。
「何かあったのですか? ……大丈夫ですか?」
 優しいその声にも、今は「大丈夫」とは答えられなかった。



「どういうことなんだと思う?」
 ローザに充てがわれた部屋に集まり、ベッドに腰掛けたわたしはみんなに問う。ウーラにはレオンに報告をしに行ってもらったが、彼らにも余計な心配を増やすだけになってしまった。みんなの顔を見る中、ローザがゆっくりと言葉を選ぶように答えだした。
「まず思いつくのは精神的ショックを受けての記憶喪失ね。これだとサラ達が危機になってるってことだろうからあまり考えたくないけど。可能性としては高いと思う」
 ローザはすぐに「でも」と付け加える。
「あの時は何も問題ない、って言ったんだけど、実はイリヤの体をチェックした時に、彼の精神内に何か『引っ掛かり』を感じたのよ。あたしにはまだ解けない、何か呪いのようなものが掛けられてる可能性もあると思う。……これが正解だとしても解けないんだから、危機的状況には変わらないけどね」
「イルヴァも仲間のみなさんのことは流石に忘れたことないですねえ」
 イルヴァの真剣な声にフロロがわざとらしく欠伸していた。
 やきもきしながら待つこと暫し、二杯目のお茶を飲み終えたところでアルフレートが入ってくる。
「何の話だったの?」
 飛びつくわたしにアルフレートは「落ち着け」と手を振った。各自が体勢を整え、アルフレートの顔を見る。たっぷりと間を取った後でエルフは口を開いた。
「イリヤの能力が無くなってる。感情を読むことはもちろん、動物類の声も全く分からないそうだ」
 それを聞き、わたし達は再び声を失ってしまった。

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