堕落(input)



パソコンの画面を見て、ひたすらキーボードを叩く。これが私の仕事。最初は数字や英語だらけで意味がわからなかったが、入社して数年経た今は画面を見ながら、お昼ご飯何食べようとか帰ったら何しようとかそういう邪念が頭に浮かぶほど手慣れてしまった。

「さっきからそこばっかり。」

隣のデスクの同期で友達、スナガワが不満そうにこちらを向いた。

「え??」

意味がわからず聞き返すと、鼻歌!!と言ってきた。

「最近よくそれ歌ってるよね。何ていう曲?」

「あー、ふーん♪ふふーん♪ふっふーん♪ってやつ?」

「それそれ。」

無意識にそんなに歌っていたとは。

「いい曲だなと思うんだけど、私も知らないんだ。」


「はぁ??」

「隣の部屋から聞こえてくる歌で・・・。」

「ああ、なんか新しい人越してきたって言ってたね。」

「そうそうー、きちゃったんだよね。しばらく隣に気を使わず悠々自適な日々を送っていたのに・・・。」

残念、と思うとスナガワは呆れたような顔をした。
この顔はつい最近の初詣の時にも見た。せっかく来たのにお賽銭箱の前で財布を家に忘れたことに気づき、「せっかく貸すんだから、良いご縁に恵まれなよ。」と5円玉を借りた時のことである。

この呆れ顔が私は物凄く大好きで、もっと呆れさせたい、もっと困らせたいと思ってしまうのだ。



「で、男?女?」

「うーん、たぶん男の人かなー。うちのマンション、特に挨拶とかもないから会ったことないけどね。」

「じゃあ、もしかしたら・・・あるかもね??」

「あるって何が??」

「良いゴエンだよ。」

「ないと思うけどなー。」




「うわっ・・・」


仕事を終え、会社の階段を下りている時のことだった。

最後の1段、と思ったところには段がなかった。
もう何年このビルの階段を往復してるんだと今更感が否めない。
段を踏み外した私は、膝から崩れ落ちた。

破けたタイツから血がにじみ出ており、打った膝は動かすだけで痛い。おまけに足首を捻ったようだ。



「あの、大丈夫ですか・・・??」

目の前を通りがかったマスクとメガネの青年が心配そうに寄ってきてくれた。

「ちょっと、捻っちゃって立てなくて・・・。あ、いや大丈夫なんですけどね。」

「それ大丈夫じゃないですって。」

彼の差し出した手をとると、ゆっくりと起こしてくれた。

「ちょっと待ってて下さい!」

そして彼は目と鼻の先にあるコンビニへ入ってき、まもなく袋を下げて帰ってきた。中から消毒液やガーゼを取り出した。

「ちょっと。痛い、痛いよ!」

「我慢してください。」

一通りの応急措置が完了したところでタイミングよくタクシーが止まった。青年は私をタクシーに乗せ、行き先として最寄りの病院を告げ、お金を運転手さんに渡した。

「あの、」

「早く病院行っといた方がいいです。傷になるとダメですから。」



あっという間のことで青年の名前や連絡先を聞くのを忘れてしまった。お礼を言いたいというのはもちろんだけど、コンビニの治療道具代やタクシー代など返さなければならないものがある。



病院から帰り、湿布にガーゼに包帯と大げさな足で自宅へと上がった。

まだ、ズキズキと痛む足を見て大人になって転ぶなんていつぶりだろうと考えたが思い出せない。
ソファーになだれ込み、置きっぱなしになっていたリモコンを自分とソファーの隙間から探り当て、テレビのチャンネルを変えた。何気なく変えたチャンネルは生放送の音楽番組をやっていた。


「あ、これ。」

思わず声が出てしまった。

テレビから流れるのは隣の部屋から聴こえた音楽ではないか。


「TrickStar・・・衣更真緒・・・。」



歌っている彼は、今日助けてもらったあの青年に似ていた。


20160315
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