瀬名泉


 仕事のあと、いつもならブラウスにジーパン、足元はスニーカーという泉曰く『色気のない格好』で帰るところを、着なれないワンピースとパンプスに身を包み人生初の合コンに行った。
 どの人との会話も似たりよったり。会話のテンポもほしい返答も泉以上にぴったりと合う人間はそうそういないものなのだと悟るだけの時間を費やした。
 こんな時間を過ごすならば約束どおり泉と家で会って、ああでもないこうでもないといつものように駄弁をろうしていたかった。
 
 電車を降りてマンションまでの帰り道、スマホを見るが新着のメッセージの中に泉からのものはない。
 画面を開くと『今日は仕事で遅くなるから会えない。ごめん』という数時間前に送ったメッセージに既読のマークが付いていた。
 返事がないのはいつものことなので、見てくれたのならよかったとスマホをかばんにしまった。

 マンションの階段を登りきったところでふと異変を感じる。
 自分の部屋の前あたりで扉に背中をあずけて座りこんでいる人影があるのだ。
 暗くて視界が乏しいなか恐る恐る近づくと、マフラーを鼻の真ん中ぐらいまでぐるぐると巻いてコートのポケットに手を入れた泉が丸まっていた。傍目から見ても不機嫌なオーラを纏っていることがわかる。

「遅い」
 マフラーで遮られたその声は少しこもっていた。聞きなれた低い声に、怒られていることも忘れて雪をも溶けるような安心感を覚えた。
 動揺していたが、泉がわたしの部屋の前にいるという事実をしだいに頭で理解できはじめ、メッセージを見たはずの泉がなぜわたしに会いに来たのだろうという疑問がうかぶ。
「なんでここにいるの?」

「来たかったから来ただけなんだけど。悪い*?」

「いや、別にいいけど来るなら言ってよね」

「いいから早く入れてよ。おじゃましまぁす」
わたしは手に持っていた鍵をうばわれ、自分の家のように入っていく泉の後ろを追った。

 泉からコートとマフラーを受け取るとあまりの冷たさに驚いた。いったい何時間待っていたのだろう。聞いてもきっと答えてもらえない。

 泉はいつものようにテレビをつけ、定位置に座った。番組は連日世間をさわがせている大人気のアイドルとモデルのスキャンダルを報道していた。
「こいつもバカだよねぇ」

 本人たちは肯定も否定もしていないという。

「そうかな」

 男と女が同じ部屋から出てくることに恋愛としての意味はあるのだろうか。ふたりきりで会っているというのが問題だったのか。だからと言ってほかの友達を呼ぶというのも嫌で、ふたりだけでいたいときもあるのではないだろうか。今のわたしたちのように。
 
 そんなことを考えていると泉が口を開いた。

「ま、本当のことだし否定はできないんじゃない?」


「え?そうなんだ……」

 テーブルに肘をついて興味なそうな顔をしていた泉は視線だけをこちらに向けた。

「俺だったらこんなファンの夢を壊すようなことはしないけどねぇ。アイドルが1人の人を好きになるのは間違ってる」
「だったらわたしは一般人として1人の人を好きになるのが正解だね」

 アイドルは異性を好きになったら終わりだけど、わたしは一般人として誰かを好きになって結婚することが正しい道筋なのだろう。
 目の前にいる彼はテーブルを挟んだ距離にいても実際はその距離以上に遠い存在なのだとおもった。

 泉はテレビに背を向けてこちらを向いた。

「何言ってんの……? #name2#のくせに生意気」

「生意気って何? わたしだってその内好きな人ぐらいできるからね」

 そういえばわたしたちはお互いの恋愛について話したことはなかった。
 わたしたちはある部分を除いてはお互いの何もかもを知り、理解できている関係だ。そのある部分がいま思わぬかたちで露見した。
 普段しなかった恋愛の話に多少の恥ずかしさと否定的な意見への悔しさを覚える。
「コーヒーいれるね。店のじゃないからおいしくないかも」
 気まずさから席を外そうとすると突然手首を掴まれて床へ引き戻された。

「え? ……え??」

「今日、仕事って言ってたでしょ?」

「うん」

 なにかを確信しているようなこの真っ直ぐな瞳から逃げられそうにない。未だに掴まれる手首に熱が集中しはじめる。

「嘘つき。 アルコールの匂いさせてさぁ。#name2#の匂いがいつもと違うのわかってるんだからね。どこ行ってたの*?」

 泉がわたしの変化に気づいたことに驚いた。テーブルに身を乗り出してわたしの首元に顔を近づける動作は妖艶で、変な緊張感に襲われる。泉が泉でない気までしはじめた。

「同期にたのまれて、お食事会へ……」

「はぁ? 食事会って合コン? そんなとこへ行ったって相手なんかみつかんないでしょ*?」

「まあ、そうだったけど」

 いい加減この居心地の悪い話はやめようと言いかけたとき泉は私を引く手に力を込めた。

「ねえ、俺の側から離れる気?」

「私が誰かと付き合ったり、結婚したりしても泉とは今までどおりだよ」

「男がいるのにそんなわけにいかないでしょぉ」

「友達だって言って許してもらうから平気」

「ふーん」

 腑に落ちなさそうな顔をする泉にわけがわからなくなる。
 泉の瞳には依然としてわたしがうつされていた。

「どうしたの?」

「#name2#がアイドルだったらなぁって」

 唐突につぶやかれた言葉は単なるからかいか、皮肉か――
 それとも、先ほどのアイドルの恋愛はご法度という話に通じているのだろうか。それならわたしに恋愛をするなと言いたいということだろう。
 泉の腹のうちをさぐるもこの手の話は普段しないぶん分からない。どういう意味か問えないわたしはなにを恐れているというのだろう。

「私がアイドルか……ふふっ。絶対無理だね」

 からかわれたと判断して、想像するとあまりの似合わなさに笑ってしまう。

「ほんと、アンタってそういうとこあるよね。そうだねぇ、その顔じゃ。ぜったい無理。それとそのダサいワンピース、ぜんっぜん似合ってないよぉ」

 指をさして嘲笑され、少し腹が立つ。
「うるさい」

 握られた手首も解放され、普通の会話のテンポに戻ったところでこんどこそコーヒーをいれに席を立った。
 あたたかいコーヒーを飲めばすぐに泉の赤くなった鼻も元に戻るだろうというおもいをこめて。

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だいたいそのダサい服

「なんで仕事終わってすぐにアンタに会いに来たと思ってるの*。いないってわかっててこんなクソ寒いのに部屋の前で待ち続けてさぁ。」

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