アカシ
パシャリ。水道の蛇口を捻り、勢い良く水を出した。冷たい。手の中のハンカチを水で濡らしていく。
腕や足がチリチリと小さな痛みを訴えていた。十分に濡らして蛇口を閉める。血のにじむ肘、二の腕の傷口に濡らしたハンカチをそっと押し当てた。
「あまりキンキンに冷やすなよ。逆に傷に障る」
ダイニングから声がかかる。
本当は傷なんてどうでも良かった。痛みさえ。無言でキッチンから出て、ダイニングに戻った。
彼氏の悠斗(ゆうと)がテレビを見ながら煙草を吸っていた。ゆったりと煙をくゆらせている。妙に甘ったるい香り。外国産の煙草だったが、銘柄は分からなかった。
親友の愛は苦手な香りだと言っていたが、私は結構好きだった。悠斗の香り。
隣に静かに座った私に悠斗はちらりと目を向けてくる。私は俯いたまま手の中のハンカチを握りしめていた。悠斗の軽いため息が聞こえてくる。
しばらくして悠斗は無言で私の手からハンカチを取り、こちらに胡座をかいて向き直った。
「あーあ。顔にまで」
そう言いながら、右頬に軽く濡れたハンカチを押し当てる。私はピクリと眉をしかめた。小さな痛みが走ったからだ。
伏し目がちに自分の格好を改めて見つめた。
埃に汚れた白いセーラー服。プリーツスカートは一部が破れて、だらしなく糸を垂らしていた。今の私にピッタリ。顔や腕や足のあちこちに傷を作り、惨めな姿にピッタリ。
「ここ腫れてんじゃん。病院に行け」
拳大の青痣になった、腫れ上がったふくらはぎ。思いきり蹴られた場所だった。
「病院なんて別にいい」
私はゆるく首を横に振る。傷なんて本当にどうでもいい。膿んで破傷風になってしまったって。
傷みを──痛みを。もっと。
このチリチリとした小さな痛み。それが私。
私だという証。
この痛みは私を、私の存在を認めてくれている。蓮見彩(はすみあや)という私を形成させている。それは私をいじめる由佳達も。由佳達は私を彩(わたし)と認めてくれている。だから、私を見ていじめる。
だからなんとも思わなかった。こんな傷。
私に痛みを。もっと。
「狂ってる」
そう言いながら、悠斗は灰皿に煙草を揉み消した。リモコンで見ていたテレビも消す。ふいに腕を引き寄せられた。私はされるがまま、悠斗の腕の中に収まる。甘い香りが鼻腔をふわりとくすぐる。煙草の香りだ。
悠斗の唇が私の頬の傷に触れて、舌で舐められた。
チクリと走る痛み。それに安心をして私は静かに瞳を閉じる。
悠斗の唇はそのまま首筋に下り、私は彼の背中に腕を回した。
甘く甘美な痛み。私は溺れながら悠斗の背中に爪痕を残す。
初稿 2013
改稿 2015/6/17