「、、、」


「だから、そんなに緊張すんなよ」



あの日、花火を見に此処へ連れてきた日の様に、拠点を見上げ石みてえに固まったみょうじにそう声をかけるが返事はない。今朝家を出た時からずっとこんな調子だ。

今日から、みょうじはポートマフィアの正式な構成員になる。首領に勧誘され、頑なに断ってたみょうじだったが、先日ついに根負けしたらしい、半ば諦めにも似た形で諜報員になることを受け入れた。自分にそんな大層な役目が務まるはずがないと、最後の最後まで言っていたが此奴の動物と会話出来る異能は、使い様によってはありとあらゆる情報収集が出来る。とはいえ、首領もそれだけの理由でみょうじをスカウトした訳ではない。お嬢もみょうじをえらく気に入っている、というのも絡んでいる筈だ。


「構成員には予めお前のことは伝えてるし、誰もこの事に対して悪く思ってる奴はいねえ。もし居たとしても、其奴は俺が始末する。だから安心しろって」


「いやいや何物騒なこと言ってるんですか!」


安心させるつもりで言ったが、如何やら逆効果だったらしく、益々顔を青白くさせるみょうじの目尻には涙が溜まっていた。此奴、こんなんで本当にやっていけるのかよ。
まあいい、組織の内部外部問わずどんな非常事態が起きても俺が守ってやれば済む話だ。



「あ!なまえ!!」


エントランスに入るや否や、マフィアの拠点にはそぐわない幼く高い声がみょうじを呼ぶ。パタパタと駆け寄るそいつに、さっきまでガチガチに緊張してたみょうじの表情が和らいだのが直ぐに見て取れた。


「エリスちゃん!」


「今日から仲間になるんでしょ?私が案内してあげる!」


「、、え?エリスちゃんが案内してくれるの?」


お嬢の言葉にきょとんとするみょうじが俺をちらりと見る。子供の言うことだ、間に受けんなよ、と言おうとしたがお嬢は未だ困惑状態のみょうじの手を取り走り出す。


「お嬢?!」


「リンタロウには許可とってる!じゃあねちゅうや!」


まずはこっち!とお嬢に引っ張られるがまま、走り去っていくみょうじの「えええええ」という情けない悲鳴がどんどん遠くなっていく。拠点に入って1分と経たない内に、離れ離れになろうとは彼奴も思ってなかっただろう。
止める事も、出来なくはなかった。しかし、首領に許可を取ってまでみょうじを案内するというお嬢の熱意を無碍にするのも気が引けたし、案外お嬢といた方が他の連中とも打ち解けやすいかもしれない。それに予め下のやつらには、仲良くはしてやれ、但し手は出すな、と言い聞かせている。まあ、なるようになるだろう。そう自分に言い聞かせ少し釈然としない気持ちを押し込む。
今日は一日みょうじについてやる心算だったが、初っ端からその予定が崩れてしまった所に、タイミングが良いと言うべきか、部下から連絡が入った俺は仕方なく其方に向かう事にした。




**********




正午前、出先から戻りみょうじがいそうなところを探してみるがその姿は見当たらない。お嬢のやつ、一体何処へ彼奴を連れて行ってるんだ?



「おい、お嬢とみょうじ見なかったか?」


「ああ、みょうじさんなら確か尾崎さんの部屋にいらっしゃいましたよ」


「そうか、わかった」



呼び止めた構成員から得た情報をもとに、姐さんの元へ向かう。初めて此処へ連れて来た時も、姐さんは一目見るなりみょうじのことを気に入っていた。恐らく、茶を一緒に飲まされたり話を聞かされたりして長いこと捕まっているのだろう。女は喋るのが好きな生き物とはよく言うが、姐さんはその中でも取り分け舌が回る。
もう昼飯の時間だ、息抜きがてら外に連れてってやろう。そんなことを考えながら無駄に長い廊下をいつもより少しだけ早足で歩く。ちょうど姐さんの部屋が視界に入った時、二人が楽しげに話しながら出てくるのが見えた。



「あ!中原さん」


俺の存在に気づいたらしい、嬉しそうに名前を呼ぶみょうじは尻尾をちぎれんばかりに振る犬のようで、その姿についニヤけそうになる口元を抑える。こんなとこ、姐さんに見られたら莫迦にされかねない。


「なんじゃ中也」


「みょうじが此処にいるって聞いてな」


「ほう、そうか。それはご苦労であったな。しかし、これからなまえはわっちと金ぷらを食べに行くでな」


「紅葉さんが、美味しいお店に連れてってくださると言うので」



キラキラと目を輝かせるみょうじに、そんなことを言われては止めるわけにはいかない。それより、いつの間にか姐さんを名前で呼んでることがひっかかった。俺はまだ中原さんとしか呼ばれてねえのに。


「では行くとするかの」


「あ、はい!中原さん、行ってきますね!」


仲睦まじく姐さんと談笑しながら歩いていくみょうじは、今朝の緊張は何だったのかと聞きたくなるほど和やかな雰囲気を纏っていた。それは、喜ばしいことのはずなのに何故か面白くないと思ってしまう。


「、、クソッ」


彼奴が、ボスからの誘いを受けると聞いた時、正直驚いたが悦びの方が何倍も勝っていた。これで、プライベートだけでなく仕事中もみょうじと一緒に過ごせる。いつでも自分の手に届く距離にいるということは、何かあっても直ぐさま駆けつけて守ってやれるということだ。その事実が堪らなく嬉しく、優越感にも似た何かを感じずにはいられなかった。
とはいえ、お嬢や姐さんに嫉妬しているようでは、もしもこの先みょうじが男の構成員と話すようになったりでもしたら、それこそ面白くないどころの話ではなくなりそうだ。



「中原幹部、連絡があったのですが、何でも取引先と揉め事が生じたらしく、、」


「、、チッ。わかった、直ぐに向かう」


俺の機嫌が優れないのを感じ取ったらしい、申し訳なさそうにそう伝えてくる部下は用件を伝えるとそそくさと去っていった。よりによって腹の虫の居所が悪い時に、面倒な仕事が入ったもんだ。
気を少しでも紛らわせる為に、取引先へ向かう足は気付いたら普段より強くアクセルを踏んでいた。



**********



とっとと終わらせて帰るつもりだったが、取引は想定外に長引いてしまい拠点に戻る頃には陽が沈みかけていた。それもこれも取引相手の偏屈オヤジのせいだ。偉そうに踏ん反り返るでっぷりとしたビール腹を何度蹴り飛ばしてやろうかと思ったことか。
まあそんなことはどうでもいい。今日の仕事はこれで終わりだ。早いとこみょうじを見つけて連れて帰ってやろう。
何日も、下手したら何週間も顔を見ないことはザラだった。其れなのに、今日は数時間離れているだけで落ち着かなかったとは、この先が思いやられると我ながら思う。


「中原さん!」


車を停め、緋色に染まった道を歩いていると此方に向かって走ってきた1つの影。逆光で分かりにくいがその声色から笑顔だということは容易に想像できた。


「よくわかったな、帰ってきたのが」


「中原さんの部下の方が教えてくれたんです。そろそろ戻られますよって」


それでわざわざ走って出てきたのか、少し息を切らしながら「お帰りなさい」というみょうじはへにゃりと笑った。その一言と笑顔だけで今まで腹の底で蜷局を巻いていた灰色がかった感情が消えるのだから、我ながらチョロい人間だと思う。
抱き締めそうになる衝動をグッと堪えたが、それでも触れたいという気持ちは抑えきれず、西日を浴びるみょうじの頭に手を添え、柔らかな髪を指に絡ませながら頭を撫でた。


「わっ、なんですか急に」


「何でもねえよ、帰るぞ」


乱れた髪を整えながら、はあいと間伸びた返事をするみょうじの、こんな隙のある姿を知っているのはまだ組織では俺だけだ。そしてそれはこれから先も、俺だけが知ってたらいい。そんなことを考える俺の気持ちを知ってかしらずか「やっぱり中原さんといると落ち着きますね」なんてさらりと言ってのけるみょうじに、この独占欲を悟られないようそうかよ、と短く返す。

こんな日々がこれから先続くのかと思うと、悪くない。






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