悲劇に前触れなんて無い。

言葉通り魔法省に入ったお姉ちゃん。学校でも成績優秀で卒業したお姉ちゃんは、卒業した後も軽く伝説のように扱われていた。そんな人が、血は繋がっていなくても私の姉であることに得意げになっていた時。


私はついに、呪文が使えるようになった。



それはひどく雨の降る夜だった。孤児院を何者かが襲った。悲鳴や激しい物音が聞こえて、慌てて玄関に出れば、そこには小さい子たちを乱暴に持ち上げながら杖を構える数人の魔法使いがいた。

仮面をかぶっているのか顔は分からない。だけど、声の低さからして男の人であることはわかった。話している言語は英語だ。とっさに頭をかすめたのは、闇の魔法使いという単語。

私は懐にしまっていた杖に手を伸ばして握る。呪文なんて今まで成功してこなかったから言えるかは分からない。だけど、麻痺呪文を唱えないと。そう思って杖を振るも、やはり私の杖はウンともすんとも言わなかったのだ。

殺される。そう思って目を瞑れば、大好きなお姉ちゃんの声が聞こえた。


「リン、逃げて!!!!!」


ローブを翻しながら、バシンっと音を鳴らして現れたお姉ちゃんは私に背中を向けて、組紐のついた杖を大きく振った。赤い光が前にいる魔法使いに命中して、子供達がその手から離れて地面に落ちる。泣きじゃくる子たちを胸に抱きしめて頭を撫でて、助けを求めるようにお姉ちゃんと叫んだ。


「お姉ちゃん...!!」
「リン、その子達と一緒に隠れてて...!!」


いつもの優しい声のお姉ちゃんじゃない。とても切羽詰まった声で振り返らずに言って、走っていくお姉ちゃんの背中を見つめる。私は、子供達を奥の部屋に隠して。孤児院の院長に、音を出さないで静かにしていて欲しいとお願いをした。


「リンは...一体どうするのですか...?」


青ざめた顔でそう聞いた院長を無視して、私は部屋の扉を閉じて、孤児院を出る。騒がしいのは私のいる孤児院だけではなかった。そこらじゅうから悲鳴や物音が聞こえる。


まだ未成年の私にだってわかった。
闇の魔法使いに襲われているんだ、ということが。

そこかしこに見える色あざやかな組紐のついた杖を振る日本人。その数は明らかに敵よりも多いのに、苦戦しているように見えた。

私はお姉ちゃんを探す。
授業で習った。闇の魔法使いは、女だろうと子どもだろうと、容赦はしないと。




「お姉ちゃん!!お姉ちゃん!!」


夜空に浮かぶ不気味に光る印。それがない場所をたどっていけば、とある部屋で交戦していたお姉ちゃんを見つけた。

「リン...!?隠れててって言ったでしょう!?」

お姉ちゃんは一瞬焦った顔を見せながらも、すぐに迫り来る呪文を無言でいなして、相手を吹っ飛ばすと私のすぐ近くによる。
ローブのフードを頭から外して、私の肩を掴んで必死に声を上げるお姉ちゃん。


「逃げて、お願いだから...!!」


その言葉をどうしても素直に受け止められない私を、シスコンだと笑ってくれたって構わない。私はお姉ちゃんを、ひとりになんてしたくなかったのだ。

そんな時、後ろで倒れていたはずのその人が立ち上がり、杖を振った。私に向いていたお姉ちゃんはそれに気づかなくて、もろにその呪文に当たってしまった。



途端に、この世のものとは思えないほどの叫び声をあげて床の上でのたうちまわるお姉ちゃん。


「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁ...!!!!!」


これでもかというぐらい拳を握りしめて、手から血が出るほどに爪を食い込ませているお姉ちゃんに、敵はさらに呪文を浴びせた。


「...........!!!!!!」


もはや声も出ないのか、お姉ちゃんは目を大きく開きながら床を何度も体で叩きながら、その苦しみから逃げるように暴れていた。


「お姉ちゃん...!!」


禁じられた呪文の一つ、磔の呪文だ。
死んだほうがマシだと思わせるほどの苦痛を与える呪文。英語で、クルーシオ。


私はお姉ちゃんの元によって、涙を流しながら彼女の手を握る。それでも、お姉ちゃんは首を横に振りながら、私に逃げてと言っていた。

その間も、敵は何回もクルーシオと叫びながらお姉ちゃんを苦しめていた。動きたくても恐怖で動けない無力な私。どうしようとお姉ちゃんとその人を何度も見る。
不意にこっちを向いたその人が、仮面越しでは有るけれど、ニヤリと笑みを浮かべたのがわかった。その杖がこっちを向くと、そいつは無言で杖を振り、私を石にした。

体が動かない。内心ばくばくなのに、浅い呼吸なのに、口で息をすることも叶わない。
目だけはかろうじて動くから、そいつの動向を見ていれば、そいつはお姉ちゃんの足を引っ張って無理やりその足を広げた。


「んんんん!!!」

暴れるお姉ちゃんにもう一度クルーシオと杖を振れば、また悲鳴をあげながらのたうちまわるお姉ちゃんに、追い打ちをかけるかのようにそいつはお姉ちゃんのズボンを無理やり呪文で切り裂いた。

やめてくれ。やめて。やめてください。

そんな言葉を出させてもくれない石状態の私は、されるがままになっているお姉ちゃんをただ、ただ、見つめることしかできなかった。
お姉ちゃんは目に涙を溜めながら、逃げて、逃げて、と何度も言う。

私はそんなお姉ちゃんを見ながら、動け、動け、お願いだから、動け、と心で何度も自分の体に向かって叫んだ。

その時。

そいつがあろうことか、お姉ちゃんを犯しながらクルーシオと唱えた。

卑劣な行為に加えて、なおもその呪文を唱えるそいつに。
海老のように背中を反らして何度も床に体を打ち付けるお姉ちゃんを、下品な笑みを浮かべて笑うそいつに。

悔しさで涙が出るどころではなかった。

私は無我夢中で、硬直呪文を打ち破って、ローブの中に潜ませていた杖を握り、叫んだ。


「クルーシオ!!苦しめ!!」


勢いよく壁に打ち付けられるように吹っ飛んだ男に追い打ちをかけるかのように、もう一度。何度も。

耳をつんざくような悲鳴が聞こえなくなった時、私はその場にへたりこむ形で床に倒れた。慌ててお姉ちゃんの方に向かう。お姉ちゃんは涙を少し流しながら荒く呼吸をしていて。


「リン...リン...!!」


自分が一番、辛い目にあっていたのに。それなのに、私をきつく抱きしめて、何度も私の名前を呼んでくれた。

お姉ちゃんの背中に回した私のローブは。


お姉ちゃんの着ているローブとは全く違う、真っ白な、汚れの知らない色に変化していた。



ALICE+