きみのこころがこわれるまでの

(DVの表現有り)





「名前、見てくれ。首飾りを購ってきたんだ、手前に」

 中也の何処か嬉しそうな声が響く。彼に贈って貰った物の数は一体幾つになるだろうか。

「ありがとう。綺麗な水色ね」
「だろう?その服に善く似合う。それに、水色が一番好きだっただろ」
「……うん……着けてみるね」

 首元に水色の雫が揺れる。成る程、服の白と水色が互いに飾り合って綺麗な光が生まれていて、美しい。

「……ありが、とう。中也」

 もう一度お礼を云う。―――その声は掠れては居なかっただろうか。

「……喜んだなら、良い」

 目を細めて中也が答える。その目は私を見ているのだろうか。否、間違いなく私を捉えているのだろう。



 この白い服は彼に貰った物だ。服だけではない。装飾も、髪飾りも、今は着ていない上着も、……下着まで。

 自分の弱々しい細腕が見えた。其処に見え隠れする痣を見て見ぬ振りをして、また中也に笑いかけた。
 
 本当は、水色よりも好きな色は有る。白い服だって好みではない。
 然しそれを彼に云ってはいけない。悟られてもいけない。それは贈って貰った物だから、と云うだけではなく。
 確かに貰い物に対して好みではないと云うのは私だって嫌だし、そんな失礼な事はしたくない。然しそう云う問題ではない。
 単純に、彼が、怒るからだ。身に着けていないと。それを喜ばないと。



 最初は任務で一緒になっただけだった。私は彼が、怖い見た目によらず良い人なのだな、と云う印象を受けたし、向こうも此方は話しやすい人間だ、と云う感じを抱いたらしい。
 それからよく一緒に居る様になってからも、私から彼の印象は変わらなかった。然し、彼の感情は、いつの間にか、愛情へと変わっていたらしかった。

『好きだ』

 告白されたのは数か月前で、私も嬉しくない訳では無かった。

 でも、当時の私にとって、恋愛は優先するべきものではなかった。そういう事が問題なのではないのは判ってはいたが、それ以上に、彼の事は友達だと思っていて、恋人とは受け入れられない事を、自分自身が察していた。

『……ごめん』



 それからだ。中也が豹変したのは。



 彼は、普段は私に暴力は振るわない。彼の拳が私に向かうのは何時だって、私が、彼から贈られる何かを、少しでも拒んだ時だ。
 否、拒む処ではない。少しでも喜ばない素振りを見せたものなら、もう駄目だった。一寸でも遠慮したり、戸惑ったりすると、それは始まった。

『…………』
『中也……っ!?ごめんなさい、ごめんなさいごめっ……ぐっ、いや、ああっ!!』

 殴ってくる時、彼はいつも何も云わない。ただただ無言で、無表情で、何も感じていない様な顔で、私の腹を殴り、腕を捻り、頸を絞め、脚を蹴る。

『今日、出先で見つけてなァ』

 それが終わると、何事も無かった様に会話を再開する。また優しい笑顔に戻る。最初の頃は反応できずにまた殴られたけど、もう私も慣れてしまって、痛みを堪えて微笑み返す。

 それは贈り物に限った事では無かった。私だって、痛いのは厭だから、彼を避けようとしたし、あまり長く一緒に居たくは無かった。然し彼はそんな私の心を読んだかの様だった。避けようとしても捕まってしまう。離れようとしても逃げられない。



 この関係は何なのだろう。暴力で支配される恋人同士の関係なら、私だって聞いた事くらいはある。然し私は中也の恋人ではない。
 あの日から、その関係に為る事を拒んだあの日からそれは始まってしまった。
 恋人になれば良かったのだろうか、と今でも思う。あの告白を受け入れれば良かったのか、と。

 然し、答えは、『無理』だった。私にとって中也は如何しても友人で、それ以上でもそれ以下でも無かった。そしてそれは一生かかっても変わる事は無いだろう、と。
 私には恋愛など向いていないのだ。男と交わる自分なんて想像できない。



「名前」
 
 彼の声が聞こえた。

「名前。……何を、考えてる」
「……!いいえ、別に何も。本当に嬉しいよ」

 慌てて答える。物思いに耽り過ぎたらしい。……また、殴られてしまう。

 然し中也は、僅かに微笑んだだけだった。すっと腕を伸ばして、私の頬をそっと撫でる。黒い手袋越しに、その温もりが伝わってくる。
 彼が微笑んだ侭囁きかけてくる。

「……なぁ、早く楽になれよ」
「……中也?」

 視界が暗くなる。気付けば彼の腕の中に居た。優しく、壊れ物を扱う様に、抱き締められている。

「簡単だ。一寸力を抜くだけで良い」

 囁きかけてくる彼の言葉は、脈絡も何も無くて、意味が判らない。



 ――――――否、違う。本当は何を云っているのか判っている。

 態と私の好みから外した贈物(プレゼント)。恋愛が出来ない私にかけてくる恋人の様な言葉。私は彼からの報復が怖いから、何かから目を背けてそれらを甘受する。
 
 こんな色が好きな訳じゃない。こんな服なんて着た事は無い。こんな装飾品着けた事はない。

 こんなもの、こんなことば、こんな、こんな、こんな。

 贈られる物は全部、全部、『私』からは外れる物だ。

 それらは一つひとつならば細やかで、何も無い。でも降り積もって降り積もって、確実に『私』が浸食されていく。

 そしてそれは、暴力を伴って、私の弱い心を―――――には十分過ぎた。



「名前、俺は手前の強さが好きだった」

 強い。私は強かっただろうか。然し確かに、以前の私は今より、きっと強かった。

「だが手前は其の侭じゃあ、俺の物には為らねえんだろ」

 嗚呼、だから。だから貴方は、私を。そうしないと手に入れられないから。


「――――――だから、もう、壊れてしまえ」


 その言葉には、確かに、愛情が込められていて、それは私を支配していった。私の頭の中はもう自らの意思など無いに等しかった。

 自分の中にある、ばらばらな何かから目を背けた。私は温もりに身を委ね、ゆっくりと目を閉じた。

(2016.11.30)
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