雷鳴

珍しくバイトが休みの今日、私はオロチと共におおもり山に来ていた。なぜおおもり山?という感じだが、こちらが聞きたい。今日は家でごろごろしよーっと思っていたところにオロチが現れて、一緒に来るよう誘われた(命じられた?)のだ。

とりあえず大人しくオロチの隣を歩くものの、もともと彼は寡黙な人柄(妖怪柄?)と、そうポンポン会話が弾む訳でもなく…私なんでここにいるんだろうと思ってしまうのは仕方ない…と思う。



「ねえ、オロチ」
「…何だ?」
「えーと…どこに向かってるの?」
「特に決めてないが」
「え!決めてないの?!」


ではなぜ私はここに!
改めて愕然とした私を見て、オロチがしゅん、と目を伏せた。


「…迷惑だったか?」
「え、いや、そうじゃないんだけど…」


な、なんかオロチの頭に犬の耳が見えるような…。オロチって蛇じゃないの?
あわあわと否定すると、オロチはぱっと顔をあげて微笑んだ。


「なら、問題ないな」
「あ、うん…」


…今私、うまく丸めこまれた気がする。

オロチは心なしか上機嫌になったようだ。いつもは浮遊しているオロチだが、足をつけて私の隣を歩き出した。少年の姿をしているから、私より少し背が低い。そんなオロチの頭頂部を見ていると、ふと目があった。思わず心臓が跳ねる。


「七海」
「う、な、なに?」
「今日はいい天気だな」
「え?あ、そうだねー…」


見上げた木々の間から見える空は、きれいな青空だ。ただ、さっきよりも少し雲が増えた気がする。最近ゲリラ豪雨多いし、降らないといいんだけど。
そうぼんやり考えていると、「七海」ともう一度名前を呼ばれた。


「うん?」
「男女で出掛けることをデートだと聞いた。これもデートになるか?」
「えっ?!」


今のは幻聴だろうか。オロチからデートって聞こえたけど…。

しかし幻聴ではなかったらしい。なぜならオロチが、「デートなのか?」と重ねてきたからである。まるで覚えたての言葉の意味を、親に確認するように。


「ええ?!デート?!」
「違うのか?」
「ええ?!いや、どうなんだろうね…」


これは一体どういう意味なのか。
私の頭のなかは既に大混乱状態だ。
うまい切り返しを必死に考えるが、全く思い付かない。

確かに、今までオロチは思わせ振りな言葉を口にすることが多かったけれど…いつも親切心だと思っていたから。

いや、でも「思い違い」だったらかなり恥ずかしい。

ぐるぐる考えて、結局私は笑ってごまかすのだった。

そんな私を見たオロチは、明らかに不満だという顔をした。答えがほしい。そう目で訴えられている、気がする。


「七海」
「う、ん?」
「お前は知らない振りが得意なんだな。今も、昔も」


それは。

私は息を飲む。核心をつかれた。

ここまで言われて気づかないほど、私は鈍くはないと思う。確かに遠回りな言葉かもしれないけれど、オロチの言わんとしていることを、私は肌で感じ取っていた。オロチの細長い目が、私の目をい抜く。体が動かなかった。


「七海」


オロチの口から言葉が出てくる前に、頬にポツリと雨粒が当たった。いつのまにか辺りが暗くなっていて、ポツポツとどんどん雨粒が増えていく。はっとしたオロチがまだ動けない私の手を掴む。驚く暇もなく、オロチが引っ張るように走り出した。


「お、オロチ」
「…一雨くる。とりあえず雨宿りだ」
「う、うん…」


ぐいぐい引っ張られてたどり着いたのは、大きな木の根本だった。避難した途端にザアザアと大雨が降りだした。迫り来るような豪雨の飛沫に、辺りの景色は白んでいる。さすがにこの大木でも防ぎきれないわずかな雨粒が、私たちの頬に落ちてきた。

けれどオロチはまだ、私の手を握ったままだ。暗い空を、睨み付けるように見上げている。仕方なく反対の手で濡れた頬を拭う。そして私はその横顔をぼんやりと見下ろしていた。




私はオロチのことが、好きなのだろうか。

端整な横顔を見ながら、私は自分に問いかける。

オロチと一緒にいるのは好きだし、静かに流れる時間も、居心地は良かった。思わせ振りなことを言われれば、少なからず動揺するし、その意味を知りたいとさえ思う。

しかしだからといって、それが恋愛の意味で好きなのかと聞かれれば、私は自信をもって頷けない。それをできなくしているのは、私は人間でオロチが妖怪だという、どうしても越えられない種族の壁なのである。

オロチのことを、好きだと自信をもって頷くには勇気がいる。そしてオロチの気持ちに応えることにも。

いや、勇気どうこうの話ではない。私は今も、オロチがいうようにそれを「気づかない振り」をしていたんだ。そしてそれを悟られまいとして、「今回も」バレた。

どうしよう。

気まずい雰囲気のなかで、私は答えを出すべきなのか、ただそれを考えあぐねいていた。

もちろんオロチは無言だ。発言権は私に委ねられている。ぎゅっとまた、強く手を握られた。


「オロチ、私、」
「いや、いい」
「え?」
「今はまだいい」


思わず口に出た言葉を、オロチは遮った。ゆっくりこちらを見上げる目とかち合う。


「ただ、もう知らない振りはよしてくれ」


私の唇が一瞬震える。無意識のうちに、私は彼を傷つけていたのだ。


「オロチ…」
「俺はお前が好きだ。おそらく、初めて目があったときから」
「うん…」
「ずっと、気になって、ずっとお前を見てきた」
「うん、」
「だから、七海がどうして俺に戸惑うのかもわかる」


握られていない手が、下からすっと延びてくる。体温はない、オロチの手。私の頬を撫でて、すぐ離れていく。


「今は、俺に応えてほしいとまでは言わない。実際、俺だって覚悟ができていないんだ。でも、知っておいてほしい」
「オロチ…」
「好きだ、七海」


今度はオロチの、水色のマフラーのようなものが延びてくる。そのまま引き寄せられて、オロチが額を私に寄せた。ふわふわとオロチの髪の毛が、私の頬の辺りを擽った。



私はオロチのことを好きなのだろうか。


もう一度自問自答する。
ただ、この胸の高鳴りは誤魔化しようがなかった。それから胸の奥からわく、切ないような、甘い疼きも。

まだ自信をもって頷くには、覚悟が足りてない。でも、オロチの気持ちからから目を背けるのはやめよう。

そっと、オロチの頭を撫でる。
ゼロにはなれない、少しだけもどかしいようなそんな距離が、今の私とオロチの関係なのだろうと思った。


まだ雨はやまない。
遠くで雷が、鳴っていた。