夕方、君との帰り道

今日はバイトの上がりが夕方だった。アッカンベーカリーから外に出ると、いつもは暗い夜が降りているのに、今日はまだまだ明るい。何だかちょっと得した気分になる。今日という日が終わるまでの時間が、いつもより長く感じるからだ。明日はバイトが休みだし、これがOLさんの言う「花金」なのかなと思った。

疲れた体を解すように、ぐっと背伸びをする。さて、お母さんから頼まれた買い物をして帰ろう。そう思い、一歩踏み出したときだ。「仕事は終わったのか?」とどこからともなく声がかかった。声の主を探すと、そこにはすっかり馴染みとなった彼の姿があった。


「…オロチ」
「迎えにきた」
「あ、ありがとう…」


いつもなら、ありがたくて、ちょっと気恥ずかしくも嬉しいオロチの、お迎え。
けれど、今会うのは猛烈に気まずかった。なぜなら私は彼から先日告白を受け、その答えを保留にしているからである。オロチの気持ちに目を背けないと決めたけれど、だからといって彼との関係が特別なものに変わるわけではないのだ。中途半端なこの関係は、とても気を使う。…というかどうしたらいいのかわからなかった。


「七海?帰らないのか?」
「えっ!あ、うん、帰る、帰るよぉ」


ぼんやりしていた私に、オロチが不思議そうに首を傾げる。私が慌てて首を振ると、オロチはじっと見つめてきた後、「行くぞ」と歩き出した。今日の彼は浮遊しないらしい。私はその背中を追いかける。

先日のことがまるでなかったのではないかと思うくらい、オロチは普通だ。…今までどおりでいいのかな。こっそり息をはいて、オロチの隣に並んだ。


「今日は早かったんだな」
「あ、うん、シフトの関係でね。そういえば、気になっていたんだけど…オロチっていつも待っててくれてるの…?」
「ああ、なるべくお前傍にいたいからな」
「そ、そっかあ」


…何かこの会話恥ずかしい。オロチを意識しだすと、私は今までどおりにいかなくなる。雑念よどっかいけ!と頭を振ったところで、私はお母さんから買い物を頼まれていたことを思い出した。


「あ、オロチ。私、買い物頼まれてるの」
「買い物?どこだ?」
「魚良。寄ってもいい?」
「ああ。むしろ好都合だ」
「?オロチも買い物?」
「いや、いつもより七海と長くいられるだろう?」


ふっとオロチが笑う。その顔がとても嬉しそうで、私は顔が熱くなった。…今のはちょっとかっこよかった。それにしても、オロチはなんだか以前にも増して恥ずかしい言葉を口にするようになった気がする。

こういうのに慣れていない私にとってはかなーり心臓に悪いんですけど!

急に黙りこんだ私を不思議に思ったのか、オロチが顔を覗きこんできたので、慌てて顔をそらした。でも、結局バッチリ、見られてしまったのだけど。


「フッ顔が赤いぞ」
「ちょ、見ないでよ…!」
「なぜ?可愛いのに」
「オロチ、それ恥ずかしいよ…」
「本当のことだ」


もう勘弁してください。


思えば、私はいつもオロチにうまく丸め込まれている。今だって機嫌を良くしたオロチが、動揺で何も考えられない私の手を引いて歩き出してしまった。
いくら人がいないとはいえ、まだ夕方だ。他人には見えないオロチと手を繋いでいたら、私は完全に変人である。それに、私たちは恋人ではないのに。
隣のオロチは、すました顔。
ハラハラしているのは私だけで、それがなんだか悔しかった。
この手はいつまで繋がれているのだろう。外すタイミングを伺っていると、オロチが先に「先日言い忘れていたのだが」と口を開いた。


「もう遠慮はしない」
「えっ?!」
「蛇は狙った獲物を逃がさない」


こちらをみたオロチの、すっと細められた目。金色のそれが、ギラギラ光っていた。


「俺の気持ちを知ったのだから、それなりの覚悟をしておけよ」


それは私が蛙だと言うことか。

あまりのオロチの変貌ぶりに、私はただ閉口する。しかしオロチは機嫌よく前を向き、私の半歩先を歩く。その手に引かれながら思うのは。


(どうしよう…)


困惑と、


(でも、嫌じゃないかも)


僅な、甘いふわふわした気持ちだった。



「ところで七海、魚良の前に少し寄り道していいか?もう少しお前と一緒にいたい」


振り返ったオロチの目が、今度は優しく細められたから。


「う、ん」


私はただ頷いていた。
それは初めて私が、無意識にオロチへの気持ちを肯定した瞬間でもあった。