自覚したら会いたくなる

次の日、私は見事に風邪をひいていた。
いや、風邪というよりも知恵熱と言った方が正しいかもしれない。昔から何かに悩んだりストレスがたまると、私はなぜか熱を出すのだ。
ピピッと軽快な音を体温計が鳴らす。38度の表示にため息をついて、私は深く布団を被った。


「姉ちゃん…?」


いつのまにか私はうとうとしていたらしい。ノック音が聞こえて目を開けると、景太がいそいそと部屋に入ってくるところだった。
景太はベッドの横まで来ると、「大丈夫?」と覗きこんでくる。けほけほと咳混んでから、私はひとつ、頷き返した。


「風邪移るから…自分の部屋にいたほうがいいよ」
「うん…でも、ひとつ、聞きたいことがあって」
「なに?」
「姉ちゃんを泣かしたのって誰?」


思わず大きく咳き込んだ。「大丈夫?」と再度聞く景太の声は穏やかであるが、目は真逆だ。


「姉ちゃん、教えて。どこのどいつ?俺が殴ってきてあげる」
「ええーと、ケータ?まずは落ち着いて…」
「俺はすごく落ち着いてるよ」


その落ち着きが逆に怖い。笑ってごまかそうと思ったが、景太の目はマジだ。


「もしかして、オロチ?」
「えっ?!」
「オロチなんだね」


しまった、と思ったときには遅かった。
よし、俺行ってくる!と爽やかな笑顔を浮かべて、景太が立ち上がる。何でこういうとき、うまく嘘をつけないんだろう…!
慌てて私はその手を掴んで無理矢理座らせる
。今ここでこいつを解き放つのはまずいと思ったのだ。高熱を出していてもなお私の働く本能は有能であった。


「姉上、止めてくれるな」
「何そのキャラ!ちょ、ほんと待ってケータ!」
「だって、オロチのやつ、姉ちゃん泣かしたんでしょ?殴られて当たり前だと思うけど」
「いや、あのね、これにはふかーい訳があってね、」
「そんなの関係ないよ。姉ちゃんが泣いてる。それだけで十分有罪」


この子はいつの間にそんな難しい言葉を覚えたのか。とにかくこの状態で、景太をオロチのもとにやるわけにはいかなかった。力を緩めない私を見て、景太はようやく私に向き直る。見れば、眉間に深くシワを寄せていた。


「俺、許せないよ。オロチが俺の友達でも、姉ちゃんを泣かせるなら別」
「ケータ…」
「だって、姉ちゃんはオロチが好きなんでしょ?」
「え!?」
「え、違うの?」


先程までの勢いはどこへやら。
きょとん、と景太が首をかしげる。

私はその問いに、未だに答えを見つけられないでいた。
オロチのことを考えると苦しい。悲しい。昨日の今日で、私の頭のなかはそればかりだった。私はオロチのことが好きなのかな。ぽつりと呟いた言葉を、景太は聞き逃さなかった。


「好きでしょ」
「え?」
「だって、姉ちゃんいつもオロチのこと考えてる」
「そう、かな…」
「今だって、何があったかは知らないけど、頭のなかはオロチのことばっかり」
「うん、それはまあ…確かに…」
「好きじゃなければ、こんなに熱出すまで苦しまないと思うよ」


景太の真っ直ぐな目に射ぬかれて、私は動けなくなる。好きだからこそ、苦しい。誰かを好きになるって、そういうことだったっけ。


「姉ちゃん、これが初恋でもないくせに…何を今更言ってるの?」
「…何でそんなこと知ってんの」
「…今はそんなことどうでもいいの!それより、今更でしょ?誰かを好きになるって、苦しいこともあるよ。姉ちゃんは何で悩んでるの?」


まさか景太に恋愛相談するとは思わなかったな…。それでも私は素直に話した。私が抱えている、この言い表しにくい気持ちを。
オロチとの関係をどのようにしたらいいのか、迷っていることを。

景太はあらかた私の話を聞くと、「やっぱり」と頷いた。


「姉ちゃんはオロチのことが好きなんだね」
「だからなんでケータがわかるのよ…」
「だって姉ちゃん、好きなんだけど好きになってはいけない気がするって遠回しに言ってる」
「え?」
「オロチは妖怪だから、この気持ちは気のせいだと思いたい。気づいていないふり。そういうことでしょ?」


はっと息を飲んだ。オロチから初めて告白されたときも同じことを言われたのを思い出したのだ。


「本当はわかってるのに、気づかないふり。ただ自分の気持ちに目を背けているだけなんだよ」

『お前は知らないふりが得意なんだな』


景太の言葉と、オロチの言葉が重なって甦ってくる。私は私の気持ちを知っていた。知っていてなお、知らないふりをしていた。あの日、オロチの気持ちには目を背けないと誓ったはずなのに、自分の気持ちには目を背け続けていたんだ。


「俺は、人間とか妖怪とか、関係ないと思うよ。好きになったんだから、仕方ないじゃん」


すとん、と何かが落ちた。

ああ、そうだ。私はオロチのことが好きなんだ。だからこそ、昨日だって無理矢理キスされたのが悲しかった。まだきちんと私がオロチに返事もしていないのに、自分のもの宣言されて、私の気持ちが置いてきぼりのようで悲しかった。オロチとの初めてのキスは、優しいものであってほしかったと、拗ねているだけなんだ。

人間とか、妖怪とか。なんでそんなに悩んでたんだろう。

好きになっちゃったんだから、仕方ないのだ。あとはもう自分の気持ちに従えばいい。


「姉ちゃん、もう気付いたでしょ?」
「うん…ケータ、ありがとう」
「ううん。だって俺、姉ちゃんの味方だからね!」
「ん、そうだね。ケータはいつも、私の味方だよね…」
「そうだよ!今更気づいたの?」


悪戯な笑みを浮かべて、景太が抱きついてくる。風邪が移るよ、と思いながらも、私はその頭をゆっくり撫でた。
普段シスコンで困ることも多い弟だけど、この存在が大きくてとても愛しかった。
むしろ、私が情けない。こんなに小さい弟に、恋愛とは何かを教えてもらうなんて。


「じゃあ、姉ちゃん、もう一回寝なよ。まだ熱あるんでしょ?」
「うん、そうするよ。ケータ、本当にありがとうね」
「もうお礼はいいって!あ、やっぱり今度ケーキ買って!」
「仕方ないなあ。じゃあ風邪が治ったら、カフェ・オ・シャレンヌ行こうね」
「やった!約束だかんねー!」


にっこり笑って景太が立ち上がる。その背中を見送って私は再び布団に潜り込んだ。今度はすぐに眠気がやって来て、夢の帳が下りてくる。その瞬間一瞬頭を過ったのは、やっぱりオロチの顔だった。


勇気を出すよ。
キミに好きだと言う勇気を。





「ケータくん、大人ですねえ」
「俺、子どもなんだけどね…。ねえ、ウィスパー。これで良かったんだよね?」
「ええ…後は本人たちの問題ですから」
「あーあ。オロチほんと殴ってやろうかな」
「…やっぱり子どもですね」
「だから子どもなんだってば!」