満月の夜に

今日は171年に一度のミラクルムーン…今年3回目の中秋の名月だという。理科が苦手な私にとっては正直どうして171年に一度なのか、何がどうミラクルなのか、その仕組みはわからなかったけれど、テレビのニュースで確かにそう言っていた。とにかく今日は特別な日なのである。

クラスメートの子達が「彼氏と見るんだ(ハート)」というなんともリア充極まりない発言していたなか…私は例によって例にもれずアッカンベカーリーでのシフトが入っていた。
夏休み中毎日のように入っていたせいで(おかげで?)高校生ながらクローズ作業を頼まれるようになってしまったのである。
お給料あがるし、自分の能力を認められて嬉しい反面…まさに私はどこかで聞いたことあるような枯れ女になりつつあった。これは由々しき事態である。しかしとて相手がいるわけでもなく、私は今日もしっかり最後まで働くのみなのだ。



「お疲れさまでした〜お先です」
「お疲れさま、七海ちゃん!気をつけて帰るのよ」
「はあい。ありがとうございます。お疲れさまでした!」


珍しく売れ残ったカレーパンとクリームパンをお土産に頂戴し、私はお店を出る。
秋というよりは冬に近いその気温に、私は思わず身を震わせた。こんなに寒いなら、もう一枚着てくれば良かった。生憎私の防寒具はマフラーだけで、学校から直行だったので制服故生足だ。空気が突き刺さるようで若干痛い。私ももう若くない…と誰かが聞いたら殴られそうな独り言をこぼし、私は帰路についた。

黙々と歩いていると、ふといつもより帰り道が明るいような気がした。空を見上げて、ああ、と今日の朝見たニュースを思い出す。
171年の一度のミラクルムーン。学校でも話題になっていたのに、バイトを挟んですっかり忘れていた。
その大きくて、美しい満月に、私はほうと息を漏らす。月には魔力が宿ると言うけれど、本当に吸い込まれそうだ。


「いい月だねェ、七海」


そこへ、耳元で囁かれるような声が聞こえ、ドキッと心臓が跳ねた。思わず耳を押さえて勢いのまま振り向けば、そこにはキュウビがいる。「やあ」と機嫌良さそうに挨拶された。


「きゅ、キュウビ…。びっくりさせないでよ」
「おや、それは失礼。あまりに七海が無防備に月を見上げているものだから、つい、ね」


妖怪における「つい」は私たち人間にとって心臓に悪い。彼はそれをわかっているのだろうか…いや、わかっていてやっているのだろう。全くたちが悪い。


「キミはこんな夜に何をしているんだい?女の子の一人歩きは危険だよ」
「あ、ありがとう…えと、バイトだったの」
「へェ、あのパン屋?」
「うん。そうそう」


心配してくれたのかと思えば、「ふーん」とつまらなそうにキュウビは返す。気まぐれなこの妖怪の真意はいつも掴むことができない。


「ねえ、七海。バイトだかなんだか知らないけど、夜の一人歩きはいけないよ」
「う、うん、わかってる」
「本当に?」


あれ、今日は本当に心配してくれているんだ。いつもはからかうばかりのキュウビなのに。「もちろん、わかってます」と返すと、キュウビは目を細めて笑った。
「本当に油断していると、」キュウビの長い爪が私の顎を捉える。まさかの出来事に私は固まるしかなかった。


「食べられちゃうかもよ?」


例えばボクみたいな奴に。
キュウビがぺろりと舌なめずりし、私の背筋に悪寒が走る。
一番危険なのはキュウビだと反射的に思った。


「今日みたいな満月の日は妖力が猛るんだよねェ。それこそこの街を消してしまうくらい容易いほど」
「そんな、」


キュウビは急に恐ろしいことを言い出す。
必死に声を出そうとするけれど、喉がカラカラと張り付いて上手く喋れない。
「ま、この街は気に入っているからねェ。そんな野暮なことはしないさ」と言うと、掴んでいた私の顎を離した。


「さて、それじゃあ行こうか」
「え?」
「月見。今日は171年に一度の特別な日なんだろう?」


ほっとしたのもつかの間。

キュウビは何でそれを知っているのだろう。思わずそれが顔に出た私に、「人間界の情報収集くらい容易いさ」とキュウビがニヤリと笑った。
そして、ふわりと宙に浮かぶと、満月を背に私の斜め上で止まった。
大きな月の逆光で、キュウビの影が私にかかる。彼の美しい毛並みが、キラキラと輝いていた。


「お手を。お嬢さん」


差し出された手を、怖いと思うのに、いつも私は拒めない。恐る恐る手を出すと、思った以上にキュウビは、優しく私の手をとった。


「さあ、月夜の散歩と行きましょう」



恭しく礼をされて、私はこくり、と頷く。キュウビの目が、三日月のように細くなり、手の甲に一つ、キスをした。