ゆるやかな午後
景太の部屋に召喚されたまさむねは、なぜか全身泥だらけだった。
「呼んだか。ケータ、七海よ」
「…いや、呼んだけど、まずなんでそんなに汚れてるのさ?!」
上から下まで観察して、ケータが声をあげる。もれなくウィスパーも「全くです!」と言うので、まさむねは自分を見下ろした。
「む。確かに汚れておる」
「いやいや、だからなぜ汚れているのかと聞いているのですが!」
ウィスパーはまさに唾を飛ばす勢いだ。そこまで怒らなくてもいいのに…真っ白マシュマロボディが汚れるのが嫌なのだろうか。
そんなウィスパーに臆することなく、まさむねは「ああ、」と口を開いた。
「実はな、河川敷に住んでおるノガッパが水筒を無くしたというので、一緒に探しておったのじゃ」
「河川敷のノガッパ?」
「まさかあのノガッパ…」
景太とウィスパーはどうやら心当たりがあるらしい。互いに顔を見合わせてため息をついている。聞けば、以前も水筒、弁当と無くし、それを探す手伝いをしたのだとか。
なるほど、そういえば私も何かを探すノガッパを見かけたことがある。常習犯だったのね。
「…して、用件はなんじゃ?」
「実は聞きたいことがあったんだけど…それより先にその汚れ、なんとかしないと」
本当は、最近妖怪たちの間で噂になっている、ベンケイのことで聞きたいことがあったのだが…あの汚れのままではこの部屋も泥だらけになってしまう。
景太が振り返ってこちらを見やるので、私も頷いて返した。
「拙者はこのままでも構わん。じきに乾く」
「あのね、まさむね。そのままだと部屋が汚れてお母さんに怒られるかもしれないから。きれいにしよう?」
「む。母上に?それはまずいな」
それならば仕方ない、とまさむねが頷いた。それを合図に、景太がまさむねの右腕、私は左腕をつかむ。
驚いた様子のまさむねに、ウィスパーが止めの一言を放った。
「浴室に一名様ご案内〜!うぃす!」
「せ、拙者、あのような屈辱は初めてじゃ…!」
「まあ、まあ。でもきれいになったでしょ?」
まさむねを浴室へとご案内したあと、そこはすぐに戦場と化した。シャワーを見ては「なんじゃこやつは。ニョロロン族のものか?!」と驚いただけならまだしも、そこから水が出るとわかれば刀を抜く。攻撃されたと思ったらしい。
服を脱がせようしたときには、「武士が人前で身ぐるみを剥がされるのは恥じゃ!」とかよくわからないことをいうので、仕方なくそのままシャワーをぶっかけた。それでまたひと暴れ。
さらにぐいぐいと洗われるのが嫌だったようで、暴れるまさむねを押さえつけながらの攻防戦。
…結果、私たちまで濡れた。
ただ私は被害が少なく、タオルで拭けば事足りる程度だった。逆に景太とウィスパーはものの見事にずぶ濡れ。現在一人と一匹で仲良くシャワーを浴びているところである。
それにしても、ある程度の抵抗は覚悟していたけれど、あそこまで取り乱れるとは意外だった。
「あのしゃわあ、とかいうもの。次会う(おう)たら叩き切ってやる…!」
未だぷりぷり怒っているまさむねは、まるで毛を逆立てる猫のようだ。そんなまさむねの後ろに座って、私はタオルでわしゃわしゃと拭いてあげた。
「む。かたじけない」
「ううん、風邪ひいたら大変でしょ?」
「拙者は妖怪。風邪等ひかぬ」
「あ、そうか」
あまりにも普通に触れあっているから、時々妖怪だということを忘れてしまう。ウィスパーやジバニャンも、実際に「生きてる」動物のような感覚なのだ。
あらかた拭き終わったが、まだまさむねの至るところが濡れていた。また面倒くさいことになるかなあと思いながらも、私は用意していたドライヤーのスイッチを入れる。びくっとまさむねの肩が跳ねた。
「んな、な?!!なんじゃ?!急に熱風?!それにこの音は…?!」
ーーやっぱり驚いてる。
しかも刀に手をかけてるし。
音と風の発生源を調べようと、まさむねが振り返ろうとしてきた。
こうなれば実力行使しかない!
「んなーー?!七海、足が!お前、足!」
がしっと私はまさむねをかにばさみ!
これでしばらくは動きを封じつつ、両手が使える。
女子高生の足に挟まれるなんて、プレミアものですよ、まさむねさん。
「やめ、やめんか!」
「おなごのあし、あし!!」「挟まれてる?!」などと混乱しているまさむね。
あのねえ、私だって恥ずかしいよ!でもそうしないと暴れるでしょーが!
「すぐ終わるし怖くないし敵襲でもないから前向いて大人しくして!」と付け足せば、ようやくまさむねは大人しくなった。
ああ、疲れる。
「これね、ドライヤーっていうの。熱風で髪の毛を乾かす道具だよ」
「どらい、やあ?」
「うん、ドライヤー。人間はね、濡れたままだと風邪ひいちゃうから、これで髪の毛を乾かすんだよ」
「ふむ。なるほど」
心得た、とまさむねが頷く。しばらく風を当てていると、温風に心地よくなってきたのか、だんだんと両肩の力がぬけていった。
「まさむね、きもちいい?」
「む…悪くはない」
「それなら良かったです」
「…」
「まさむね?」
「…なんじゃ?」
「眠くなっちゃった?」
ドライヤーをあてながら、私はまさむねを背中越しに訊ねた。「眠くなどない」と言うわりに、声はとても眠そうだった。
…こうしていると、二人目の弟ができたみたい。
「寝てもいいよ。背中預けてもいいし」
「む…おなごに、背を預けるなど…」
「いいよ、よく景太にもやってあげてたし。それに、眠いんでしょ?」
「しかし、」
武士に対して失礼かなあと思いつつも、私はまさむねの頭を撫でる。一瞬ぴくりと体が動いたが、その後まさむねからの返事はなかった。
ノガッパの水筒を一緒に探してあげたり、シャワーで洗われたりで、きっと疲れていたのだろう。
私はドライヤーを持ったまま、そっとまさむねの顔を覗きこむ。
寝顔、かわいいなあ。
「おやすみ、まさむね」
しっかり寝ているのを確認して、もう一度頭を撫でてあげた。
しかしその休息も、一瞬であった。
「あ、まさむねずるい!俺も姉ちゃんに髪の毛乾かしてもらいたい!」
「ちょ、景太!まさむね起きちゃう…!」
「…はっ!しまった!寝ておった!」
時すでに遅し。
起きたまさむねは「すまぬ、おなごの前で…!」と言いながら立ち上がる。そして逃げるようにどろん、と消えた。
「あらら、まだ乾いてなかったのに」
「よっぽど恥ずかしかったんですねぇ」
「姉ちゃん、俺も!俺も乾かして!」
「はいはい。わかったわかった」
そういえば聞きたいことがあったのだったと気づくのは、大分あとの話である。