水溜まりを飛び越える

「七海、この包みをお寺さんに持っていってくれるかい?」
「うん、わかった!」


そんな会話をして、一徳寺を目指して家を出たのが丁度一時間前のこと。妖怪が見えるらしいお坊さんと話をしていたせいか、ケマモト村の天気が下り坂になっていたことに、私は全く気付かなかった。山の天気は変わりやすい。だからこの村も、よく雨が降る。それを知っていたはずだというのに、まさかのこの状況。


「うわ、降ってきた!」


まさか。まさかお寺を出てすぐに雨に降られるなんて。ああ、ついてない。
ポツリ、ポツリと雨粒が私の鼻先を濡らす。徐々にその落下の間隔が短くなっているから、本降りになるのもすぐだろう。このままダッシュで帰るか。どこかで雨宿りするか。せかせか足を動かしながら考える。でも、雨宿りするってどこに?


「やっぱり走って帰るか…」


辺りを見回しても、田んぼだから雨を凌げる場所はなかった。それならば選択肢は必然的にひとつになる。私は覚悟を決めて、一歩力強く足を踏み込んだ。


「こらこら、直に大雨がくるぞい。風邪をひくつもりか?」


ところが上空から声がしたと思ったら、雨が上がった。…ように感じただけであった。
見上げれば、赤い傘に一本の足。「あ、から傘お化け!」私の声にから傘お化けが、カラカラカラ〜♪と一回転する。さっきまで私に向かって落ちてきていた雨が、その体に弾かれた。
そうか、から傘お化けが傘を広げてくれているから、雨が降ってこないんだ。


「七海が一人なんて珍しいのう」
「うん、おばあちゃんからお使い頼まれてね。ケータたちはえんえんトンネルにいってるよ」
「なるほどな。あやつらは元気の塊みたいなもんじゃからな。うらやましいもんじゃわい」
「ほんと!」


えんえんトンネルは入るたびに出口の距離が変わると聞く。出口がいつやってくるかわからないトンネルだなんて…私は正直入りたくない。そこはやっぱり景太も男の子なんだなあと思う瞬間である。「やっぱり若いっていいよね」「なんじゃ、そんな年寄り染みたことを言って」と、どこか老成した会話をして、私とから傘お化けは笑った。

ポツリ、ポツリ。
から傘お化けに雨が当たって、小さく音を奏でる。地面も徐々に黒くなり、いつしかそれがザアッという雨へと変わっていった。


「わ、本格的に降ってきた…」
「これはしばらく、降り続くかもしれんなあ。ほれ、向こうの山まで雲が真っ黒じゃ」
「ほんとだ…困ったなあ」

「カラカラカラ〜♪仕方がないからワシが送っていってやろう」
「え、ほんと?!」
「お前さんに風邪をひかれたらかなわんからなあ」
「ありがとう、から傘お化け!」


「礼には及ばん」上から聞こえたのは、少し照れくさそうな声だった。私が見えるのはから傘お化けの足の部分だから、どんな表情をしているのかはわからないけれど。きっと少し頬を染めて笑ってるんだろうな。

走らなくてすむようになった私は、ゆっくりおばあちゃんの家に向かって歩く。その上を、から傘お化けがゆっくり浮きながら進んでいく。結構強く雨が降っているのに、私は濡れることがなかった。から傘お化けって、結構大きいんだ。というか、守備範囲が広いといえばいいのかな?なんにせよ、私が濡れなくてすんでいるのは、とにかくから傘お化けのお陰である。本当にありがたい。


「ね、から傘お化け、本当にありがとうね!私、実はあまり雨って好きじゃなくてさ」
「カラカラカラ〜♪おや、それはなんでじゃ?」
「髪の毛うねるし…」
「女の子じゃもんなあ」
「濡れるし…」
「そりゃ雨じゃから」
「何より傘を持つのが面倒くさい…」
「こらこら、よりによって傘の妖怪を目の前にしていうとは…お前さんもなかなかに言うやつじゃのう」


そういうわりに、から傘お化けは楽しそうである。傘だから包容力抜群なのか、私はこの寛大さがとても好きだった。話し方のせいもあるだろうか、おじいちゃんみたい。もちろん本当のおじいちゃんとは似てない…はずなんだけど。


「でもから傘お化けがいてくれたら、雨の日も楽だし楽しくていいなあ」
「カラカラカラ〜♪お前さん、ワシを『足で』使うつもりか〜?」


「ワシには足が一本しかないのじゃぞ!」と笑うけど、それって『アゴで』使うって言いたかったのかな。それとも己の『足』にかけたのだろうか。オヤジギャグか。いや、おじいちゃんギャグ?
「カラカラカラ〜♪」まだ笑ってる。今日のから傘お化けは一段と機嫌がいい。やっぱり、雨の日が好きなのだろう、楽しそうに雨を弾いていた。

雨足はまだ強い。
でも、おばあちゃんの家まではあと少しだ。


「さっきの話じゃが、また雨が降ったらワシが送っていってやろう」
「え?いいの?」
「雨の日は誰かと一緒に笑いながら帰るに限る!そうすれば楽しいし、好きではない雨も好きになれるじゃろ」


雨と戯れるから傘お化けは、声を聞くだけでもわかるほど、本当に楽しそうだった。
確かに、から傘お化けの言うとおりかもしれない。だって、あんなに憂鬱だったのに今は、この雨がとっても楽しい。


「ただし、雨が上がったら一緒に遊ぶぞ!もちろんケータたちも一緒にな」
「うん!そうだね!」


ぴょーんと足下の水溜まりを飛び越える。明日にはきっと、その水面に青空を映すのだろう。晴れと雨だったら、断然晴れてる方がすきだけど。


「どうじゃ、少しは雨が好きになったか?」
「うん!」


今なら言える。
大きな声で。こんな雨の日も、好きだってこと。