84:バレンタイン・イブ
「駄目だ」
「え、」
目の前には190cmの大きな野生児様。
その顔に表情はなくじとりと私を見下ろす事しかしない。
肝心の私はそんな彼の表情に間抜けな声と悲壮な表情を作ってしまう。
本日2月13日、
前のバレンタイン同様、今年もルキさんと弟さん達、シュウさんにチョコを作って差し出したいと思って無神家へとお邪魔した。
どうせならまた以前の様にみんなが見守ってくれる中、今度は彼らの好みを聞きたいと思って…
けれど目の前の現実は残酷で、私は玄関前でユーマさんに立ちはだかれて家に入る事さえ許してもらえない状態だ。
「あ…の、私……もしかして何かしてしまいました…か?」
「………いいから、今日は絶対に家には入れねぇ。帰れ。」
「あ、………。」
今までこんな事なかったのでもしかしたら私の気付かないうちに何か彼らの気に障る事をしてしまったのかと
お伺いしてみればその綺麗な眉はピクリと動いたけれどそれまでで…
冷たい台詞を言い渡されてそのままパタリと扉は占められて門前払いを受けてしまった。
どうしよう…私、何かしてしまったんだ。
ぐるぐると今までの事を思い返してみる…
その場では怒っていなくても少しむかっとしていたことが積み重なってしまって爆発したのかもしれない…
もしかしたら私のこの後ろ向きな考えにいい加減苛つきを覚えてしまったのかもしれない。
「どうしよう…」
前だってこの後ろ向きな考えで幼い頃、シュウさんに嫌な思いをさせてしまっていたのにまたこんな…
どうして私はこんな成長が出来ないのだろう。
「花子……?」
「シュウおに……シュウさん」
とぼとぼと沢山のチョコとラッピングの材料を抱えたまま下を向き帰路についていれば
聞き覚えのある声が聞こえたのでゆっくりと顔を上げるとそこには少し驚きで目を見開いた私の大好きだったお兄ちゃん。
「…………へぇ。ふぅん。あっそう。ていうか花子、昔の記憶が戻ったんだからシュウお兄ちゃんって呼んでくれてもいいのに」
「…………うぅ、何故ここに連れてこられたのでしょうかシュウさん。」
「だからシュウお兄ちゃん。」
あれからどうしてだか気付けば逆巻邸キッチン。
私が両手に抱えていたものはテーブルの上にズラリと並べられていて
シュウさんが近場の椅子に座って気の抜けた声で私の話を聞いてくれた…のは良いけれど
さっきからシュウさんは私の呼び方が気に食わないのかずっとじとりとコチラを見つめながら何度も訂正しろと言ってくるけれど
うん……正直この年でしかも学校の先輩である彼を「シュウお兄ちゃん」と呼ぶのは恥ずかしい。
「あのシュウさんそれでええっと、」
「…………」
「しゅ、シュウお兄ちゃん…」
とりあえず私がここに連れてこられた理由を聞こうと彼の名を呼んだけれど
むすっとした表情でそっぽを向かれてしまったので今は私と彼しかいないのだからと意を決して彼の望むような呼び方をすればようやくコチラを向いてくれた。
うう…どうやらこれからは二人きりの時は「お兄ちゃん」と呼ばないと何も答えてくれないようだ。
「……?お兄ちゃん?」
「花子が次にしなきゃいけない事が出来たな。」
ゆったりと椅子から立ち上がり私の疑問に大きなその手でわしゃわしゃと頭を撫でることで答えてくれたけれど
頭の悪くて察しも鈍い私にはその真意が理解できない。
じっとされるがままに彼を見つめていればシュウさんは少し困ったように微笑んだ。
「愛と言うものには“信じる”って事も必要みたいだけど?」
「信じる……」
「そう、花子が子供の時にできなくて俺が花子を壊してしまっただろう?」
彼の言葉をそれこそ子供の様に復唱する。
信じる……確かにそうだ。
幼いあの日…私は目の前の彼の好意を信じ切る事が出来ずにひたすらに顔色を窺って疑って一人で自己嫌悪に陥って…
その繰り返しの内に疲れてしまった彼から放たれた言葉で静かに人格に亀裂が入り簡単に壊れてしまった。
「あの、シュ…」
「なぁ花子…明日バレンタインだろ?今回はあいつらの事、信じて待ってみたら?」
「あ、」
昔の事を思い出して、あの時は申し訳なかったと謝罪したくて彼の名前を紡ごうとしたけれど
それは悪戯に笑う彼にさえぎられてここに連れてこられた真意をようやく汲み取ることが出来た。
彼の手には先程まで私が抱えていたチョコとラッピング材料。
少し苦めなビターチョコを手にしているあたりが彼らしい……どうやら今年は真っ先にお兄ちゃんのチョコを作らなければいけないようだ。
「“信じる”ってすごく怖いと思うけど……うん、今日は俺も一緒にいるから不安も半減するだろ?その間…コレ、全部作っとけば?キッチンの主は今日留守だし。」
「で、でも……もし本当に私が嫌われていたら」
「花子、」
彼が私をここに連れてきたのはそういう事…
今回無神家で作れないならばここでチョコを作ればいいという彼なりの気遣いだった。
けれど本当に…もし本当に私が彼らに嫌われていたらこんな私のチョコなんてゴミ以下だろうし作ったところでと
相変わらずネガティブな考えを口にしていればそれは彼の白くて長い指にふにっと遮られてしまった。
「信じる……しんじる…な?」
「うむ、む、む…」
「はい、今年はあいつらの好みじゃなくて俺の好みを聞いてくれよ。」
優しく諭すように言い聞かせるその声色は酷く優しくて…
嗚呼、私だけではなくてシュウさんもあの日から学んでいるのだと思うと少しだけ胸が熱くなった。
けれどやはり不安はぬぐえなくて反論しようと唇を開こうとしたけれどそれはずっとむにむにと弄んでいる指に阻まれてきちんとした言葉にできない。
そんな私を見ておかしそうに微笑みながら私にチョコを差し出した彼はどこか楽しそう…
「じゃ、じゃぁ…ええと、はい…」
「ん、イイコ」
まだ完全に「信じる」と言う事が出来きれないけれど
それでもシュウさんの言う様に愛してるだけじゃダメで、相手を信じることも必要なのも分かるから必死に彼らを信じようと渡されたそれをぐっと少し強めに握る。
大丈夫…大丈夫。
きっと信じれる。
だって彼らは只のあって数日の他人じゃない…色んな事を一緒に過ごしてきた…
「家族……って言ってしまったら図々しいだろうか」
「それはまだ俺は認めないからな」
「わぁ!?」
ぽつりと出たそんな言葉を容赦なく拾い上げたシュウさんが少しだけ早めの口調でバッサリ切ってしまったので
思わず驚いて静かに準備していた材料や器具をぶちまけてしまった。
信じたい…大切な、大切な人たちだから
私も頑張って……信じたい。
恐らくあの家の中にいたであろう一番大事で愛おしい彼も、
と言うか一番に彼の事を信じたい……
カールハインツ様の元へと向かう時、別れ際に紡がれた言葉
“花子、どうか俺を信じてくれ。”
その言葉に今、きちんと応えたいと…
思っていながらも少しばかり震える手にまだ少しだけ自嘲してしまう。
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