88:ハッピーバレンタイン


何度も何度も頭の中で唱えた
「信じる」
大丈夫、彼らは私の事を嫌ったわけじゃない。
何か理由がある大丈夫…



でも、



嗚呼、でも…




それでも心のどこかで「もしかしたら」と警報を鳴らしてしまう私をどうか許してほしい。





「花子………おい花子、」



「……う、しゅ……お兄ちゃん?」



「やっぱり二人きりの時はその呼び方がイイな。」




真っ暗な意識の中、体が揺れる感覚を覚えてうつらと目を開く。
目の前に広がったのは愛しい彼とは対照的な金髪碧眼のお兄ちゃんで…
寝ぼけていて周りを確認しないまま本能的にお兄ちゃんと呼べば彼は嬉しそうに頬んで
その笑顔を見た瞬間、一気に意識が覚醒した。




「お、おはようございます…っまさか本当にシュウさんが起こしてくださるとは」



「あ、またシュウさんに戻った…てか俺だって起きるときは起きるし。」




ベッドの上で飛び起きて頭を下げれば呼び名が戻ってしまったことに不満げな彼はそれでも何度か優しく私の頭を撫でてくれる。
嗚呼、いよいよこの時が来てしまったのか。




やはり少し怖くて今までかぶっていたシーツをぐっと握っていれば
ゆったりと差し出された昔と変わらない大きな手に「あ」と思わず小さな声を漏らした。
……こうやって彼に引っ張って行ってもらうのはもう何度目だろう。
壊れる前も、壊れた後も…いつだって彼はこうして私を引っ張っていってくれる。




「花子、いこう?」



「……………はい、」




誘いの言葉を合図にその手に自身の手を重ねれば体はふわりと浮いて気が付けばキッチン。
ううん、もう何が起こってもあまり驚きはしないが吸血鬼様が瞬間移動できるだなんて聞いてない。
数秒驚きでぼんやりしていれば繋がれた手は離されて、同時に私の目の前にその両手が差し出された。




「ん、」



「………シュウさ、」



「キッチン貸したし、勇気づけたんだから今年のお前の初めては俺がもらう。」



そんな大人げなさすぎる言葉に思わず吹き出してしまいそうだったけれど
確かに筋は通っていると思って保管していたチョコのうち、黄色のリボンをつけていたソレを一番に目の前の大好きだったお兄ちゃんに差し出した。




「シュウお兄ちゃん……いつも、いつも本当にありがとうございます。後……ごめんなさい。」



「ん、ありがと。…それはお互い様だな。」




じっと目を見つめ合って感謝と謝罪。
いつだって私を一番に考えてくれて、それでいて彼は悪くないのに償いとしてずっと見守ってくれていた。
彼がお互い様と言葉にしてくれるだけでこんなにも救われしまうなんて…
私はどこまでいってもお兄ちゃんにはかなわない。




「じゃ、本番…というかライトには?」



「ええと、がっかりさせてしまったのでサプライズに枕元へおいてます。」



「ぶふっ…………バレンタインとクリスマス、いっぺんに来たみたいだなアイツきっと喜ぶよ」




彼の問いに小さく笑ってそう答えれば
滅多に見る事のない笑いを堪えきれなかったのか噴き出してしまってクツクツと更に笑いを漏らしながらコチラを見つめるシュウさんはなんだか昔のままだ。
そんな彼にじわりと胸を暖かくしていれば今度こそと言った感じで再び手を差し出された。
嗚呼、きっと大丈夫……大丈夫。
頭の中で何度もそう唱えて、私はもう一度目の前の彼の手をそっと取ったのだ。








「う、うう……なんかデジャブ」



「確か花子が自分を大事にするしないの時もこんなんだったな。」




目の前には大きな扉。
ガチガチに緊張してノックが出来ない私。
その隣で今にも寝そうなのんびりとした口調のシュウさん。




怖い。




「や、やっぱり無理ですシュウさんこんなのもし本当にきら」



「だーめ、」



紙袋に入った四つのチョコを持ちながらもいざここまでくると戦意喪失してしまい
何もしないまま帰ろうと自身の体をくるりと反転させればすごく強い力でシュウさんに元の位置へと戻されてしまう。
いや信じたい…信じたいけれどでも…っ



目の前の扉が酷く大きく重く感じでしまってカタカタと体を震わせていれば
後ろからぎゅうと大人が子供を安心させるように包み込まれてしまい思わず目を見開いた。




「大丈夫…怖いのは最初だけ。コレ、乗り切ったらまたお前は元のお前にひとつ、戻れるよ。」



「シュウさ、」



「というかあんだけ過保護すぎるアイツが今どうなってるかの方が俺は心配だけどな」



「え?」



どこまでも優しく柔らかな声に気が付けばガチガチに緊張していた体の力は抜け、
余裕がなくて聞こえなかった遠くから色々何かが壊れる音と、近付いてくるバタバタと言った足音にじわりと涙が浮かんできてしまった。
あ………うそ、どうしよう……



「……………じゃ、今回も俺はここまで」



「あ、」



「だぁって、これから愛しの可愛い花子が現恋人とその弟達にちやほやされるのとか胸糞悪くて見たくないし、ああ…あと」




近付く足音に反してするりと去っていく腕に思わず後ろを振り返った。
すると彼は酷く意地悪に微笑んでわざとらしく不機嫌な顔を作って見せるけれどその表情は偽りなのだと気づいてしまう。
だって嘘の顔をかぶるのは私の得意分野だったから…
そんな離れていく彼の不満の後に付け足された言葉は簡単に私の涙腺を崩壊させてしまうもので…




「4つ分の手作り逆チョコの香りがキモチワルイ。ったく……花子に去年の礼がしたいなら最初からそう言えよって、なぁ?」



「う……うそ、」



「嘘じゃなーい。ヴァンパイアは鼻が利くんだ。」




ボロボロと私の涙はとめどなく溢れては落ちる。
けれどこの涙にシュウさんが動揺しないのは嬉しさと感激のものだとわかってくれているからだろう。
確かに前のバレンタインの時は弟さん、ルキさん達に手作りチョコを渡した…
でも、まさか…だからって、こんな。
ルキさんに至っては手作りではないけれど素敵なチョコを前にもくれたというのに…




「………っ」



「な?信じてお前も作っててよかったろ?」




「…………はいっ」



去っていく彼の最後の言葉に、震えているけれど精一杯声を上げて応えて深く頭を下げた。
ありがとうございます、シュウさん。
私……あのまま彼らを信じないまま一日を過ごしていたら此処になんてこれなかった。



瞬間背後からバターンと大きな扉の開く音が聞こえたので
もう一度向き直してその扉の向こうへと視線を向ける。
嗚呼、どうしてよう…涙で前がはっきりとは見えない。




「花子ちゃーん!!!お待たせ…ってええぇ!?ちょ、なんで泣いてるの!?」



「ちょ、おまっ花子!!そん、そんな昨日の俺怖かったのかよマジ悪かったって!!!仕方なかったんだって!!!」



「花子………あのね?俺達……この前のチョコ…おれい…したくて………ごめんね?」




たった一日ぶりなのにも関わらず懐かしく感じてしまう三人の声に更に涙は溢れて止まらない。
そんな三人の手には可愛い箱があって…本当に作ってくれていたんだと、また涙を零してしまう。




「花子……、すまない。どうしても以前の手作りの礼がしたくて…その、」



私の涙に大慌てだった弟さんたちの後ろから現れた困ったような、どうしたらいいのか分からないような表情で現れてくれた最愛に
いつもなら考えられないけれど胸の内側の何かがあふれ出して自ら勢いよく飛びついてしまった。




「ひゅー♪花子ちゃんってばだいたーん。これもバレンタインの魔法かな?」



「おうおうお盛んなのはいいけどそういうのは部屋に入ってからにしろや。」



「ふふ……花子、ルキにあえなくて……さみし、かったんだね…」



「ああ、すまない……困ったな、泣かせるつもりはなかったんだが…」




ぎゅうぎゅうと彼に抱き着いたままでいるとそれぞれに多様な言葉を掛けられてしまったけれど今はそれに反応している余裕もない。
嗚呼、貴方達を必死だけれど信じて本当によかった。




「花子ちゃん、」



「オラ、花子」



「……花子、」




それぞれに名前を呼ばれ、差し出された小さな箱。
三つともとても暖かくてまぶしい気がしたのはきっと気の所為じゃない。




「花子……泣かせてしまったのは悪いが、受け取ってくれるか?」



最後に片腕で私を抱きとめながらも空いた手に持っていたその箱を差し出してくれた最愛にもう涙も溢れてくる感情も止まらない。
けれど私にはその気持ちを伝える術を持っている。
彼らを必死に信じて作っておいた差し出されたものと同じ…




「ありがとうございます……私からも受け取ってくださいますか?チョコ…今年も作ったんです。」




その言葉にコウさんもユーマさんもアズサさんも…そしてルキさんも
一瞬目を見開いて、けれどすぐに嬉しそうな笑顔へと変わってくれたので私もこの表情を彼らと同じく笑顔へと変える。




『ハッピーバレンタイン』




五人同時に囁かれたその言葉に、ふわりと周りの空気が暖かくなった気がした。




『信じる』…酷く怖くて難しくて大変な事で
今回も不安が大きくてキッチリ信じ切るまではできなかったけれどでも…




「ねぇねぇ花子ちゃん聞いてよ昨日さールキ君がね?」



「コウ……っ!」



「いやいやあの門番の成り行きも聞けって俺マジ可哀想だったんだぞ」



「ユーマ…」



「花子……久々……ふふ、ぎゅー…」



「いやアズサ花子は俺の最愛でだな…」




いつも通りの彼らに囲まれてこうして苦笑できているこの事実。
嗚呼、もう少し…もう少し私は彼らに愛されていると自覚をもっていいのかもしれないと
かなり……いや、少し…
少し自惚れた事を考えてしまったバレンタイン深夜2時。



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