19:歪み始める物語


逆巻邸に花子さんという女性がやって来た。
彼女は成人済みらしいけれど私なんかより毎日元気いっぱい。



「ああもう今日もシュウさんが綺麗で可愛くて格好いいから一度捕まるべきだけど私を1人にしないでシュウしゃん…」



「なぁ花子、1人にされたくないならあと2mは俺に近付いて来い。…淋しいんだけど?」



「もう!言ってる事全部可愛い!!スバル君!!!腰ください!!」




そしてそんな彼女とお話してるシュウさんはいつもみたいな無気力でもないし、全てがどうでもいいような感じではなくて…
好きすぎて自分に近付いてこない彼女に対して困ったように微笑んで意地悪に自身から近付いて行く。



…私はこんな楽しそうなシュウさん、知らない。



私の知ってるシュウさんはいつだってその綺麗な瞳を閉じて音楽の世界に閉じ籠っていて
誰が話しかけても心此処にあらずのような人だったのに
花子さんが傍に居る時の彼は何だか本当に違うひとみたい。



「おい花子、膝枕して。」



「わわわ、ご、拷問のお時間ですか…わ、私幸せすぎて死んじゃう…」



「……嫌なのか嬉しいのかどっちだよ馬鹿。」




ほら、シュウさんの言葉に対してよく分からない返事をする花子さんにまた苦笑。
でも面倒だとかどうでもいいとか言わない。
震えながら待機する彼女の膝に小さく笑いながら頭を乗せる。





…………。





「…あ、あれ?」



どうしてだろう。
シュウさんが嬉しそうなのも、花子さんが幸せそうなのもとても微笑ましいはずなのに
どうしてだか私の胸の中がもやもやと何か黒いもやのようなものがかかり始める。



なんで?
どうして、私…こんな気持ちになるの?





何だか気持ち悪い感覚に侵されて不意に胸に触れるけれど
その感情は取れることはなくてだんだんと全身を浸食していってしまう。





「……どうして、」




花子さんはとても素敵な人だ。
普段はとても元気で明るいけれど初めて会った時に見せた彼女の笑顔はとても柔らかだったし
シュウさんは見ていないかもしれないけれど彼に抱き付かれた時の花子さんの表情なんて…



「どうして…」



そしてシュウさんにも幸せになってもらいたい。
いつだって何事にも興味がなくて、それは自分自身も例外ではなくて…
只本当に呼吸をしているだけ、生きているのに死んでいるようなひと。
だからこうして花子さんと触れ合って困ったように微笑む彼は見ていて眩しい。




どちらも本当に心の底から思っているはずなのに
自身の口から出てきた言葉は信じられないものだった。





「どうして私じゃないの?」





その言葉に驚いて思わず口を塞いだけれど
後ろからそれを聞き逃すことのなかった悪魔が更に私の心のもやをはびこらせてしまう。





「そうですね…どうして貴女ではないのでしょう…ユイさん。」



「れい、じ…さ」




そっと白い手袋を付けている手で私の目を覆った彼は耳元で私の心の奥底、自身でも気付いていなかった部分の叫びを代弁してしまう。
紡がれるごとに私の体も、心もまるで電池が切れてしまったように力が入らない。




「貴女はずっと穀潰しを見守って来たというのに何故花子さんなのでしょう?」




「あ……、」




「彼女なんかよりずっと貴女の方が穀潰しを…逆巻シュウを理解しているというのにどうして彼は彼女を選んだのでしょう…」




「や…やだ、」



「嗚呼、憎い…憎いですね…彼の過去も何も知らない彼女がのうのうと最愛の座に居座るだなんて…ねぇ、そうでしょう?」




「ぅ…ぁ、」




ガクリとその場に膝をついてしまう。
いやだ、そんな事思ってない…思ってないよ。
…なのにどうして、どうして私の目からはさっきから涙が止まらないのだろうか。




「嗚呼、可哀想なユイさん。辛いですね…苦しいですね。大丈夫、これを彼女に飲ませて差し上げれば貴女はすぐに楽になります。」



優しい、どこまでも優しい声色で私の気持ちを口にしてくれるレイジさんが
震える両手にそっと小さな小瓶を置いてしまう。
その中身が恐ろしくて震えながら彼を見つめれば、その真っ赤な瞳はゆりると弧を描く。




「ご安心を、毒ではありません。…貴女にそんな恐ろしい事させるわけないじゃないですか。」



ちゅっと流れる涙を唇で掬われてその言葉を聞き、ほっと安堵の溜息を零す。
するとレイジさんはちょんちょんとその小瓶を弄ぶかのように指で転がし始めた。




「只、これを紅茶に混ぜて花子さんに飲ませるだけです。そうしたら貴女のこの胸のもやもやは嘘の様に晴れます…ね?イイ話でしょう?」




「ほ、んとに…?私、もうこんな思いしなくても…いいんですか?」




「ええ、本当です。全ては貴女次第ですよ、ユイさん。……元のお優しい心のまま、聖女のままに戻りたいでしょう?」




震える声で彼にそう問えば優しく私の考え全てを肯定してくれたレイジさん。
そうだ…もどりたい。
このもやもやした気持ちは苦しいもの…
以前のような、優しいままの私に戻りたい。




「紅茶に…入れる、だけ。」



小さく呟いて、よろよろと立ち上がり、まるで暗示にでもかかったかのようにフラフラとキッチンへ向かってしまう。
後ろでレイジさんがどのような表情をしていたかは分からない。
ただ、私は本当に純粋に元の私に戻りたいだけ…




香り高い紅茶に数滴、小瓶の液体を入れたけれどなんだかそれだけじゃ収まらなくて
気が付けばレイジさんに貰った瓶は空っぽになってしまっていた。
何だかその空っぽの瓶がどうしてだか今の私と重なってしまう。




「大丈夫…私は悪くない…わるくないもの」




自身に言い聞かせながら花子さんの部屋の扉をノックする。
そうだよ私は悪くない。
うん、誰も悪くないはず…
けれどその考えはひょっこり顔を出した花子さんの表情で一変してしまう。




「あ!ユイちゃんだ!!いらっしゃい!!紅茶持ってきてくれたの!?嬉しいなぁ…えへへ」



「…………はい、よかったら是非。」




シュウさんの過去も何も知らないのに彼に愛されてとても幸せですと言った表情。
うん、悪いのは花子さんだ。





花子さんがシュウさんの前に現れたから
彼は私の知らないシュウさんになってしまった。





彼には…シュウさんには幸せになってもらいたい。
でもそれは彼の全てを理解して見守っている私じゃないと。




私じゃないとシュウさんは幸せには出来ないはず。




「花子さん、今日は特別に頑張って淹れてみたんです…飲んでいただけますよね?」




すっと先程の中身のわからない薬入りの紅茶を差し出せば
彼女は疑う事をしないでとても嬉しそうに私の手からそれを受け取った。




ズキリ




どうしてかその瞬間、私の胸が酷く惨めに切り裂かれた気がした。



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