25:聳え立つクイーン
「全く…面白くない。」
自身の苛ついた言葉が部屋に響く。
コトリと倒したのはチェス盤上のキング。
策は何重にも仕掛けていたはずだ。
まずは何の問題もなく、花子さんがスバルによって殺されるというシナリオ。
これはそのまま奴から彼女自身を奪い去るのに一番いい方法だと思った。
次に奴が…穀潰し自身が彼女を手放してしまうというシナリオ。
以前にも同じように私から大切なものを奪われた彼ならばきっと彼女がこれ以上危険な目に遭わないようにと、自ら最愛を手放してしまうと思った。
最後に花子さん自身が奴から逃げてしまうシナリオ。
幾ら無事でも、穀潰しが彼女を離さないと誓っても酷く吸血された恐怖心というモノは心的外傷として残るはず。
ならばそれに耐えうるだけの精神を持ち合わせるはずのない愚かで脆い人間の彼女は穀潰しの手から逃げ出すと思った。
しかし現実はどうだ…
「シュウさんは私の事嫌いなんですか!?一緒の部屋にするだなんてそんな私ドキドキで殺されてしまう!!鬼!鬼畜!!だいすき!」
「仕方ないだろう。また今回みたいなことが起こったらどうするんだ。花子は絶対俺と一緒の部屋。」
「ひぃん!抱き付かないでください病み上がりの体には刺激が強すぎますあああ死んでしまう…っ!」
じたじたと穀潰しの腕の中で大暴れしている花子さんに普段の元気はやはりないが
それでも通常運転過ぎる日常に私は聞こえないように小さく舌打ちをする。
奪えると思った…簡単に。
今度も簡単に私が持っていない全てを持っているあの男から大事なものを。
けれど実際は正反対で、奴は今でものうのうと自身の最愛を腕に抱き困ったように、嬉しそうに笑っている。
虫唾が走る。
その心底幸せを見つけたような顔をすぐにでも絶望でぐしゃぐしゃに歪めてしまいたい。
ギリリと唇を噛んでいれば彼らの無意味な痴話喧嘩の矛先はどうしてだかこちらへと飛び火してしまう。
「そもそも!レイジ君の所為で私がシュウさんと同じ部屋とか拷問みたいなことされかけてるんだよ!!責任取ってシュウさん説得してよ!!」
「おい花子。俺と一緒の部屋が拷問って何事?俺の事大好きなくせに言い方酷い。」
「あああああぎゅうぎゅうしないでくださいシュウしゃん可愛い!!」
ずるずると腹に穀潰しを巻き付けたままこちらへとやって来た花子さんがずいっと私の顔を覗き込む。
一瞬気迫に圧されかけたけれど、ずり落ちたメガネを指の腹で直して気を持ち直す。
「そもそも、貴女が存在しなければいいだけの話では?花子さん。」
「レイジ」
私の棘のある言葉に反応したのは花子さんではなく穀潰しだ。
ギロリとこちらを睨みつけるその視線は流石逆巻家の長男と言った所か、威圧感が酷く重い。
けれど私は認めない。お前がこの流れる血の長だなんて。
「ねぇ花子さん?貴女、ユイさんからコレを奪うだけでは物足りないのですか?またいつ貴女を壊されるかと言う不安と心労で穀潰しを衰弱でもさせたいのですか?ねぇ…?」
「………」
畳みかける私の言葉に彼女はじっとその場で立ち尽くしたまま何の反応もしない。
遠回しに罠を仕掛けたところで効かないのであれば私が直接貴女の心を壊して穀潰しから奪って差し上げようじゃないか。
「貴女が傍にいる限り…貴女が彼の最愛である限り私は貴女を殺す手を緩めはしない。…消えた方が貴方の為でも、穀潰しの為でもあると私は思いますよ。」
「レイジ、お前いい加減に…」
「私は何ひとつ間違った事は言っておりません。今回は失敗に終わりましたがこんな事で諦める訳がないでしょう?」
そう、私は事実しか言っていない。
今回の計画が失敗に終わった所ではいそうですかと諦める訳がない。
ならば花子さんはいつ私に殺されるか
穀潰しはいつ私に彼女を奪われるか
それを日々恐れ、不安を抱きながら生き続けなければならない。
初めはそれこそ不安が安っぽい絆へと変わるだろうがそんなもの、毎日続けば穀潰しはどうか分からないが普通の人間である彼女の精神が持つはずがない。
「それとも今すぐに此処で私を殺しますか?嗚呼、それも一興だ。」
ケラケラと大袈裟に嗤えば穀潰しがぐっと押し黙る。
彼は分かっているのだろう。ここで私の命を奪えば自身も私と同じになると。
自身の彼女への愛と言う欲望の為に何かを壊す。
それは今私がしている事と同じ事。
違いは「憎しみ」か「愛情」か、それだけだ。
けれどそんな重苦しい空気を破ってしまったのはデリカシーのかけらもない二本の暖かい人差し指だった。
「そいっ!」
ビスッ!!
「いいいったぁぁぁぁ!?」
「花子!?」
突然不鮮明になった視界。
眼尻に圧迫感と激痛。
先程の間抜けな断末魔は紛れもない私のモノで、穀潰しは驚きの余り上ずった声で彼女の名前を呼んだ。
ひ、人が掛けてる眼鏡のレンズを思いっきり押すだなんて彼女は一体どんな教育を受けてきたのですか!?
彼女は事もあろうに両手人差し指で私の眼鏡のレンズを思いっきり押したものだから
その衝撃で鼻あて部分が思いっきり顔面にめり込んでしまった。
痛すぎて思わず眼鏡を外して涙目でめり込んだ部分をさすって彼女を睨めば視界はぼやけてよく見えないがおそらく彼女は不機嫌顔。
「言いたい事があるなら言いなさいよ!!お局OLか!!レイジ君は!!!」
「は?」
「ぷっ」
彼女の意味の分からない言葉に再び間抜けな声をあげれば吹き出してしまった穀潰しの声が聞こえるが
花子さんはそのままマシンガンの如く言葉を続けてしまう。
「全く!ユイちゃんとスバル君使ってねちねちねちねちと!!別に私はシュウさんの地位とかお金目立てで来てるわけじゃないんだよ!?シュウさんの存在がだね!!」
「ですからそれが気に食わないんですよ!!どうしていつだって穀潰しばかりなんですか!!!私だってこんなに努力しているのに誰も………あっ、」
彼女の全力の煽りにつられて自身から発せられてしまった言葉に思わず片手で口を塞ぐ。
…いやいやそんなまさかこんな単純な事じゃないはずだ。
私は彼を憎む理由はもっとこう、奥が深くて複雑で…。
けれどどうしてだろう…
どうして今私の顔は火が出てしまいそうな程熱いのだろう。
動揺で固まってしまっている私の額を誰かがコツンを小突いた。
赤面そのままに見上げればぼやけた視界でもハッキリ分かるいたずらっ子の様に微笑む花子さんの姿。
「物事の根本はいつだって単純だよね。」
「………煩いですよ黙ってください。」
へなへなと、先程までいじっていたチェス台に突っ伏して負け惜しみ。
綺麗に揃えていたルーク、ビショップ、ナイト、ポーン…全てばらばらに転がり落ちてしまう。
チラリと見上げれば残っているのは堂々と私を見降ろしているクイーンだけ。
「人間の分際で、だいきらいですよ。花子さん。」
互いに意地悪に微笑み合って私が紡いだのはそんな台詞。
何だろう、言葉に出すだけで心というモノはこんなにも違ってくるものなのか。
たかだか数十年しか生きる事の出来ない人間の分際でいきなり私の奥底から幼い嫉妬を引きずりだすの、やめて頂けませんか?
「嗚呼、狡いずるい。どうして穀潰しばかりなんですか私だって誰かに愛されたい。」
「いつかレイジ君にだって私みたいなのが現れるんじゃない?」
「………嫌ですよこんな気持ち悪い狂信者みたいな女は。」
今の今まで吐く事の出来なかった不満を垂れ流せば胸のうちのどす黒いものも一緒に流れ落ちて
体全体が軽くなる気がしたけれど、同時にポロリと零れ落ちてしまう涙には少しばかり不満。
何だか聞き分けなのない幼い駄々っ子のようだ。
「私にもこう…抱き締めるだけで泣いたりしない、ましてや他人の腰を折らないような可憐で非力な彼女が現れてもいいはずです。」
「れ、レイジ君が全力で私をディスり始めた…!れ、れ、レイジ君なんて大嫌いなんだからー!!!」
嫌見たらしくそう言えば花子さんはブルブルと体を震わせながら大きな声で叫び散らして泣いてしまう。
けれどそんな様子を見ていた穀潰しが「俺は花子がだいすき」と包み込む様にその体を抱き締めれば瞬間に気持ち悪い断末魔の後大人しくなってしまった彼女に私も彼も苦笑。
全く、このクイーンはどうあがいても倒れてくれそうにない。
二人に気付かれないように、涙を流しながら
私は小さく諦めの溜息をついた。
私の幼い頃からある小さく歪んだ嫉妬が今日初めて誰かに見られた気がして
それが酷く恥ずかしくもあり、少しだけ…嬉しく感じたのは私だけの内緒話だ。
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