地獄絵図タイン
「ゆ、ゆ、ゆ…ユーマ君…あのね?お願いがあるんだけど…」
「あ?」
普段引っ込み思案すぎる俺の最愛が震える指で服の裾を引っ張ってきて珍しい言葉。
滅多に言う事のない彼女のオネダリの言葉に内心胸が躍ったのはナイショの話だ。
「んだよ花子も可愛いとこあんなぁ〜」
今俺は一人でキッチンに立っている。
顔はいつも以上にゴキゲン、ついでに鼻歌だって出ちまう。
目の前には板チョコと金属製の型。
色んな動物の形があるがやっぱり俺の可愛い可愛い雌豚の花子にはこれが一番よく似合う。
「ぶーぶーってか?」
まるまるとした豚型の型を手に取って俺の笑顔はますます深くなる。
花子の珍しいオネダリは例に漏れずクソ可愛いものだった。
『あのね?今度のバレンタインデーなんだけど…ユーマ君からチョコ…もらえないかな?』
『ああ?んだそれじゃあ今年は花子からもらえねぇのかよ』
『ううん、私も作る。作るけど……ユーマ君の手作りチョコも食べてみたいなぁって…だ、だめかなぁ』
そんな事言われちゃ元々花子に甘い俺も黙っちゃいられない。
花子本人には「気が向いたらなって」答えたけれどその後そそくさと近所のデパートで必要な材料を買いに出かけて今に至る。
女が作るみたいに凝ったものは自信ねぇけどチョコ溶かして固めるくらいなら俺にだって出来んだろっつーことで。
「にしても花子…可愛かったなぁオイ。」
板チョコをルキに教わった湯せん?って奴にかけながらつぶやいた。
いつも控えめなアイツから要望を聞くのは本当に珍しい。
そんな奴がこうやって俺に強請ってくるっつーことはどうしても俺からのチョコが欲しかったんだろう。
一生懸命勇気出してオネダリしてきやがった花子の真っ赤になった顔はホントにたまらなかったのでこのチョコをくれてやった後はお礼っつー形で花子自身を頂戴することにしよう。
花子も俺にチョコくれるっつってたけれどそれはそれ、これはこれであるとりあえずどうにか理由をこじ付けてでもあのクソ可愛い雌豚を抱き潰したい気分だ。
「ふんふんふ〜っと…お?」
余りにも可愛い最愛の表情をもう一度きちんと思い浮かべたくて目を閉じながら湯せんを続けていると
パシャリと小さな音が響いたのでパチリと目を開いた。
「やべ、」
チョコの入っているボウルを見てみるとそこにちょっと…いや、かなり?いやちょっとだろこれ大丈夫だうん…ちーっとばかりの湯が入ってしまっていた。
まぁ……所詮湯だし別に体に害があるわけでもないしこれくらい大丈夫だろうと思って気にせずそのままカチャカチャと湯せんを続けたのだった。
背後の鋭い目に気付くことなくのんきに…そう、のんきに。
「おう花子、ほらよ。約束のチョコだ。」
「わ……わぁ!ホントに作ってくれたんだ…嬉しいっ」
2月14日当日、彼女の望み通りに俺のお手製チョコを小さな箱に入れて渡せば心底嬉しそうにぎゅうぎゅうとそれを抱き締める花子に胸のあたりがきゅんとしてしまう俺の彼女くっそ可愛い。
そして俺も毎年と同じくチョコを受け取って互いに蓋を開けて微笑みあう。
「あ…ぶたさんだ。私がいつもユーマ君に雌豚って言われてるから?えへへ…可愛い」
「おう、俺の可愛い雌豚はお前だけだからな〜…食ってみろよ。」
俺からのチョコの形に嬉しそうに頬を染めて更に喜ぶ彼女に気をよくして
味も聞きたくなってこの場で食ってみろと促してみる。
まぁ、市販の板チョコを溶かして固めただけなので不味いわけがないのだが…
「うん、じゃぁいただきま〜…」
「ちょっと待て。」
「あ?」
「え?」
花子がぶた型チョコを口に運ぶ瞬間、低く甘い声と共にそれはひょいっと取り上げられてしまう。
その手の先をたどればどうしてだかすげぇ怖い顔をした俺の兄貴事参謀系ドS吸血鬼。
「…………」
「なんだよルキいきな……うおおおおおおお!?」
ぶんっ
ゴスッ!!!
俺の豚型チョコを取り上げたのはどこからか知らねぇけどいきなり現れたルキで…
どうしてだかじっとそれを数秒見つめたあと勢いよく振りかぶって壁に全力で投げつけてしまった。
お、俺の!!!俺のお手製チョコ!!!!雌豚チョコが!!!!
「おおおおおいいいい!!!ルキお前何しやがるコラァ!!!俺の渾身のチョコっつーか食いモン粗末に…っ」
「ユーマ見ろ」
「あ?」
突然の暴挙に出たルキに掴みかかり何しやがると激怒していれば
彼は酷く冷静にチョコを投げつけた壁に指をやる。
それに倣ってそちらに視線を移せば壁に少しだけ小さな傷……そしてその下には、
「……………」
「こんな凶器を花子に食わせてユーマは花子の歯を折りたいのか?」
ルキが全力で投げたにも関わらず壁にぶつかったそのチョコは床に全くの無傷で転がっていた。
…………あれ?なんでだ?
普通あんな力で投げたらチョコ粉砕するのが当たり前だろ。
「コイツを作っている時チョコに湯が大量に入ったにも関わらずそのまま気にせず湯せんを続けて湯を混ぜ込んだだろう…」
「あ、」
「物事の怠慢はこういう所に出てくるんだ。」
ルキの言葉にこれを作った時の事を思い出す。
そう言えばなんか湯……入った気がしなくも……いや、うん入った。
ちょっと…いや割と…や、かなり……うん。
「まぁ花子の歯を粉砕したかったのなら余計な世話だったか…」
「いやそんな訳………」
「そうだったの?」
嫌味に笑いながら俺をからかうルキに無知だった俺は少し恥ずかしくなって
彼を掴みあげていた手を離し、無造作にボリボリと頭を掻いてごまかそうとしたけれど
そんな笑える空間にそれこそバシャリと水を差すような悲壮な声が響き渡ってしまった。
「や…や、ちが…ちげぇよ花子……俺ホントそういうの知らなくてあのええっと」
「ユーマ君……私が我儘言ったから…怒ってもうそんな事言えないように歯を折る気でこれを……」
「あ……ああああああああ」
さっきまでご機嫌で嬉しそうに微笑んでいた彼女の表情はみるみる内に悲壮なものへと変わって
光の速さでその瞳には涙がたまり、やすやすとそれは決壊してしまった。
いや違う!!!違うんだって!!!俺ホント悪気無くてあのええっと…
「おいルキ!!!何とか…何とかしろよコレ!!!!」
「そもそも湯が入った時点でやり直さずにそのまま続けたユーマが悪いだろう」
「いやそうだけどよルキがあんなこと言わなけりゃっちっとは…」
「しかしあのまま花子が口にしたら確実に歯を折ってしまって、」
「うわああああん!!ユーマ君ひどいよおおおおおお!!!!」
ボロボロと涙をこぼす花子にどうすればいいか分からず再度ルキに掴みかかって事態を収めるように迫るが
またそんな事をいっちまうもんだから遂に花子は大きな声を上げてぎゃんぎゃんと泣き出しちまった。
「っだぁぁぁぁ!!!もう二度とチョコなんて作らねぇからなくそがぁぁぁ!!!!」
傷の出来た壁、
無傷でケロっと床に横たわるチョコもとい凶器
自分が悪いと微塵も思ってねぇルキ
そして俺に嫌がらせをされかけたと思い込んで泣きわめく最愛…
こんな地獄絵図みたいな惨状の中
俺の悲痛な叫びは響くだけ響いて誰にも拾われないまま虚しく溶けて消えてしまった。
なんだこの訳の分からねぇバレンタインは。
チクショウ…調子に乗って慣れねぇことはするもんじゃねぇ…
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