middle&short
  • eins



    考えは言葉となり


    言葉は行動となり


    行動は習慣となり


    習慣は人格となり


    人格は運命となる。







    ―――じゃぁ、運命は何になる?








    ※※※※





    「Mr.の勝利です!!!」



    湧き上がる歓声が鬱陶しい、暑苦しい、気持ち悪いとすら思う。悔しい、そんな筈は、と顔を歪ませる相手に新一は余裕の表情をちょい、と浮かばせてわざわざ見せつけてやる。


    片眉を上げて瞳を眇め、わざとらしくうっすらと引き結んでいた唇に悠然な笑みを落とす、それだけ。


    パラララ、とこの場を取り仕切るディーラーが冷や汗の浮かぶ額をそのままにカードをきるのを、表面上はにこやかに見つめながら、そして内心はポーカーフェイスが甘いな、と評価した。


    違法カジノへの潜入捜査。



    ……潜入捜査。新一の役目、それはただ一心に表で人の目を集めること。そうこうやっているうちに、裏では手筈通り諸悪の根源が叩き潰されているはずだ。


    新一の片耳に光るイヤリング。本来女性が好んで身につけるようなデザインのそれは、イヤホンマイクの機能が搭載された優れものである。


    つるりと丸い、深い青の宝石は名前をラピスラズリ。

    何の変哲もない石ころを削って磨けば、宝石だったなんてことがないわけじゃない。

    硬い石の表面にはさりげない模様の装飾がなされていて、ライトの加減で遠目にもピカピカ光る。しゃらりしゃらりと揺れる銀細工は新一が少し身じろぐたびに微かな声で囁き、その音に新一が目を細める仕草は何とも繊細で緻密な、ひとつの作品のような。



    和名を『瑠璃』と、『天を象徴する石』とも呼ばれる叡智の石。



    ふぅ、と軽く、溜息とも悟らせないように吐いた息はラピスラズリに聞こえただろうか。


    大金を賭け、大胆に勝負を仕掛けて場を盛り上げる。



    人の目が新一に集中するように視線を誘導し、声で、仕草で観客を魅了するのは母親からみっちり教えこまれていることもあってそれこそ呼吸と同様なレベルでこなすことだってできる。


    しかし、そうはいっても常に気を張らなければならないこの状況は好きじゃない。


    何だか、コナンに戻ったような錯覚に沈んでしまいそうで怖くなる。もう終わったことだ、と無理矢理息を吸って。そうやって、新一はやっと呼吸ができるようになる。


    カジノの奥のステージで繰り出されるマジックやストリップに夢中な観客もいて、あぁ、もう少し時間を稼ぐ必要があるな、と新一は適当に1枚カードを選んだ。


    かわいそうなディーラー、もうすっかりやつれてしまっているような気さえしてくる。こちらが悪者のような気分だ、あぁやっぱり気分が悪い。退屈で退屈で仕方ない、新一だってもう少し遊べるものなら遊びたいのに。


    ちら、と視線をステージの方向へやってみると、そこではこのカジノのオーナーが1人のマジシャンに声をかけているところだった。やっとオーナーが出てきたか、と気を引き締める新一に、声をかけられたマジシャンの射抜くような視線が刺さる。ひたり、と新一を見据えて離さない。


    マジシャンの視線が、新一をがんじがらめに縛りつけたような感覚さえする。


    それほど強くて、圧倒的に好戦的な、挑んでくる視線。どこぞのアイドルユニットが視線はまるでレーザービームのようだ、なんて歌っていたけれど、今ならその歌詞にも共感できる。


    確かに、強い視線というものは時に人間をナイフのように突き刺して、それからあまりの熱っぽさに溶かしてしまうんだろう。



    「………上等じゃねぇか」



    シニカルに、ただ純粋に楽しげに新一が笑う。


    新一の獰猛な笑みをどう受け取ったのか、憐れなディーラーがとうとうトランプの束を地面に放り投げた。


    オーナーに泣きつかれたマジシャンがこちらへゆっくりゆっくり向かってくるのを、新一は頬杖をついて眺める。


    歩き方、些細な仕草、眼球運動の癖、言動から考えられる思考パターン、性格、そのすべてを考慮した上で新一は賭けに興じる。


    かつて新一が追いかけ、そして同時に焦がれて仕方がなかった奇術師はポーカーフェイスの下でどんな表情をしていたんだろう。


    仮面の下で自分を殺す行為が染み付いて、いつしか目を閉じ耳を塞ぎ、世界を閉じる。そんなことすら、悟らせないんだろうな、とは思うけれど。


    ちょっとくらい、零してくれても良かったのに。

    そうしたら、新一はぽろぽろ零れた真珠のようなかたまりを余すことなく受け止めて拾い集めて、大事に宝箱の中にしまっておいたのに。



    「こんばんわ、オーナーから頼まれまして。」



    隠すつもりもないのか。


    優雅に一礼してみせたマジシャンは、くるっと手首から手のひらを回転させたかと思うと、新一に花を差し出した。


    ふわりと控えめに、されどしっかりと新一の衣服へ絡みついた香りには安眠効果などの効能があったはずだ。


    淡い紫苑の、つぶらなラベンダーを差し出されて、新一は綺麗にラッピングされたそれを受け取ろうか迷う。まったく、本当に隠すつもりがない。



    「………よろしく」



    直接言えばいいのに、そう思う。


    ひょい、と肩をすくめながらラベンダーを受け取った時、ほんの少しマジシャンの瞳孔が狭まった。


    猫の瞳、キャッツアイと称される宝石にラベンダー色のものはあったっけ。


    そんなことを考えながら、マジシャンにディーラーの席へ座るよう促す。


    新一の仕草を…ひょい、と肩をすくめる仕草をわざと真似たマジシャンが新一に対峙する。



    蒼穹と紫苑が交わって、どちらからともなく口元に薄く紅を差すように、嘲笑を浮かべて溺れさせた。



    「勝負はシンプルに1回きり、コイントスでどうです?」



    ピンッとマジシャンが指先でコインを弾いて新一へ寄こしてきた。遠慮なくコインを調べさせてもらい、それから新一も同じように指先で弾いてマジシャンへと返す。



    「じゃあ、裏に賭けさせてもらう。賭け金は持ち金ぜんぶ」



    ぜんぶ、新一のその言葉に、マジシャンと新一の周りに出来ていた人垣から悲鳴のような、それでいて興奮しきった嬌声があがった。


    新一の持ち金ぜんぶというと、おおよそ1,000,000$ほどになるだろうか。このゲームで大金が動く。
    大金が動けば人の波も視線も、注意も動く。あとはそれを、あつめてまとめて丸め込めばいい。



    「…では、私は表に」



    マジシャンの手袋に覆われた指先が、くるくるとコインを弄ぶ。指長いな、とマジシャンの手を一心に見つめながら、金ピカのコインが弾かれるのを待つ。



    この時間はおもしろいな、と素直に思えた。




    お互いの思惑を探り合い、先手をとって王手を奪う。
    勢いよく宙に飛ばされたコインを目で追うのは観客のみ。


    チェックメイトのその瞬間まで、お互いがお互い以外のものを考えることも視界に入れることもない、有り得ない。

    盤上で踊るコインがそのまま、赤い靴を履いた乙女のように踊り続けたらなんて幻想を抱く。




    ―――耳元で、ザザッとノイズが走った。いいところで邪魔が入る、そう舌打ちしそうになった新一の耳に任務完了を伝える合図。驚異的な身体能力を要す目の前のマジシャンにもきっと聞こえただろう。



    新一がここにいる理由、それがなくなった。



    未だに踊り続けるコインが、どうかもう少しお待ちになってくださいな、と新一の裾を控えめに引く。


    それを振り払い、硬い表情のままコインを見つめるマジシャンに、今度は嘲笑なんて類のものじゃなく、純粋に。



    「期待したり黙ったり疑ったり、忙しい奴だな。言いたいことがあるなら直接言いにこい」



    ラベンダーの花言葉。


    期待、沈黙、疑惑、不信。
    私に答えてください。


    こんなまどろっこしい真似をして、不信感を煽るようなことをする暇があるなら直接言いにこい。


    くるくるとコインは踊る。



    ぱちぱち、と2回瞬いたマジシャンがぐしゃりと仮面を剥ぐ。余裕そうな、大胆不敵な笑みは一体どこへ捨ててきたのか。



    踊るコインが速度を緩め、ゆぅるりと停止する。



    「…名探偵ってば、かーっこい」



    ぴたりと止まったコインは裏でもなく表でもなく、盤上に刺さるように鎮座していた。




    席を立った新一の耳元で、ラピスラズリが笑う。



    ラピスラズリは本来心臓付近、もしくは首元などに身につけるのが良い。それに対してイヤリングにするのはあまりすすめられていない。


    しかし新一は、イヤリングで正解だと思うのだ。


    ラピスラズリ、青の石、空の石。
    恋人たちの愛と夢を守り、持ち主に最高の幸運をもたらす。



    花に言葉があるように、宝石にも言葉がある。



    ラピスラズリ、青の石、空の石。
    聖業、健康、温和。
    それから、永遠の誓い。



    「誓ってやるから迎えにこい」




    何を誓うのかなんて、そんな野暮なことは聞かないで欲しい。

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