middle&short
    •  
    • 1/1
    •  
    null

    朝からひどい雨が降っていた。


    洗濯物は取り込んでおいたから問題はないし、畳んでクローゼットに仕舞うのも忘れていない。買い物は昨日済ませたし、昼食の時間にはまだ早い。やる事が無くなってしまったか、と溜息をついて、私はテーブルの上に飾ってある写真立てを手に取った。


    早いもんだなぁ、と柄にもなくしみじみとしてしまってから、手のひらで写真立てをこしこしと擦る。


    写真の中に立っているのは、昔の自分と友人の姿。


    赤茶色の髪に、強い意志を秘めた栗色の目。まっすぐストレートな髪はきちんとケアすればきっととても綺麗だったろうに、自分のことは二の次でいつも傷んでいた毛先。濡れた髪をそのままにしているのを見つけてはドライヤー片手に追いかけ回していたのが懐かしい。


    過去形なのは、すでに友人がこの世にいないからだ。


    もう1月。


    ただの友達じゃなかった、親友だった。


    中学校で知り合って、高校は違うところに通ったものの、大学はおなじで、もう何年も一緒で。


    大学を卒業して、お互い無事に就職が決まった時は深夜の居酒屋でどんちゃん騒ぎになった。


    他にも友人と中の良かった人たちはたくさんいて、1ヶ月たった今でも友人の墓石に手を合わせに行っているらしい。


    もうすぐ、四拾九日を迎えようとしているのに、私は友人のお墓に行くことができないでいた。


    友人がまだ生きていて、なんてことないように我が家のドアを叩きにくるような気がしてならない。


    こんな私に、友人の同僚の方たちは根気よく顔を見にきてくれている。


    職業柄忙しいだろうに、何度遠慮しても手土産を持参してやってくる。


    次に来るのは3日後だろうか。


    あぁそれにしても、とりあえずは今日やるべきことを終わらせねば。


    昼食は何にしようかとぼんやり考えながら、何をするでもなくぼーっと過ごす。

    こっくりこっくりと舟をこぎながら、今日の昼食は久しぶりに和食にするか、と脳内で冷蔵庫の中身を確認していく。味噌あったっけなぁ。


    こんっ

    こんこんっ


    「……ん?」


    ぱちりとまぶたを開く。確かに今雨音に混じって何か聞こえたような気がしたのだ。

    こんこんっ

    間違いないノックの音だ。先程まで自分を襲っていた睡魔はどこへやら、一気に意識は覚醒した。こんな雨の日に来客か?しかし同僚の方は出張と研修が重なっていて少しの間来れそうもないと言っていたし、郵便なんかがくるはずもなく。


    こんこんこんっ


    まさか、まさかと自分の目が見開かれていくのが分かる。
    だってそんな、さっきこんなシチュエーションを想像していたばかりなのに。


    期待するなと自分に言い聞かせて、立ち上がる。


    気配を殺し息を潜め、玄関の扉を睨む。このまま無視してもいいが留守だと思われてまた訪ねてこられるのも困る。仕方無しに、そろりそろりと扉の鍵をあけて勢い良く開いた。


    バァンッ!!


    「ヒノ……」


    玄関の扉を開けて、そこにいたのはまさしく濡れ鼠だった。ヒノってなにそれ、と唖然とする。

    かなり勢い良く開いた扉に怯えることもなく、かと思えばしょんぼりと俯くその姿。濡れそぼった体毛からは雨の雫が垂れ、手足は泥んこで心なしか元気がないような。

    犬なのか猫なのかどっちなんだろうとじいっとその生き物を見ていると、ふとその生き物がよたよたと私に近付いてきた。

    噛まれたりしないだろうかとビクビク怯えながら、その生き物が何をしようとしているのか観察する。


    「ぷぇっきしゅ!!」


    あ、大丈夫っぽい。

    というよりなんだそれはくしゃみか。くしゃみなのか。


    「…お、おいで」


    その生き物に差し伸べたてのひらはカタカタと震えていたのだろうけど、その生き物は私の顔をちらりと見たあと、遠慮がちにそっと触れてきた。
    その小さな手を私のてのひらに乗せて、それからまたちらりと私の顔色を伺う。
    触れた指先から伝わってくる温度はありえないほど冷たく冷えきっていて、さきほどまで怯えていた心根がカチっと音をたてて切り替わったような気がした。冷えすぎている。


    「ちょっと、待っててね」


    了承の意なのか、か細くヒノ、と鳴いた生き物の手を放して、できるだけ急いでバスタオルを用意し、お風呂場の電気をつけた。ガスもつけて、温かいシャワーが出るのを確認してから、またもや急いで謎の生き物の元へ舞い戻る。

    私の言ったとおり、その場からじっと動かずこちらを見上げていた生き物は、バスタオルを広げる私の意図を察したようで極力水を飛ばさないように動きをゆったりとしたものに変えた。

    頭のいい子だな、となかば見当違いなことを考えながら、心細そうにヒノヒノ鳴く生き物にバスタオルを広げて見せる。

    自分よりも大きなものが視界いっぱいにうつって驚いたのか、生き物は数歩後ろへ下がって私の顔色を伺う。


    「大丈夫だから、おいで?」


    こちらから迫ることはせず、歩み寄ってくれるのを待つ。精一杯柔らかく微笑んで、バスタオルをふんわりと広げる。


    「ヒノ……………?」


    首を傾げていいの?とでも聞いてくるような仕草に、うん、と頷けば、生き物はぽてぽてと短い足をこちらに向けて、やがてすっぽりとバスタオルにおさまってくれた。

    ゆるゆるとタオル越しに生き物の背中を撫でて、驚かさないようにゆっくりと、赤ちゃんを抱っこするように抱き上げる。


    ちっちゃくて、もろい。


    そんな感じがした。


    柔らかいタオルを選んでよかったなぁと今度は頭を撫でながらお風呂場へ移動し、シャワーが出るように蛇口を捻った。蛇口……これ蛇口っていうのかな…捻ったらシャワー出るとこなんて言うんだろ…

    ザアァ、というシャワーの音に、腕の中で生き物がその小さな体を固くしたのがわかった。もしや水が苦手なのかな?

    もしそうならむりにシャワーで温まらなくてもいいかな、と思い、シャワーを止める。途端に生き物の体の力が抜けたものだから、素直だなぁと思わず笑ってしまった。


    「きみは牛乳とか大丈夫なのかな…」


    犬でもないし猫でもない。さーて困ったぞ、と私はとりあえずその生き物の体を軽く拭いてやって、ソファの上に転がしてみた。


    転がすというより座らせた、という方が正しいかもしれないけれど。


    きちんとお行儀よくソファの上に収まった生き物は、柔らかな弾力のあるソファの質感を確かめるように2、3度足踏みをして、どうやらお気に召したようでそのまま丸くなってしまった。


    あーそのまま寝ちゃうかなー?と思ったけど、ふわふわのバスタオルの端っこのほうをがじがじと甘噛みし始めたから大人しく台所に向かうことにした。


    ソファといいタオルといい、柔らかめなものが好きらしい。


    ひなた色のバスタオルにくるまってうとうとしているあの子は、一体何という名前なんだろう。


    ドアを開けた時、喉元で外に出ようとしていた名前の人物ではなかったことに落胆していた自分には、そっと見ない振りをした。

    •  
    • 1/1
    •  
    ALICE+