middle&short
  • eins

    海外での公演を終えて、久しぶりに日本へ帰ってきた。
    最近、というよりここ何年かはずっと海外で過ごしていた快斗は懐かしさに頬が緩む。
    懐かしい、そう思うと同時に、この国にいるはずの人物がまぶたの裏に浮かんできて、快斗は苦笑するしかない。
    まだ忘れられないのか。
    もう何度も自嘲したのに。
    少ない荷物が入ったキャリーケースを引いて、空港からタクシーでもう何年も帰っていない実家へと帰る。
    母親も快斗も海外生活が長くなって、軽く5年ほど帰っていない実家の片付けをしなければ。
    隣に住んでいた幼馴染みが掃除はしてくれていたらしいが、あの部屋の掃除はできていないだろうから。

    「快斗くん!久しぶりだなぁ、立派になったもんだ」

    懐かしい、お久しぶりです中森警部。
    そう返せば親しげに肩を叩かれて、かわってないなぁと実感する。
    久しぶりに会ったからか、ずいぶんと長いこと話し込んでしまっていて、そろそろ荷物を置きにいこうかなと考えたとき。
    何気なく、不意に中森警部の口をついて出た言葉が、快斗は信じられなかった。

    信じられなかったし、信じたくもなかったのだけれど。

    「あぁ、そういえば。キッドの現場によく来てた、工藤とかいう探偵が結婚するらしくてな」

    儂も早く孫の顔が見たいもんだ、とぼやく中森警部に、快斗は何と言ったんだか。
    名探偵が、結婚する。
    名探偵が。
    結婚。
    あぁ、そうか、と。
    ギシ、と自室のベッドのスプリングが悲鳴をあげた。

    あれ、どうやってここまで来たんだっけ。

    かつて自分が月下の奇術師、なんていう呼び名だったころに出会った少年。
    本当の姿は自分と同じ年代だなんて、どう見ても小学生にしかみえないのに。
    透きとおるような青の眼で、快斗を射止めたもっとも出会いたくない恋人。

    うそ、うそだよ名探偵。
    本当はずっと会いたかった。

    強い視線、不遜な態度に見え隠れする不安定さ。
    …幼馴染みの少女を一途に守る、その心。
    清くて清らかで、何よりもきれいでまぶしい。
    彼のすべてを、快斗は誰にもいうことなく、たったひとり、愛していた。
    バレるわけにはいかない。
    恋人になりたいだなんて思わない。
    稀に、たまに、自分の遊び相手として会ってくれるだけで十分だった。
    月夜の晩に、寒いビルの屋上で一言二言、会話して。
    その記憶だけで、快斗は生きていけるような気さえしていた。
    もっとも、人間が欲深く愚かでバカだっていうことを忘れていなかったらの話だが。
    昔、たった一言だけ、誰にも聞こえないような声音でぽつりとつぶやいたことがある。
    名探偵が律儀に別れを告げてきたとき。
    決着をつけにいくのだと、世話になったな、と。
    その時快斗は、キッドはおいてかないでと叫んでしまいたかった。
    またいなくなってしまうんだろうか。
    名探偵までいなくなってしまったら、快斗はどうしたらいいんだろう。
    もし名探偵が死んでしまったら、名探偵がいなくなった世界で、どうやって生きていけばいいんだろうか。

    名探偵と過ごした記憶を糧にして?

    そんな、名探偵の欠片みたいなもので生きていくことなんて、できないよ。
    けれどそんなこと、言う資格なんてこれっぽっちも無いし。
    だから、去っていく名探偵の背中にぽつりと。
    たった一言だけ。

    ―――…迎えにいけたらよかったのに。

    名探偵の姿が見えなくなったビルの屋上で、快斗は少しだけ泣いたのだ。
    さよなら、さよなら愛しい人。
    どうか生きて帰ってきてほしい。
    それだけしか望まないから。
    何も望まないから、生きていてさえくれたら、それでいいから。

    「―――式には警察関係者も呼ばれてるみたいでなぁ。確か…来月、だったか」

    中森警部は来月、と言っていた。
    …一目、だけでも。
    名探偵の姿を一目見たら、すぐ帰るから。
    少しだけおじゃまさせてほしい。

    「―――…愛してるよ、ずっと」

    愛していた、と割り切れないだなんて。
    自分はいつからこんなに女々しくなったんだろう。
    来月、来月。

    名探偵が結婚してしまう。






    警視庁、工藤邸、阿笠邸、毛利探偵事務所。





    下調べは基本中の基本だ、と快斗が盗聴器をしかけたのはその4箇所。

    怪盗は引退したんだけどなぁ、とまた自嘲して、快斗は情報を集める。
    驚いたことに、幼馴染みの少女と結婚するのだとばかり思っていたが、お相手は何と快斗のことをハートフルと称した彼女だった。
    本名を宮野志保、名探偵と同じ薬で運命共同体の。

    あぁ、この子が。

    何気なく様子を伺ってみて、快斗は確信した。
    工藤新一は宮野志保と結婚するのだと。
    幼馴染みの少女はどうしたのだろうという疑問は、盗聴器ごしに聞こえた本人の言葉で解消された。

    ―――蘭のことは、たしかに好きだったんだと思う。
    けどなぁ…コナンからいざ戻ってみると、もう恋愛ってヤツじゃなかったんだよ。

    蘭は俺の幼馴染みで、姉で、妹みたいな、そんな感じ。
    ふぅん、と相槌をうつ声は、かつての灰原女史よりも幾分落ち着いたトーンで。
    それよりも、盗聴器ごしとはいえ聞こえてきた名探偵の声に、不覚にも快斗は泣きそうになった。
    生きて元の体に戻れたことは知っていたけど、今ようやくその実感が湧いてきたのだ。
    穏やかな会話の中でぽつぽつと聞こえる新一の声に、快斗は心臓が痛かった。
    生きていてくれて嬉しいのに、その痛みに負けて泣き出しそうになる。
    祝福しよう。
    名探偵はきっと幸せだ。

    「しあわせになって」

    それが快斗のただひとつの願いだから。

    生きて、幸せになって。









    式場にはたくさんの人がいて、名探偵の人脈おそろしや、と快斗はおかしくなってちょっとだけ笑った。

    相変わらずひとたらしなんだな、かわんないなぁ名探偵。
    新郎が着るであろう真っ白なタキシードとは反対の、真っ黒なフォーマルスーツを身につけた快斗は、参列客に紛れてまんまと式場に入り込んでいた。
    情けない話、結婚式だからとオフホワイトのネクタイを手に取った時、名探偵が本当にいってしまう、とまた泣いてしまった。
    胸が、心臓が音をたてて軋んで、快斗はあまりの苦しさに少しの間、ネクタイを握りしめてうずくまっていたほど。
    苦しい、嫌だ、痛い。
    助けて、と言ってしまいそうになる。

    「ごめん名探偵、祝って、あげられない…!」

    おめでたいことなのに。
    ごめんなさい、ごめんな、と親に叱られた子どものように繰り返し謝るしか、快斗はこの痛みから逃れる方法を知らなかった。
    それが一時しのぎにすぎないなんて、自分が一番分かってた。
    だけどもう、名探偵はあの子のものになっちゃったから。
    ちょうだい、なんて言えるわけがないんだ。
    どうしよう、まだ新郎の姿を見ていないのに、また泣いてしまいそうな。
    下唇をぐっと噛みしめて、得意のポーカーフェイスをつくって。
    泣きわめいている黒羽快斗は仮面の下におしこんで、結婚式を心から祝う黒羽快斗へ化けてみせよう。

    …とうとう新郎新婦が、満を辞して登場した。

    古めかしい、木の扉を2人で押し開けて、参列した客に惜しみなく笑顔を振りまいて幸せそうに腕を組んで。
    門出を祝う鐘が軽やかに歌って、新郎新婦を見守っている。
    遠目から見た名探偵は、少し痩せただろうか。
    線が細いように見える、きっと無茶なことばかりしてるんだ。
    遠目から見ただけなのに、今日は祝福するために来たってのに。
    やっぱりすきだなぁ、名探偵。
    わざわざ再確認するなんて、快斗はバカにも程がある。
    …もう、十分だ。
    これ以上ここにいたら、きっと自分はろくでもないことをするに決まっている。
    泣きわめく?
    新郎をさらう?
    式をぶち壊す?
    そんなものは、名探偵の幸せには必要ないものばかりだから。
    ゆっくり、一歩一歩ゆっくりと人混みから踏み出して。
    伏せていた顔を上げて、式場を後にしようとして。

    「…え」

    顔を上げた快斗と、名探偵の視線がほんの少し。
    ほんの一秒にも満たない時間、絡まったような気がした。
    驚いて、一瞬動きが止まった快斗は次の瞬間、今度こそ驚いて目を、そのアメジストの眼をかっぴらいた。
    花がほころぶよりも儚く、何よりも愛しいブルーアイズが快斗のためだけに微笑んで。
    やわらかく細められた目に浮かぶ色に、快斗はわけがわからなくなって固まってしまう。
    だって、どうして、名探偵は灰原女史と結婚するのに。

    どうしてそんな、大切そうに、俺を。

    スローモーションのようなその時間はあっという間に過ぎ去って、ブルーアイズに釘付けになっていたため快斗は、反応が遅れてしまった。

    「確保ォッ!!」

    名探偵が、快斗を指差して叫んだ。
    快斗がはっ?と間抜けな声をもらすよりもはやく、参列客たちが一斉に目の色を変えて快斗をおさえこむ。
    あれ、この感じ知ってる。
    中森警部がキッド追いかけてるときとおんなじだ。
    どこからだしたのか、快斗を縄で縛り挙げ句の果てには手錠までつけられた。
    縄も手錠も、抜けようと思えば抜けられる。
    快斗がそんなことを考えていたのを察知したのか、新郎のとなりにいたはずの新婦まで「逃げようなんて思わないことね、ハートフルさん?」と釘をさしてきた。
    元大怪盗がなんたるザマだと自分でも思うが、何だか急展開すぎてさすがの快斗も戸惑ってしまう。
    抗議の声を上げるまもなく、問答無用とばかりに新郎と一緒にチャペルの中に放り込まれてしまった。
    誰にって新婦に。
    新婦ってアンタ。
    扉が閉じる瞬間、ウェディングベールを豪快に自分で剥ぎ取った新婦が「じゃ、工藤くん。借りはたしかに返したわよ」とそれはそれは美しく笑っていたのも気になる。
    それに気の抜けた返事を返す新郎本人に対しても、快斗のIQ400の脳は完全にショートしていた。
    クエスチョンマークの浮かぶ頭で必死に、快斗を縛る縄を解いてくれている名探偵にかける言葉を探して見つからなくて、逃げてしまいたい焦燥に駆られていた。
    はなれなきゃ、逃げなきゃ、だって快斗は。
    工藤新一が好きで世界で一番愛してるんだから。
    ぐるぐると、ずーっとそんなことを延々考えていた快斗の髪を、しょうがないなぁ、って顔をして名探偵がくしゃりと撫でてくれた。

    「名、探偵…?え、え、灰原女史?………結婚、するんじゃ」

    正体を隠すことも取り繕うことも忘れて、呆然と零す快斗に名探偵はニヤ、とイタズラが成功したような幼い表情を見せた。
    未だ混乱している快斗に、つとめて優しく答え合わせをしてくれる。

    「怪盗キッドの正体なんざ、とっくの昔に知ってたからな。
    日本に帰ってくる頃合を見計らって中森警部や目暮警部に情報を流す。
    オメーのことだ、しらべようとすりゃあ手段はいくらでもあんだろ?
    それも利用させてもらったぜ。
    ま、ようするにオメーが勘違いするように仕向けてここに来るように誘導したってわけだ。
    ちなみに参列客はFBIや公安警察の皆さんだ。」

    赤井さんと安室さんに頼んだら、予想外の人数が集まっちまってさぁ。

    そんなふうに話す名探偵が楽しそうで思わず話の内容をスルーしかけたが、今、え?
    名探偵は、なんと言った?

    「名探偵、灰原女史と結婚しないの!?」

    半ば叫んだ快斗に、名探偵がしらーっと呆れたような目をする。
    今にも溜息を吐きそうな。

    「演技を頼んだだけだっつの。アイツ、俺への貸りを返してないっつってずっと解毒剤飲んでなかったからな……。
    ちょうどよかったから、これで貸し借り無しだって協力させたんだよ」

    そりゃまた、なんとも大掛かりな。

    「オメー、一周まわってバカだな」

    IQ400が聞いて呆れる。

    カシャン、と手錠が外される。
    縄を解いて、手錠を外すためもあって名探偵と距離が近い。
    名探偵が結婚しない、それだけで快斗は嬉しくなってしまったのに、この状況はいただけない。
    非常にいただけない。
    わざわざ帰国日を予想して、その幅広い人脈を使ってお膳立てまでしてくるなんて。
    期待してしまいそうになるから、本当にやめて欲しい。

    外された手錠。
    解かれた縄。
    自由になった手足。

    だけど快斗は、その場から動けなかった。

    「何で、こんなこと」

    口にした言葉は震えてなかっただろうか。
    唇の端はひきつってなかっただろうか。
    大丈夫、まだポーカーフェイスは保てている。
    そう信じないと、今にも決壊しそうな何かが快斗を揺さぶってくるから。

    「迎えにきたかったんだろ?
    だからさ、今度は俺が迎えにきた」

    とびきりの笑顔で、絶対に手に入らないと諦めていた宝物が快斗の目の前にある。

    聞こえていたのか、だとか嘘じゃないのか、だなんていう無粋なことを思う暇もなかった。
    快斗にむかって、ひたすらやわらかく両手を広げて待っていてくれる宝物がある。
    快斗を待っていてくれる宝物。
    ん?なんて、小首を傾げて、新一が快斗を待っている。

    ―――あぁ、もう。

    「俺と結婚してよ、名探偵」

    掠れた声でしたプロポーズは、なんとも情けない。
    広げた腕の中に飛び込んだと思いきや、背骨が折れるんじゃないかってぐらいの力で抱きしめられた新一は、それでも満足そうに、快斗の背中に手を添えた。
    「やーっとつかまえた」





    ニヒルに笑った彼は、とうの昔に答えを用意していたのに。

    ALICE+