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  • eins

    東の高校生探偵、平成のシャーロック・ホームズ。





    数々の異名を持つ工藤新一には俗にいう『記憶』というものがあった。それもただの記憶なんかじゃない、いわゆる『前世の記憶』という類の何とも奇妙なものだ。体が縮んだ次は前世の記憶ときたもんだ。

    その記憶は生まれつき持っていたというわけではなく、ある日突然ぽっと湧いて出たかのように唐突に新一の脳内を闊歩していた。





    最初はAPTX4869、またはその解毒剤の副作用で記憶障害が引き起こされた可能性が1番有力だと信じていた。だが、それにしたってこの記憶は細部にいたるまで事細かく思い出すことが出来たし、何より自分が体験したかのような臨場感と圧迫感をもって新一に信じろと囁き続けてきたのだ。





    勘弁してくれ、と頭を抱えても、新一のとびきり優秀な灰色の脳細胞は膨大な量の記憶をサクサクと細かく丁寧に整理しきちんと理解した。何百年も昔の英国での記憶を、それはもう鮮やかに。








    英語での正式名称をUnited Kingdom of Britain and Northern Ireland.








    初代国王ウィリアム1世は『征服王』の呼び名を持ち、その息子であるウィリアム2世は赤毛の髭であったことから『赤顔王』と呼ばれた。
    『碩学王』ヘンリー1世、『獅子王』リチャード1世、『欠地王』ジョン。歴代の王たちの呼び名はどれも煌びやかで、そしてどこかコミカルでもある。




    では、自分がお仕えする主君に相応しい呼び名は何だろう。




    慎ましく清らか、かと思いきや家臣達が驚くような大胆不敵な一面をも併せ持つ絶対君主。飄々としていて掴み所の無いような役を演じてはいるが、影から虎視眈々とこちらを覗くしたたかさと妖艶さも持ち合わせ、国民からも、それこそ周辺諸国の面々からも支持を得ている。





    賢く聡明、知的でなんびとたりとも彼女に膝をつかせることなどできはしない。

    彼女が膝をつくのは、この国の王位をアクセサリーのように着飾りお披露目した戴冠式、ただその時だけ。




    『賢屈王』




    この呼び名がぴったりだ、と彼女を守護する騎士は思う。





    グレートブリテン及び北アイルランド連合王国を統治する女王、エリザベート。





    玉座に君臨する彼女の美しいブロンドの髪は、未だ少女としての気品も無邪気ささえもそのままにずっとたおやかに揺らめいている。

    まだ幼いといえる時分に家督を継ぐ羽目になった騎士を、弟のように我が子のように可愛がって下さった(おもちゃにされていたともいう)彼女からの呼び出しに、騎士は心臓が嫌な音を刻んでいるのがよくわかった。




    「失礼いたします。ウィストリア男爵家スペイド、只今参りました」




    重厚で豪者な、謁見の間へと通じる扉は騎士の前に容易く道を開けた。





    女王らしからぬ、気だるげな様相で彼女は玉座に座っていた。王しか座ることを許されない玉座も、彼女に言わせてみればただの椅子なのだから。




    「久しぶりねスペイド。元気だったかしら?」





    「お久しぶりです女王陛下。病にかかることもなく、息災でございました」





    「エリザベートと呼びなさいと何度言ったら分かるのかしら、私の騎士は。」




    どこの世界に女王を呼び捨てにする騎士がいるものか。心中でそう毒を吐きながら、それでも騎士は兜の下でうっそりと微笑んでみせた。

    口元を動かすなんてとんでもない、この破天荒な女王は騎士が家督を継いでからもう何年もの付き合いだ。いつ、どうしたら機嫌を損ねて、なにをどうしたら機嫌が良くなるだなんてとうの昔に知り得ている。




    「…まぁいいわ、あなたが私のお気に入りなのは変わらないもの。今日はねスペイド、あなたに仕事を任せようと思って」




    仕事、その言葉に騎士は兜の下、微笑みを消して訝しげに眉を寄せた。
    仕事だなんて珍しい、この女王が。





    「怪盗紳士を名乗る義賊のことはもちろん知っているでしょう?国民たちからキッドと称され人気を集めている」





    怪盗紳士、義賊、キッド。
    確かに聞き覚えはある。巷で噂になっている泥棒のことだ。悪名高い貴族や商人にのみ盗みを働き、盗んだものは貧困に苦しむ市民の家に投げ込むという義賊。

    こともあろうに標的とした相手に予告状を送りつけ、警備を厳しくさせた上で犯行に及ぶ一風かわった泥棒のこと。




    だが、その泥棒が一体どうしたというのだろう。




    聡明で未来すら見通す、と言われるほどの賢屈王が泥棒にドレスの裾を踏まれるとは思えないし、女王自らが気にするほどの存在でもない、というのが騎士の見解である。




    騎士がそう結論づけるのを待っていたかのように、彼女はほれぼれするほど艶やかにテカテカと光沢のある唇から音を吐いた。




    「来月私が主催するトレオで、ノルマン公爵が所有するエメラルドを盗むという予告があったのよ」




    ノルマン公爵というと、悪徳な商人と手を組んで偽物の宝石や絵画、美術品などを売りさばいて富を得ているともっぱらの噂の公爵だ。陰険で、奇天烈なほど鋭いノルマン公爵は未だに王家、そして騎士団に証拠を掴ませていない。

    騎士自身、何とか証拠をと駆けずり回る同僚の姿をよく目にしていた。





    ならば、女王がこの件に介入した理由は察せられる。





    この予告状、そして義賊をうまく使えば国家に不利益な、ひいてはこの国に必要無いと女王に判断されたノルマン公爵を貴族の位から引き摺り落とすことができる。

    女王が主催する舞踏会でノルマン公爵の悪事が露見すれば、もう言い逃れも証拠隠滅もできないのだから。





    ……さらに付け加えるとすれば、『女王の』主催する舞踏会で盗みを働くと公言した泥棒にお灸を据えること。
    女王の顔に泥を塗る行為など、許されない。しかしこの泥棒のおかげで騎士団や王家に巣食う悪徳が排除されているのも事実であるため、女王も軽く、それこそ騎士で遊ぶ時のような調子であることがうかがえる。




    「そこであなたに宝石の警護をお願いしたいのよ、私のスペキュレーション」




    彼女はよく、冗談交じりにではあるが騎士のことをスペキュレーションと称す。





    私の切り札、と彼女は騎士を呼ぶ。





    この言葉、名称は彼女からの何よりの信頼の証だ。
    だから、それをよく知っている騎士はいつだって彼女を姉のように母のように慕い、何よりも高純度の忠誠を誓う。





    「謹んで拝命します」





    恭しく、最上級の敬意を表し一礼した騎士が謁見の間を退出する。きっと、これからのことについて綿密に計画を立て、そして宝石や怪盗について事細かく調べるのだろう。




    「さて、私のかわいい騎士にどう立ち向かうのかしらね」





    星を散りばめ、さらに砕いた月の欠片をはめ込んだような豪華な謁見の間。

    優雅に、すらりと艶やかな足を組んでぽろ、と零したのはこの国の女王。もたれ掛かるようにして玉座に座り、行儀悪く肘をついて不遜に笑う。





    彼女は一国の王である前に、ただの女でもあったのだ。





    ずる賢く、先手を奪い、相手を掌で転がす側の存在。




    「楽しみだわ」








    そして同時に、無垢な乙女でもある。








    今から何年ほど前のことだったか。

    自分がまだ幼い、無力な少年であった頃。




    父親が突然死んでしまって、母と途方に暮れていた時に、助けてくれた人がいた。





    母に絡んできた男相手に立ち向かい、かろうじて母を逃がすことが出来て気が緩んだその時。油断した少年に向かって男がナイフを振り上げてきたのだ。
    恐怖を感じる暇もなく死を悟った少年は痛いのかな、痛いんだろうな、痛いのは嫌だな、と咄嗟に庇った頭で考えた。





    …だと、いうのに。





    いつまでたっても、少年に襲いかかる衝撃なんてこなかったのだ。





    ひっ、と野太くて引き攣ったような声が聞こえてきて目を開けると、少年の目の前にいたのは首筋に細身の剣先を添えられて顔を青くしている情けない男が1人。





    男の背後、そこに立っている人物が剣先を添えているらしく、男が恐る恐る振り返った時にようやく少年もその姿を目視することができた。一言で言うなら、ほっそりとしたシルエットは何だか頼りないというより、どちらかというと守られる側、庇護下に置かれる側の人間であるという印象。





    黒い外套に金の装飾の施された兜を纏う、背格好からして随分と若い騎士。





    後ろを振り返った男が、騎士とはいえ随分と頼りない体つきに余裕の表情を取り戻す。下卑た笑みを浮かべ、ナイフを少年から騎士へ差し向ける。その光景が少年にはまるでスローモーションのように見えて、思わず危ないッ!と叫びそうになった。




    警告として叫ぶつもりだった少年が、ぱかりと口を開いたその刹那。




    力なく地面へと横たわる男の姿に、少年はまん丸な双眸をさらに丸くすることになった。





    何が起こったのか、理解するのに数秒ほどかかったほど。
    まず第一に、騎士が持っていたレイピアを逆手に持ち替えたかと思うと、その柄で男の腹を突き、挙句の果てには空いていたもう片方の手で男の顎に鋭い一撃をお見舞いして昏倒させた。
    そう完璧に理解した頃には、騎士はしゃらりとレイピアを鞘に納めていたし、何より騒ぎを聞きつけたのであろうこの街の自警団がバタバタとこちらへ向かってきていた。





    ……自警団。





    自警団を構成しているのは、背も高く体格も逞しい男たちばかり。そう、ちょうど、ナイフを持ち出して少年へ刃を向けた男と似たような。





    知らず知らずのうちに息を詰めて、カタカタと小刻みに小さく震えてしまったのは遅れてやってきた恐怖のせいだろうか。
    どうしよう、こわい、と焦って内心パニックになってしまう。





    「……街の自警団か。すまない、こいつの捕縛は任せる」





    どうしようどうしよう、心中困り果てた少年の耳にばさり、と何かが翻るような音が届いた。
    騎士が外套を翻したのだ。ばさりと騎士が外套を翻した瞬間から、少年の視界から男たちが消える。
    それに驚いていると、何かに体全体を覆われた。





    それが騎士の外套である、と気付いたのは、男たちから隠すように守るように、騎士が少年を引き寄せたからだ。大丈夫、と低い、少し掠れた声で囁かれて、騎士が庇ってくれたことがとてつもなく嬉しく感じられる。





    騎士が作り出した暗闇の中、縋るように抱き付けば、驚いたような間が空いた後おずおずと背を撫でてくれた。





    ぎこちなく、けれど優しくあたたかい感触。





    その感触に、少年は…泣いてしまいそうだと、思った。





    大好きな父がいなくなってしまって、母も悲しんでいるというのに少年が泣くわけにもいかなかったから。誰にも縋ることも、助けてと手を伸ばすこともできなくて、少年はがんじがらめに囚われた中浅い呼吸を繰り返すことしかできなかった。

    ずっとずっと。




    さみしかった、くるしかった。

    つらかった。





    たすけて、たすけて。

    誰かおねがい、おれを、母さんをたすけて。








    少年の目の前には母、そして背後にはこの世ならざる存在となった父がいるのに。
    そのどちらの手をとることもできなくて、少年はずっと寒くて暗い場所でうずくまって震えていた。





    何も知らない、赤の他人に同情されるのが痛くて、みんながみんな嘘をついているように見えてしまって。

    見せかけだけの、うわべだけの言葉が凶器になるなんて知らなかった。





    ―――…だっていつも、父さんや母さんが守ってくれていたから。





    騎士の外套の裾を強く握りしめて俯いて、どれくらいの時間が経ったのだろう。
    ぽんぽん、と赤子をあやすように。少年の背をずっと撫でていてくれた掌が、少年を2回叩いて合図を送った。





    「もう暴漢も自警団の奴らもいねーよ。よく頑張ったな、もう大丈夫だから出てこい」





    おりゃー!と、フランクな、それこそ少年を引き寄せた時とは別人のような気安さで脇腹を擽られ、思わず目尻の涙がぴょっと引っ込んだ。ばさり、と風見鶏の羽ばたきに似た音と一緒に外套が取り払われ、少年の目を容赦なく光が刺した。





    「おっと、悪い。眩しかったか」





    からからと軽く、涼やかに笑う声が耳に心地良い。やっぱり少し、眩しい。
    それでも、助けてくれた恩人に礼の1つでも言わなくては少年の気が済まない。





    「あ、の」

    「まだ目が慣れねーか?重いけど、これでも被っとけ」





    そう言って笑いながら、騎士が少年の頭にぽいっと何かを被せた。ずしり、と感じられる重さに思わず半目になるが、この重量に質感はもしや。





    騎士の象徴ともいえる兜。





    少年が騎士に被せられたのは、まず間違いなく騎士の兜そのものであると脳味噌が判断した瞬間、少年はザァーーッと血の気が引く思いがした。こんな、高価で大事なものを自分のような子どもにいとも容易く預けるなんて!





    信じられない。





    眩しいと思っていたのは事実だから、確かに助かりはした、だけど!





    「あ、あの!」





    思い切って顔を上げ、騎士へ忠告の1つでもしてやろう。そう思って、少年は兜の隙間から外を見た。





    「どうした?クソガキ」





    隙間から見えたのは、少年に向かってシニカルに笑う青年のとびきりきれいな笑顔。





    「ウッ」





    短い悲鳴を上げた少年に、ぎょっとする青年が何を言っているのか、もう聞こえてこない。これは、マズイ。
    少年の小さなハートは、青年の笑顔と仕草、それから気の抜けた時の少し乱暴な口調、ギャップ。それらすべてが1発の弾丸に込められて凝縮されて、真正面から少年の心臓、ハートを撃ち抜いた。





    「……元気してっかなー、貴族さま」





    真っ白なタキシードにマント、シルクハット。染みひとつない衣装を身にまとい、闇夜できらりと光を反射するモノクルがトレードマークの怪盗紳士。
    かつての少年は、幼い頃に芽生えた淡い恋心に胸を馳せ、悠々と眼下にて催されている舞踏会を眺めていた。





    あの後、少年を屋敷まで連れ帰り怪我の治療までしてくれた、優しい貴族さま。使用人2人に少年を家まで送るように命じ、そして最後に笑って頭を撫でてくれた。





    執事が送迎の役目を請け負うのかと思えば、2人とも年若い女性のメイドで、帰り道メイドに何故?と尋ねてみれば旦那様より怖がらせぬようにとのお気遣いでございます、と返答が返ってきた。
    あんな、子どもにまで紳士的な対応。そりゃ、一目惚れもするし憧れるというものだろう。





    「…さて、お仕事といきますか」





    貴族さまがいたらいいなぁ、なんてそんなことを思い描きながら、シルクハットを深く被り直す。
    閉じた瞼の裏に浮かんでくるのは、あの日少年を、後の怪盗紳士を助けてくれた恩人、そして叶うことのない初恋の人。




    さぁ、仕込みは上々、抜かりはない。
    今宵も紳士淑女の皆様に、夢のようなひとときを過ごしていただこうじゃないか!







    「Ladies and Gentleman!!」



    「……これは一体、どういうおつもりなのでしょうか、女王陛下」





    眉間に青筋をたて、憤怒に震える騎士を満足気に眺めていた女王が、心外そうに小首を傾げる。
    さらりと女王の黄金の髪が肩に落ちて、その抑えきれない色香を更に増幅させているが、当の本人はというと目の前でプルプル震えている子鹿を愛でるのに忙しいらしい。





    「あら、似合ってるわよ?あなた用に作らせたパーティドレス」





    そう、ドレス。
    今騎士が身につけているのは、普段の甲冑や無骨な兜なんてものではなく、年頃の乙女が着るような華やかなドレスだった。

    ふんわりと裾が風に踊る様は見ていてシルフのようだし、白を基調とされたドレスは細身である騎士のプロポーションを抜群に引き立てていた。ところどころに花びらを撒くように、目が冴え渡るような青、いや蒼と金の糸で施された刺繍は溜息が漏れるほど美しい。
    鬘、エクステーションと呼ばれる類のものまで取り寄せて、騎士は今や誰もが振り返る黒髪の乙女、という姿だ。





    刺繍と共に縫い付けられているのは、この国で生産されている大粒の真珠だ。





    ぶるぶると憤怒に震える騎士が、女王のあまりの本気ぶりにドレスを汚さないよう、動けないでいるとそれに気を良くしたのか更に着飾ろうと詰め寄ってくる。





    「一応、顔は隠した方がいいでしょう?ティアラの一つでもつけてあげたいけど、騒がしくなったら困るわね」





    勘弁してくれ、と騎士は心の中で悲鳴をあげた。降参、降参するからやめてくれ。
    ティアラなんてものつけて舞踏会に出てみろ、女王の近親者と思い込まれてどんな目にあうか!





    考えただけでもぞっとする。
    鳥肌のたった二の腕を摩っていると、女王が何かごそごそと騎士の髪、ひいては頭に飾っていた。





    パッ、と手を離されると、視界に降ってくるのはドレスと対になるようなデザインのヴェール。薄い膜のような白いレースの布地は目元を覆い、騎士の顔を隠した。
    ひらひらとして頼りないような気もするが、無いよりはマシだろうか。





    顔バレなんて恐ろしい真似はできたら御免被りたい。いや、それだけは阻止せねば。





    「さ、これで準備は整ったわ。うん、やっぱり似合ってるわよスペイド」





    最後の仕上げ、とばかりに女王自ら騎士の髪に髪飾りをつけた。ヴェールをかきあげ、騎士の額にキスした女王は今度こそ満足そうに頷く。未だに女装させられたことに不満そうな騎士がおかしいのか、うふふと笑みをこぼしては楽しそうに寛いでいる。
    騎士のドレスを用意し、そして化粧までして。もしやこのためだけに舞踏会を…?と騎士が疑うのも仕方ないと思う。





    「ノルマン公爵の所有するエメラルド『シュヴァインフルトグリーン・ナイト』は、ノルマン公爵自身が身につけて参加するそうよ。公爵には私から話をつけておいたから、あなたは私の護衛兼宝石の警護をよろしくね。」





    ひらひら、とてのひらを騎士に向かって振りながら気安くそうのたまう女王。護衛はほかにもいるから、宝石を優先するように、とのご命令だ。





    『シュヴァインフルトグリーン・ナイト』

    随分と長い名前の宝石だが、シュヴァインフルトグリーンというのは色を、ひいては緑色を表す。緑柱石、ベリルの1種であるエメラルドの中でも一際美しいと評判の宝石だった、はず。
    明る過ぎず暗過ぎず、しっとりとした落ち着いた色彩のエメラルドは持ち主に新たなはじまりをもたらす、なんて言い伝えがあったような……。

    騎士が調べた文献には、宝石についての情報はこれくらいしか載っていなかったのだ。




    緑の夜、緑の騎士。




    単純に考えて、そう名付けられた宝石を黒衣の騎士が守護する。…今の格好については、言及しないでほしい。





    パチン、とヴェールの上から頬を叩いて自分に発破をかけて気合いを入れる。女王のお化粧がとれちゃうわよ〜、なんて声は失礼ながらもスルーさせていただく。





    「…正念場、だな」





    何の、って。そりゃもちろん騎士の社会的地位の正念場。





    バレたらどうしよう、と若干顔の青い騎士の隣に並び、女王が心底面白そうに吹き出す。笑いすぎたせいで目尻に浮かんだ生理的な涙を、長い指先で掬うように拭って、そのままの指先で騎士の唇をなぞる。





    「口紅、もう少し濃くても良かったわね」





    「………遊ばないでください」





    湿った唇になんとも言えないような表情を浮かべた騎士に、女王はまたおかしくなって笑い出す。だって、だって、傑作じゃないか!
    この国の女王に、1番気に入られているというのにそれを利用するどころかはた迷惑そうにする、この青年!
    誰も彼もが美しいと称す女王に、色を持って差し向けられてもちっとも反応しやがらない!いっそ清々しいほどに!





    「そのお願いは多分一生聞けないわね」





    がっくりと肩を落とす、騎士はわかっているのだろうか。





    「だってあなた、私のお気に入りだもの」





    高らかに笑うこの女が、どれだけ高慢で優美で寛容なのか。きっと分かっていないんだろう。





    カツンカツンとヒールを踏み鳴らし、堂々と先陣を切ってきらびやかな舞踏会へと足を踏み入れる。ついてらっしゃい、と誘う視線におずおずとあとを追いかけてくる姿は本当に子鹿のよう。





    まず女王に視線が集まり、次いで女王の後ろに控える騎士…いや、一国の姫君にだって引けを取らない美しさを兼ね備えているのが一目瞭然な淑女に、視線が集中する。
    あちらの方は誰だ、女王自ら連れ立って来られるとは、と騒がしい。

    女王の後ろに控える騎士はといえば、まさかもうバレたのでは、とより一層顔を青ざめ、更に体を縮こませていた。





    「―――皆、楽しんでいるかしら?今宵は巷で話題の泥棒のことなんて忘れて、ゆるりと過ごしてちょうだいね。」





    うわー、女狐ー。誰に言うでもなく心の中でそう言ったのは、きっと騎士だけじゃなく、女王の本質を知る者全員だろう。見事としか言いようがないほど、それはそれは美しく微笑んでそう締め括った女王の仮面の下。
    …知りたいような知りたくないような。





    女王の言葉が消えると同時に、ゆったりとしたテンポのワルツが奏でられ、その曲調にあわせて皆が皆踊り始める。





    図々しくも、女王の傍らに侍ろうと近寄ってきたのはノルマン公爵。宝石を守ってもらい、さらには女王と親睦を深めるのが目的だろう。なんて狡猾な、いや、ずる賢い。





    ノルマン公爵の胸元で確かな存在感を放つ、女性用のブローチ。これが例の宝石か、と観察していると、不意にノルマン公爵の目が騎士へと向けられた。





    「エリザベート女王陛下、失礼ながらこちらの方は…」





    マズイ、ばれたか!?
    そう焦る騎士をよそに、女王は至って気取りもせず簡単に

    「あぁ、私のお気に入りよ」

    と紹介した。間違っているわけでもない、しかしこの女王は自分の発言に発揮される効果がわかっているのだろうか。一国の王のお気に入り、その肩書きの影響力を。





    女王の一言に俄然、目にぎらりと光が宿ったノルマン公爵に面倒なことになった…と溜め息をつきそうになる。





    「女王陛下のお気に入りとは、ご挨拶もせずに申し訳ない。私めは―――」





    ノルマン公爵が恭しく馴れ馴れしく、騎士の手を取り頭を垂れた。
    そのまま、てのひらに口付けを落とされる、その瞬間。流れるようなその動作についていけず、あわやてのひらとはいえキスされそうになった騎士はヴェールの下、駆け上がる悪寒と鳥肌に必死に立ち向かっていた。





    派手にガラスの割れる音と共に、年若い男の声が会場に響いた。




    「Ladies and Gentleman!!」




    奇しくも、捕らえるべき相手に助けられた…ことになるのか?と騎士が首を傾げるのは、もう少し先のこと。



    「不躾な登場、どうかお許しください麗しの女王陛下。」





    ガラスを突き破り、舞踏会の会場に侵入してきた無礼者は、まず第一に女王へ優雅に腰を折った。ふわりと重さを感じさせない動きで礼を尽くし、そしてピカピカに磨かれた大理石の床をコツコツと叩いて歩く。





    視線の先には、未だに騎士の手を取ったまま固まっているノルマン公爵の姿。シルクハットの下、更にはシルバーフレームのモノクルの下でうっそりと微笑んだ怪盗の視線は、公爵の胸元を飾るブローチに縫い付けられている。





    「―――控えよ」





    誰もが、怪盗紳士の作り上げた静寂に包まれて指先すら動かせない空気の中。しゃらりと、空気が揺れ動いて、ソレは怪盗の眼前でピタリと静止した。





    「エリザベート女王陛下が催されたトレオでこのような余興、不遜である。控えなさい、怪盗キッド」





    ノルマン公爵に手を取られ、慌てていた淑女の面影は既にない。ヴェールの下、ざわりと怪盗を睨みつけ凛と言い放った淑女に、ノルマン公爵、そして怪盗すらも驚いて目を見張る。
    男とも女ともとれる、中性的な声色は聞いたものの思考を絡めとって離さない。さわさわと木漏れ日を浴びる水面のように涼やかな、鈴を転がしたような声に、かの怪盗は聞き覚えがあるような気がして、心臓がどくりと脈打つ。





    「せっかくのトレオだもの、怪盗紳士さんとワルツでもどう?スペキュレーション」




    ―――つかまえろ。





    言葉の中に隠された命令に、淑女がダンッ!と力強く地を蹴って、怪盗に鋭く、一閃。
    怪盗に突き付けていた細身の剣先、『奇跡』の花言葉を送られた花をあしらいデザインされたレイピアを横に凪いで、酸素さえ散らせずしなやかに踏み込む。かろうじてその初撃を躱した怪盗が、たらりと冷や汗を流して淑女と距離を置いた。





    「お転婆、なんてもんじゃねーな…!?」





    淑女が握るレイピアは、銀を多く使って打たれたもののようだ。溶かした銀を飴細工のように細くしなやかに加工して、淑女が着ているドレスと対になるような、青い薔薇を思い起こさせる装飾がシャンデリアのように飾られている。
    距離をとったことで淑女を観察する余裕ができた怪盗が、そのレイピアを見てまたもや目を見開く。その剣先に、覚えがあったからだ。





    「え…貴族さ、ま?」





    小さな声で零された音は、誰にも拾われることなく会場に溶けたけれど。
    何年も前、それこそ怪盗が少年の頃に淡い恋心を抱き憧れた騎士。しかし目の前でレイピアを構える淑女はどう見ても女性で。





    「ノルマン公爵はお下がりください!近衛兵!出入口を封鎖しろ!」





    鋭く鋭く、氷柱のように研ぎ澄まされた声で突き刺された公爵と、指示を受けた近衛兵が一斉に動いた。
    その声に一気に緊張感に包まれた会場で、あっという間に退路を絶たれた怪盗はというと、今は全く別のことで脳内が占められていた。口調、仕草、使用しているレイピア。





    そのすべてが、むかしむかし怪盗が恋した人そのものなのだ。





    あぁ、ヴェールの下の素顔が見てみたい。
    動くたびにひらりひらりと翻るヴェールと、ステップを踏むたびにワルツを踊る黒髪に飾られた髪飾りが、清廉な雰囲気を纏っているのにもかかわらずなんとも蠱惑的で、魅力的。





    会うことなんてないだろうと思っていた人が、今目の前にいる、かもしれない。そうなったら、確かめたくなるというのが人の性。





    「……ワルツ。えぇ、そうですね。




    ―――お手をどうぞ?フロイライン」





    なにか仕掛ける気か、と一層その気配を鋭くさせた淑女に、言葉通りダンスを誘うように手のひらを差し出した。ヴェールの下で、淑女が怪訝そうな顔をしたのが伝わってくる。





    「ワルツなんてもの、誘われてもするわけが、」





    油断なく、レイピアを構え直した淑女のセリフの途中で、怪盗がパチン、と指を鳴らした。唐突なそれは、乾いた音による猫騙しのような要領でその場の者達の意識を奪った。




    その一瞬の隙をついて、怪盗は会場の明かり、そして豪奢なシャンデリアに向かって銃弾を、いやトランプのカードが込められた銃を構えて放った。





    「ッ、明かりが…!女王陛下をお守りしろ!皆さん落ち着い、うわっ!?」





    明かりを落とされ、暗闇へと引きずり込まれた者達が喧騒を産み落とし、そして凄まじい速度で育んでいく。パニックに陥った会場にしてやられた、と奥歯をかみしめた淑女が声を張り上げ、指示を飛ばす。





    しかしその声も途中で不自然に途切れ、城に仕えるメイド達が蝋燭を手に会場へ入ってきた時、なんとその場には怪盗と淑女の姿だけがなかった。
    ノルマン公爵の所有する宝石『シュヴァインフルトグリーン・ナイト』もその姿をくらまし、甲高い悲鳴を上げる男が1人その場に崩れ落ちた。





    「……私のお気に入りに手を出すなんて、身の程知らずにも程があるわね」





    ご無事ですか、どこかお怪我は、と自分の安否を確認してくる近衛兵やメイド達に、苛立ったように傲慢な仕草で髪を払い、低い声音で女王が言った。その言葉が耳に届いた者達は皆総じて、ここにはいない怪盗の運命を、いや冥福を祈った。





    この女だけは、誰よりも狡猾な女王だけは敵に回してはいけないのだから。







    ※※※※








    ところ変わって、淑女はというと。
    突然暗闇の中、口を塞がれたかと思うとあっという間に膝裏に手を差し込まれ抱えあげられて、どこかへ連れていかれていた。そう、俗にいうお姫様抱っこなるもので、なんと捕縛する対象の怪盗紳士本人に。
    どういうつもりだ、今すぐ離せ、と叫ぼうにも怪盗が器用にも口を塞いだまま運ぶせいで、くぐもった声しか出せない。





    シルクの手袋に包まれた手に噛み付いてやろうか、と本格的に思案し始めたころ、ようやく怪盗が足を止めて淑女を地面へとおろした。城の中で栽培されている花々が咲き乱れる庭園にことさら丁寧に下ろされて、何だかむずむずするような。





    即座に距離を取り、レイピアを構えようとして、レイピアを会場に置いてきたという事実に気付いて舌を打つ。この泥棒相手に隠す必要もない、捕まえてしまえばいいのだから。だけど武器のひとつやふたつ、調達する必要があるか…と淑女が眉根を寄せていると、対峙していた怪盗がふるふると肩を震わせ始めた。

    怪訝に思って様子を見ていると、先程までの怪盗紳士はどこへ行ったのか、あろうことか淑女の目の前でしゃがみこんでしまった。純白のマントが地面に擦れて汚れてしまうのも構わずに、顔を覆ってしゃがみこむ。





    突然奇妙な行動をとった怪盗に淑女も少しびくついてしまうが、それを取り繕うように怪盗からは目を離さない。




    「なんっっでこう、うまくいかないかなぁ………!!?」

    「は?」




    シルクハットを放り投げ、髪を掻きむしりそう叫んだ怪盗に、今度こそ淑女が短くこぼす。





    「貴族さま!」

    「えっ、あ、はい」





    つかつかと大股に近付いてきたかと思うと、ガシッと勢いよく肩を掴まれて思わず返事を返すと、モノクルのみをつけた青年がこちらをひたむきに見つめていた。

    奔放に跳ねた髪は柔らかそうで、モノクルをつけているため顔はハッキリとしないが、かなりの好青年であることは分かった。





    随分と若い、と淑女がまじまじ検分していると、重い溜め息を吐いた怪盗が意を決したように口を開く。
    ほんの少し、唇が震えているように見えるのは気のせいだろうか。




    「ウィストリア家男爵、スペイドさまですよね。」

    「本気で殴ったら記憶無くなるよな」




    怪盗の口から吐き出された淑女の正体に、騎士は間髪入れずにそう答えてファイティングポーズをとった。
    えっ!?何で!?とテンパる怪盗の腕を逆に力強く掴み、逃がさないと更に力を込める。




    知られてしまったからには仕方がない。




    この怪盗には、消えてもらうほかあるまいよ。








    不敵に、口元だけで笑みを形作った騎士に薄ら寒いものを感じた怪盗が慌てて言葉を募る。





    「ま、待って!宝石なら返します、他のものを当たればいいだけですから。」





    ジャケットの内側から、鮮やかな緑の宝石を取り出して騎士へと差し出す。騎士の警護対象『シュヴァインフルトグリーン・ナイト』、間違いなく本物のそれを簡単に返されて、騎士は怪盗の思惑を読み取れず困惑してしまう。





    受け取った宝石を片手に、どういうつもりだ?と怪盗に胡乱気な視線を投げる。





    そうすると、どうしたのか怪盗は何だかそわそわと落ち着かない様子で騎士の手を取った。ノルマン公爵とは違い、おそるおそる触れてくるものだから、気色悪いなんてことを思うこともなく、むしろガキっぽいなぁなんて感想を抱く。

    まだまだ青臭い青年が、どうしてまた騎士の手をそんな照れくさそうに取っているのか……。





    心底意味がわからなくて、手を取られたまま騎士はつい、と首をかしげた。





    ……その仕草に、怪盗の心臓がまたしても射抜かれたのは、騎士の預かり知らぬところ。




    「おい、お前俺がウィストリア家の者だといつ気がついた」




    厳しく鋭く言及する騎士に、何やら頬を紅く染めた怪盗がひとつ、大きく息を吸った。




    「…俺がまだガキの頃から、あなたのことは知ってました。」





    「……は?どういう意味、」










    「―――ずっと、あなたが好きでしたから」





    またしても騎士が言葉を遮られ、文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけて―――閉じた。怪盗に言われた一言に、騎士の優秀な頭脳が理解不能と端的に告げる。
    紅く頬を染めて、精一杯の勇気を振り絞って瞳を緊張の涙で潤ませて、言えた……!と呼吸すら止めて怪盗が騎士の顔色を伺う。





    ヴェールに隠された素顔が見たい、そんな誘惑に駆られて、俯いている騎士の顔を隠す無粋なヴェールをそっと柔らかく剥ぎ取る。

    伏せられているため、瞳の色までは見ることが出来ないが、それでも薄く化粧を肌に乗せられた騎士の顔立ちに、怪盗はまたしても心臓がきゅうっと音を立てて引き絞られたような感覚がした。





    伏せ目がちな、長い睫毛に隠された眼差しが色っぽい。目元にしゅっと引かれたラインとターコイズブルーの煌めきが、艶やかな目元を演出していて騎士によく似合っている。





    鮮烈な赤に似て、けれどあくまで控えめに、その存在を主張するピンクトルマリンのチークを選んだのは誰なんだろう。その淡い色は、艶やかな目元とは反対に恥ずかしがる少女のようで、センスの良さが一目で分かる。





    ふくり、と柔らかそうな唇は、血色の良さを目立たせるためか薄い色しか塗られていないように見受けられる。
    その唇に口付けたら、騎士は一体どんな反応をするのだろう。





    導かれるように先導されるように、しゅるりと自然な動きで騎士の腰を抱き寄せ、顔を上向かせ、口付けようと、顔を寄せる。





    透明な光を湛えた瞳に魅入られて、もうあとほんの少しで騎士に口付ける、そう思った瞬間。




    「 俺 は 男 だ 」




    思いっきり後ろに上体ごと倒れるようにして勢いをつけた騎士の、渾身の頭突きが、綺麗に、綺麗に怪盗へと炸裂した。








    ※※※※








    「懐かしいなぁ……」





    長い回想はここで終わり、昼間の暑い空気はどこへやら、夜にはすっかり肌寒いほどの気温の中、新一は1人待ち人が来るのを待っていた。





    6月21日、鈴木財閥の所有する宝石を盗むと予告状が届いた。差出人はもちろん、怪盗キッド。アイツ前世でも怪盗やってたのか…と感慨深くしみじみ思考の波にさらわれていた新一は、缶コーヒー片手に夜風に当たりながら、怪盗キッドが中継地点に選ぶであろうビルの上で1人待っていた。





    前世の記憶を取り戻してから、周りの様子を振り返ってみるも、前世の記憶の中で姿を見かけた者達に、新一と同じような類のものはないらしい。
    それもそうか、これも俺の思い込みかもしんねーし。そう結論付けて日々を過ごすも、この記憶は割と厄介なもので新一は手を焼いていた。





    前世で頭突きをくらった後の怪盗といえば、あれから騎士の周りをちょろちょろしては愛を囁き、果てには騎士をお気に入りと公言していた女王と火花を散らす始末。





    その気持ちに答えることはできない、とハッキリスッパリバッサリ切り捨てたのにも関わらず、へにゃりと腑抜けた顔で笑っては「貴族さまの傍にいられるならそれでいいよ」とのたまって、騎士の最後の瞬間までずっと、寄り添っていた。





    あの時、怪盗が腑抜けた顔で笑った時、本当は騎士は泣きそうだった。





    怪盗の気持ちに答えたい、応えられたらどんなに幸せだろう、と歯を食いしばっていた。








    ばさり、強い風の吹く音と一緒に、新一の背後で白いマントが靡く音がする。
    コツコツ、と慣れたようにこちらに近付いてくる足音に、ニヒルな笑みを噛み締めて新一は顔を向ける。





    6月21日、その日にちが怪盗の誕生日だと新一は知っている。怪盗の本名も、好きなものも、それからきっと、好きな人が誰なのかも。








    「よぉ―――誕生日おめでとう?クソガキ」




    怪盗が覚えていなくてもいい、これが新一の思い込み、妄想の類だったとしても構わない。今度こそ怪盗の言葉に、素直に言葉を返せたら。





    地位も名誉も、今の新一を騎士のように縛るものは何もない。
    仕えていた女王は記憶はないものの相変わらず新一で遊んでいるし、スペキュレーションとは別のあだ名で新一を呼ぶが、友好的な関係であるし、何よりも、遠い昔騎士が選んだ道は今はもう、無い。








    『シュヴァインフルトグリーン・ナイト』








    新たなはじまりをもたらす宝石、ベリル。
    久しぶりに再会した緑柱石を片手に携えた怪盗が、新一のその言葉に、モノクルとシルクハットの下で驚いたように目を瞬かせて足を止めた。





    赤茶けたフェンスに体重を預けて、怪盗の方へ顔だけ向けてそう告げた新一がひらひらと手を振る。相変わらず動かない怪盗が何だかおかしくて、思わず苦笑していたら、高価な宝石をその場にぼとりと落とした。





    一応石、に分類されるとはいえ、宝玉でもあるエメラルドを落としたことに新一が声を上げそうになる。




    「ま、また会えた…………!」




    しかしそれよりも先に、怪盗が恥も外聞もなく、新一にしがみつくようにして抱きついた。





    それに対し、少し驚いたようにしていた新一だがやがてゆっくりと肩の力を抜くと、ぽんぽん、と。かの日、幼い少年にしてやったように、背中を撫でてやった。




    「プレゼントされにきてやったぜ、黒羽快斗!」




    どこからも上から目線な贈り物は、誰からの誕生日プレゼントか。





    ぼとりと、ぞんざいな扱いをされながらも傷がつくことも許さず、固くて冷たいコンクリートの上に大の字に寝っ転がった石がイヒヒと笑う。





    小さな少年と、黒衣の騎士。
    願いを叶える石だなんて呼ばれたこともあったけど、実質そんなことはありえない。けれど、石だって1回くらい、誰かの誕生日を祝ったり願ったり、そんな人間じみたことをしてみたかったのかもしれない。










    誕生日おめでとう、小さな怪盗さん!

    ALICE+