(クロスオーバー)(いろいろ捏造)


 わたしの恋人は殺し屋だ。まるで漫画の世界のような話だけれど、本当の話である。
 そんな彼は不定期に我が家にやってくる。最初は勝手に家に上がられていて毎回腰が抜けそうになったものだったが、何回も何回も繰り返されれば慣れてしまうというもので。

「おかえり〜」
「……ただいま帰りました」

 また来ていたんですか、というわたしに満面の笑みを見せる彼。合鍵を渡したのはわたしなので文句を言える立場ではないのだが、しかし一言だけでもメッセージをくれたらな、と思わないでもない。掃除をしておきたいという乙女心、わかってもらえないだろうか。たぶん無理だろうな。
 リビングでくつろいでいた彼は、勝手知ったるという様子でテレビをつけ、のんびりリラックスモートである。ひとり暮らしのはずが、随分と馴染んだものである。

「そういえば、今度京都に行くことになったんだよね」
「あら、お仕事で?」
「ん〜そうそう。人使いが荒くてやんなっちゃう」

 言葉とは裏腹に、態度はいつもと変わらぬ飄々としたもので、わたしは口元に笑みを浮かべる。お仕事――つまりはそう、殺し屋のそれなのだろうけど、生憎一般人であるわたしはそういう世界についての知識がほとんどない。訊ねてもはぐらかされることが多いのもあるが、下手に知って彼の弱みになってしまうのではという懸念もあり、わたしから訊ねることはもう無いに等しい。

「なまえちゃんは行ったことある? 京都」
「ありますよ。昔、修学旅行で」
「やっぱ定番なんだ〜」

  そうですね、と返そうとした声が喉元で止まる。かつて行った修学旅行で、苦い経験をしたことがあったからだ。それも京都で。素直に楽しい思い出と言えない自分の性根と、今でも引きずっていることに呆れてしまう。

「……まあ、学校にもよるかと。最近だとテーマパーク行けるとことかあるみたいですよ」
「え〜それ修学旅行の意味なくない? 修学じゃなくない?」
「でも、そういう思い出も何ものにも代えがたいものになるでしょうから」

 学生時代は一度きりだ。良くも悪くも、そのときどきに培った『思い出』が、大人になっても影響してくることは多い。

「とはいえ、わたしは京都の思い出ほとんどないですけど」
「えっ、なんで?」
「京都へ行ったのは二日目で……スケジュール的に滞在時間があまり長くなかったですし、班でルートが別れてましたから。どこへ行くかもくじ引き制で、わたしはほとんど歩いた記憶しかないですね」

 そもそも修学旅行で京都はド定番なうえ、どの学校も大抵時期が被っている。各班でルート分けするのは一箇所に学生が集まりすぎないようにする対策なのだろうけど、それにしたって極端が過ぎる。京都で思い出されるのは翌日の筋肉痛のみである。
 というわたしの説明に彼はひどく不思議そうな表情を浮かべて、

「それ楽しかったの?」
「うーん……実家に戻れば当時の写真とかあるんでしょうけど……特に見たいとも思わないし、まあ、そういうものなんだと思いますよ」

  これは望郷の念というものが希薄なわたしだからこそかもしれないが。
 ふうん、と呟いた彼は、わたしに問いかけた。

「なまえちゃんの実家ってどこだっけ」
「並盛町ですよ」
「そうだったそうだった」

 だーいなーくしょーなく、といやに耳に残る母校の校歌を口ずさむ彼に、わたしは「うえぇ」と思いきり顔を歪める。心底おかしいとばかりに彼の笑い声が響いた。

「あははははっ! 君ほんっとーに地元嫌いなんだね!」
「嫌だって言ってるじゃないですか……いっつもいっつも……」

 思い出されるのは風紀委員による恐怖政治。不正……汚職……先日の不本意な帰郷によって判明した、殺し屋の恋人曰く「〈殺連〉でもあの町には無理矢理介入できないよ〜」というさらりと告げられたわけのわからないパワーワード。
 わたしたちよりずっと前に在籍していたある男性が風紀委員長だった影響が今でも残っているとかいうわけのわからない町。それがわたしの故郷である。二度と帰りたくない。並盛じゃなくて異常が特盛りの間違いだろう。
 けれど、そんな異常な町で育った恩恵はあるのかもしれない。
 例えば、恋人が殺し屋でも忌諱感を持たないところ――とか。

「なまえちゃん、学生時代に彼氏とか居なかったの?」
「答えのわかってる問いかけするの、楽しいですか?」
「質問に質問で返さないでよ〜、君ならいくらでも男見繕えたでしょ」
「わたしのことなんだと思ってるんですか」

 前にも学生時代の話はしたことがあるので、わたしに恋人を作る余裕などなかったことくらい、彼なら知っているはずなのだが。「絶対モテてるよ」なんて、それこそ数多の女性を泣かせてきてそうな男が軽く言ってくるのだから恐ろしい話である。
 なにを思ったのか、彼は唐突に「たとえばさあ」と人差し指をピンと天に向けた。

「もしも僕が殺し屋でもなんでもないフツウの人だったら、君は付き合ってた?」

 殺し屋でもなんでもない、ただの人の彼――そんなの、刺青を除いたらただの高物件でしかないだろうに。
 穏やかな笑みを携えた彼の問いに、わたしは腹の底から笑ってみせる。

「いやですよ。きっとはなしたくなくなるから」

 そういう点で、彼と――南雲さんとの関係は心地がいい。
 どこまでも非凡で、いざというとき切り捨てる冷酷さを持つ彼と、なにも持たない平凡なわたし。いつかきっと、わたしは切り捨てられるのだろうけれど。
 愚かしくもその『いつか』が来なければいいと思ってしまうわたしはどうしようもなく弱くて、そんな無様を見せたくなくて、こうやって線を引くことしかできないのだ。

20230115