(しれっとクロスオーバー)


〈青い監獄〉と呼ばれるプロジェクトが、今日本で流行っているらしい。ちなみに青い監獄と書いて「ブルーロック」と読む。

 なまえはスポーツ全般に縁が薄く、正直なところ今日(こんにち)のフットボール界隈のことはさっぱりわからない。数年に一度、オリンピックだか世界大会だかで盛り上がり連日メディアに取り上げられては敗退し、惜しまれながら熱が冷めていく繰り返しだと思っている。ひどい言い草ではあるが、世俗への興味が薄い人間にしては覚えているほうだろう。
 とはいえ、そんな人間も聞き覚えがあるほどにこのプロジェクトは国内で随分と話題になっていた。
 契機となったのはすこし前に行われた試合だろう。なんでも、U-20代表相手に試合をし、このプロジェクトの育成選手たちが勝ったのだとか。
 サッカーのことはさっぱりわからないなまえだが、それが漠然と「すごい」ことなのだということはなんとなくわかる。でなければ、ここまで世間にムーブメントを起こしてはいないだろうから。

 お気に入りの抱きまくらに凭れながら、なまえはテレビ画面の中、ボードにデカデカと取り上げられている少年たちの写真を見つめる。

「……最近の男の子は垢抜けてるな……イケメンばっかり」
「え〜? 僕のほうがかっこよくない?」

 こぼれ落ちた言葉は隣に座る人物にしっかりと拾われてしまったようだった。「始まった」と内心ぼやきながら、彼女は視線を隣に向ける。
 拗ねたようにくちびるを尖らせた恋人が、じいっとこちらを見つめていた。

「……南雲さんはかわいい顔してますよ」
「えっそう?」恋人はパッと顔を明るくする。「言われてみたらそうかも。ぼくったらかわいい顔してるからさ〜」
「でもこの子たちはかっこいいです。わたしが学生の頃はこんな垢抜けてハンサムな子たちいませんでした。サッカー部なんてだいたい女癖悪くて女子の間で付き合ってはいけない運動部のランキングトップ常連だった」
「なにそれ、そんなのあるの? ちなみに一位は?」
「一位がテニス部、二位がサッカー部と同率でバスケ部、野球部はピッチャーあたりがやべえと言われて久しかったですね……」

 いま思い返せばひどい偏見であるとなまえでもわかる。
 しかしこの話題でいくつ女の友情が壊れ、後日その通りとなって壊れた友情が共通の敵を前にしたことにより埋め直されたことか。
 単純に当時のなまえの通っていた学内の男子の下半身がヤバかっただけかもしれないが、それはそれとして。そういう学生時代の思い出は色濃くいまも刻まれているものだ。
 なまえの言葉に、恋人である男は「やだ〜」とわざとらしく口を両手で隠す。

「なにそれ、こわーい! なまえちゃん変な男に口説かれたりしなかった?」
「しませんけど……そもそも運動部なんてろくな人間いないでしょう」
「それは偏見じゃない?」
「わたしの時代はそうだった、って話です」

 視線をテレビへ戻す。
 見た限り、サッカーするよりモデルなり俳優なりしてそうなルックスの少年たちである。運営側はよく全国からこんな多種多様の美少年たちを見つけたものだなと思うほどには顔面偏差値が高い。天は二物を与えずとは嘘なのだとよくわかる。
 とはいえ、彼らはサッカーをするためだけにバトルロワイヤルのようなシステムのプロジェクトに参加し、しのぎを削っている猛者たちだ――自分の俗的な考えの方が失礼というものだろう。

「すごいですよねこれ、最後の一人になるまで、って……実質バトルロワイヤルでしょ」
「考えた人、たぶん趣味悪いよね〜。殺し屋向いてそう」
「現役の殺し屋に言われるってやばいですね」
「それ褒めてる?」
「一応……」

 なまえは首を縦に振った。恋人の職業柄、向いてるというのはある意味褒め言葉に近いだろうと判断しての返答である。南雲は「ならいいかぁ」と呟きながら、なまえよりもひと回り以上大きな手を彼女の腰に回した。

「わっ、ちょっ」

 声を上げるなまえをよそに、南雲はそのまま彼女の体を自分のもとへ引き寄せる。並んで座っていたのを後ろから抱えこむような体勢に変えて、空いた手でリモコンをいじる。

「ねー、テレビこれしかやってないの?」
「ワイドショーはブルーロック一色ですからねえ」

 なんせU-20代表選手と戦って勝利を収めてしまったのである。その勢い冷めやらぬまま、更に壮大なプロジェクトが解禁されたというのだからメディアも青少年たちにフォーカスを当てるのは当然の結果だ。幸いなのは、当人たちは施設から動くことはないのでそういった煩わしさからある程度距離を置けるところだろうか。
 まあ、どちらにせよ。なまえはふうと息を吐く。

「当分、この話題で盛り上がるでしょうね」
「え〜」
「嫌ならチャンネル変えます? それか映画とか……」

 一応サブスクリプションサービスも導入しているので、見ようと思えばいつでも変えることはできる。なまえの問いかけに、恋人はうーんと唸る。

「僕、なまえちゃんの普段どおりの生活がしてみたいんだよね」
「……普段……」

 そう言われると返答に困ってしまう。本当のことを言うと、日頃テレビをこの時間帯につけることはあまりない。とはいえ、それを彼に告げるのは忍びなかった。

「南雲さんはお休みの日とか、テレビ見たりは?」
「あんまりかなー。そもそも僕、休みが休みじゃなくなることのが多いからね〜」

 なんてことない様子で話した言葉で、なまえは彼が緊急の要請があれば出ていかなければならない立場なのだということを思い出した。
 なまえにはよくわからないけれど、殺し屋の中でも更に都市伝説のような存在である機関に所属する殺し屋がこの恋人である。
 暫し考え、なまえはそっと恋人の名を口にした。

「――あの、南雲さん」
「んー?」
「わたし、そもそも昼にテレビをあんまり見ないんですが」
「え、そうなの?」と、まんまるの目がなまえを見つめる。
「まあ。……でも、せっかくだし。ふたりでいるときならテレビ観るのも悪くないかな、なんて」

 思ったのですが――と、答えるつもりだった。
 用意していた返答は、それより先に目の前の男の唇によって閉ざされてしまった。むちゅ、とまるで幼い子どもみたいな押しつけるだけの口づけ。そこにいやらしさはなく、子供が無邪気に交わすような、純粋な好意が滲んでいるように思えた。

「ん、む、んんっ、ぷは……」

 ちゅ、ちゅ、と好意の塊のようなバードキスをすべて受け取る頃には、なまえはちょっとした酸欠状態に陥っていた。頭がぐわんぐわん渦を巻いて、くたりと力が抜ける。後ろから覆われるような形で降り注ぐキスの雨は、なまえにはどうしようもなかった。

「お、おおい……」
「え〜? なまえちゃんがあんまりかわいいこと言うからじゃない? キュートアグレッションってやつ」
「それ、かわいすぎてぶっ壊したくなる衝動のことじゃありませんでしたか……」
「そだっけ? まあかわいいことには変わらないからいいじゃん」

 よくない。そう言い返せたらよかったのだが、なまえはすでにヘトヘトだった。体力ゲージが赤に変わるのを感じながら、背後にある恋人を背もたれにして体を預ける。

「……映画、みます?」
「うーん、今はいいや。それよりも――」

 体を預けた恋人を包み込むように抱きしめ直した男は、疲弊しつつもこちらを見る恋人ににっこり笑いかける。

「ワイドショーつけながらイチャイチャするのもオツだよね」

 ――あ、これ逃げられないやつ。
 ひく、と引きつった恋人の口角に気づかないふりをした男は、今度は貪るように唇を重ねた。

20230903