「なまえさあ、いい加減オレのこと好きになってよ」
「なぜ」

 私のベッドに我が物顔で横になっている男がきょとんとした顔で言う。

「何故って……セックスまでしてるんだぜ?」
「好きでしてるわけじゃない」
「うわ、傷つく」

 あんなに可愛く鳴いてくれたくせにと嘯く男をギロリと睨み、黙々と服を着る。下着を身につけ、制服のブラウスを着て、スカートを穿こうとすると、後ろからギシッとベッドの軋む音。

「やっぱ可愛いな、この制服」
「制服が可愛いんならこのタイプの制服の女を食い漁ったら?」
「なに、嫉妬? 可愛いのはなまえが着てるからだよ」
「やかましいわ」

 風通りの良さしか売りのない無地のボックススカートに何を言っているのだこの男は。まして古さしか誇るところがないような女子校の制服など褒めるところがある方がどうかしている。

 見た目は普通の団地、けれど内装は現代的にリノベーションされたアパートの一室。そこが私の帰る家で、唯一の城だった。
 ファミリー向けの間取りはひとりで暮らすには少しばかり広すぎたけど、別れて暮らす家族が泊まりに来るとちょうどいい塩梅なのだ。
 なので私はこの家を気に入っているし、ひとりで暮らす快適さも寂しさもすべて併せ飲んでいた。自分好みにチマチマと改装するのも好きだったし、ひとりなら風呂上がりに裸のままでも怒られないから。
 ――だというのに。
 愛する私の城は、ここ数ヶ月でこの男に侵略されつつあった。

「吉田さん、家に帰りなよ」
「えー、此処がいい。住ませてよ」
「やだ」

 ふざけんなという話である。
 この男――吉田ヒロフミという男は何故か私の部屋に押し掛けてきて、こうやっていつの間にか我が物顔で過ごすようになった。
 うっかり助けてしまったばっかりに、私は今こんな目に遭っている。善意を悪意で返すなんて最低だ。

「帰る家があるんだから帰りな」
「家が無かったらここに住んでもいいのか?」
「ふざけんな帰れ」
「キレるなよ、可愛いだけだぜ?」

 はっ倒してやろうか。怒りで心がメラメラ燃える。どう頑張っても男女の力の差だとか身体能力だとかで敵わないと分かっていてもそう思ってしまう。自分の城を手出しされる不快感はそれ程までに強いのだ。
 スカートを穿いて、髪をとけばいつもの私のできあがりだ。
 顔は下着をつける前に洗ってスキンケアまで終えているので、塗ったものが顔に馴染むまでの間で着替えをするのが私のスタイルである。
 自分の城で勝手に入ってきた異物に左右されてたまるかという謎のプライドが私をいつも通りの動きへと誘導する。つまり、私はこの男の前でも普通に全裸で歩くことが出来た(うら若き乙女としては致命的な話である)。

「もうちょっと恥じらってくれても良くないか?」
「恥じらったら来なくなるわけ?」
「いや、ムラムラする」
「馬鹿じゃないの」

 ちぇ、と口を尖らせて人の背中を人差し指でなぞる男に溜息を吐きたいのを我慢してキッチンに向かう。冷蔵庫から牛乳を取り出して、朝ごはん用のシリアルと深めのスープ皿をテーブルに並べる。

「オレも食べる」
「ご自由に」

 対応するのも面倒で、一人分が常だったのがいつの間にか二人分用意するのにも慣れてしまった。よくない傾向だと思いつつ、何よりも対応するのが面倒臭いのだ。

「なまえはこのシリアル好きだよな」
「美味しいから」
「なまえがあんまり美味しそうに食うからさあ、これ見かけるとなまえ思い出しちゃうんだよな」
「へえ」

 やや多めにシリアルを入れて牛乳を並々と注ぐ。甘いシリアルを食べて、最後に甘くなった牛乳を飲むのが私は好きだ。
 いただきますと呟いて食べ始めると、男も次いで食べ始める。男子高校生の食べる量など私は知らないので(何せ物心ついた時から家族と別れて暮らしている)自分で用意させている。そもそも家に来るなという話なのだが。

「なまえ」
「……なに」

 おもむろに男が真剣な声を出す。嫌な予感がするものの、私は一応聞き返す。

「どうしよ、興奮してきた」
「なんでだよ」
「牛乳飲むなまえ見てたらなんかこう……」
「……」
「セックスしてる時のなまえ思い出しちゃって」
「黙って食え」

 聞かなきゃ良かった。時間を無駄した。

 私がこの男と――不本意とはいえ肉体関係を持ってしまったのは成り行きのようなものだった。
 善意で助けた男は私よりも年上のデビルハンターで、多少アングラなことでもやれてしまうタイプの男だったようで。いつの間にか家を特定され、ある日『お礼』だと家にやって来た男はものすごい押しが強く(物理も強く)いけしゃあしゃあと私の部屋に居座るようになり。
 結論として私は処女を奪われた。
 経験がないので比較対象が居ないが、この男はたぶん上手いのだと思う。頭の中がぶっ飛ぶような感覚が病みつきになりそうな恐ろしさがあって、なるほどこれはセックス依存症なんて病気があるわけだと納得してしまうほど。
 とはいえ、別に私とこの男は付き合ってる訳では無い。例えるならそう、セックスフレンドというやつなのだろう。いやそもそもフレンドでもないからこの……なんなんだろうか……。

「あの」
「ん? なに?」
「いい加減、うちに来るのやめてくれませんか。セックスする相手が欲しいならもっと別の人のがいいと思います。プロの人だって居るんだし、そうじゃなくてもあなたなら選り取りみどりでしょう」

 ピタリと目の前の男が固まる。
 私は黙々とシリアルを食べて、ごくんと甘くなった牛乳を飲み干した。ペロリと口のまわりを舌で舐めて一息ついて、ごちそうさまと呟く。
 大満足。今日も美味しかったとシンクに空になった食器を水につけておく。そして洗面所に行き、パウダーを顔に叩く。汗でベタつかないようにパウダーは欠かせないのだ。
 リビングに戻ると、固まっていた男が勢いよく振り返る。

「な、なんですか」
「……」
「ちょっと、あの」
「……」

 立ち上がった男は私の目前まで来て、そのままじいっとこっちを見つめてくる。声をかけるけれどうんともすんとも返事がない。

「なんなの……」

 口からは呆れた声が出て、半目で男を見る。このままじゃ埒が明かない。私は登校の準備をしようと動き出そうとして――

「……ちょっと」

 離してもらえます? と私の声。
 うんともすんとも答えない男が、ガッシリと私の腕を掴んでいた。

「なまえちゃん」
「なに」
「オレ今スゲー傷ついてんだけど」
「へえ」
「たしかに口説いてる最中に既成事実作ろうと手ぇ出したのは悪いと思ったけど、まさかそれが裏目に出るなんて思わねーじゃん」
「知らんわ」
「好きだ」

 男が私を見る。

「なまえが好きだ。他の男と付き合うお前の姿なんて絶対見たくないし、オレ以外の男ができそうになったら邪魔するけどとにかくマジで好きなんだよ」
「……」
「それが無理なら快楽漬けにしてオレ以外の男のちんこじゃ満足出来ねーようにする」
「こっっわ」

 思わず一歩後ずさる。朝からちんことか言うんじゃない。これから学校なのにそんな夜の香りを匂わせてくるな。

「で? 返事は」
「へんじ」
「オレはなまえを手放す気も無けりゃ他の男に見向きさせる余裕与えるつもりも無いけどどうする?」
「…………」

 どうすると言われても。どうしたら良いのか私にはわからないのだけれど。
 ぼんやりと目の前の男を見る。私のことを好きだというデビルハンターの男。高校生で、私よりもひとつ年上で、いつ死んでもおかしくないような男。
 だというのに私を手放したくないと言い、まるで恋人のように私の家に入り浸り、息をするように私を口説いて、セックスをして。
 恋愛なんてしたことがないから何が正しいことなのか私にはわからない。私は恋愛などした事がないし、これからもする気は無かった。だけど目の前の男は私を好いていて、私を手放す気は無いらしい。

「……私は好きだとかそういうのはわからないけど」
「うん」
「……あなたがこの先も死なずに生き延びるなら、まあ」

 とりあえず、他の男とセックスすることは無いんじゃないでしょうか。
 曖昧な私の答えに、彼は「ふぅん」と口元を三日月型に歪ませて。

「ま、今はそれでいいや」
「なんで上から目線」
「好きだよ」

 男はちゅうと私にキスをする。
 私は自分の領域にどんどん侵食してくるこの男から自分の城を守れるのか。――たぶん、難しそうだ。

20220622