あらすじ…会社の社長が家に来ました。
07
「彼は……馬乃介さんは、私の将来の夫です!」
開いた口がふさがらない。
鳩が豆鉄砲を食らったような。
度肝を抜かせた。
天変地異が起こったみたいな。
そのどれもを見事に表現しきった2人……馬乃介さんと社長が私の前に居た。
「う、嘘や! そんなわけあらへん!」
「名前! ようやくその気になっちまったんだな!」
「しょ……証拠はあるんかい!」
「さあ今すぐ挙式だ! 安心しろ、婚姻届ならここにある!」
社長は慌てふためき、馬乃介さんは目をキラキラと輝かせながら内側の胸ポケットから婚姻届を出してきた。
私は思っていたよりも大事になってしまったようで、しかし後戻りは出来ず、曖昧な返事をする。
「た、多分……」
「多分って何や! はっきりせい!」
壁をドン、と強く叩く社長にビクッと肩を揺らす私。
この回答は失敗だったかもしれない。
「つまり……そういうことだ!」
ドヤア、という擬音が聞こえてきそうなほどいい顔をして言う馬乃介さん。
今までで一番素晴らしい笑顔を見せている。
「何や、わけわからへんなあ。なあ名前ちゃん?」
「…………」
「……わかっとるんよなあ?」
「……は、はい」
私と社長のやりとりに置いてけぼりになっている馬乃介さんが眉をしかめる。
一方私は額に嫌な汗をかいていた。
じわりと、湿っぽくて気持ちが悪い。
「何の話だ?」
「ニイちゃん、将来のダンナやもんなあ? 知っててもええよな、名前ちゃん?」
「……何だよ……どういうことだ、名前」
さっきとは打って変わって不穏な空気になる。
わけがわからない馬乃介さんは私に問い詰めるが、私は答える気などサラサラ無い。
個人の問題を、他人まで巻き込むような事はしたくない。
「あんな、ニイちゃん。名前ちゃんはな……」
「やめてください!!」
私は社長の言葉を大きな声で遮った。
言わなくていい。
"それ"は私だけの問題だ。
「くっ……くく、ワハハハハ! せやな、悪かったのう名前ちゃん! 二人だけの内緒やもんな! これは見舞いの品や!」
「あ、ありがとうございます……」
私は社長からコンビニの袋を受け取った。
未だに嫌な汗がひかない私は立っているのがやっとだった。
「明日、名前ちゃんが元気に出社して来るのを楽しみにしとるで」
「は、はい……お疲れ様です……!」
ニコッと笑った後に背を向けてドアを開いて出て行こうとする社長。
しかしピタっと止まり、背を向けたまま最後に言った。
「明日、色々話そうな……」
「ッ……!」
そのままドアは閉まり、私は安堵の溜息を吐いて自分の胸元に手を当てる。
気味が悪いくらい速く脈を打っていた。
「……はあ……」
「おい、名前」
「ひッ!」
馬乃介さんの声にびっくりして私は肩を揺らした。
「どうした? いくらなんでも驚きすぎじゃ……」
「や、やめてください! ごめんなさい!」
私の方へ伸びてくる馬乃介さんの手をバッと払いのける。
そして身を守るように、私は自分を抱きしめた。
「……落ち着け、安心しろ。俺は何もしねえよ」
「……は、はい……」
「大丈夫だ、あっちで座ってろよ。お茶でも入れてやるから」
「は、い……」
馬乃介さんに促されるまま、私はふらふらとリビングに戻ってテーブルの前に座った。
「ほら、紅茶だ」
放心状態の私に、馬乃介さんが温かい紅茶の入ったマグカップを渡してきた。
私はそれゆっくりと受け取り、お礼を言う。
「あ、ありがとうござ……って、なんで馬乃介さんが勝手に私のキッチンで自宅のようにお茶を入れてるんですか?」
「気付くの遅えェ! どんだけ動揺したってんだ…まあ、ツッコミする元気があんなら安心したがよ……」
「………………」
紅茶をゆっくりと飲み込むと、甘い香りとともに熱いお湯が喉を潤して、体を温めてくれる。
…………忘れていた、大事な事を。
きっと馬乃介さんとの時間が楽しくて、やらなければいけないこと、人と関わってはいけないこと、そういうものを忘れていたんだ。
「で、名前。アンタどこで働いてんだ?」
「……金融会社カリヨーゼ、です……」
「何だってそんな怪しげな所で働いてんだよ」
「それは……その……」
「さっきの話は何だ? アイツは何を言おうとした?」
「馬乃介さんには関係のない話です」
おどおどと答えていた私だが、突如スパっと言い切る。
しかしもちろん馬乃介さんが納得行くはずもない。
けれど、言いたくない。この事は誰にも何も教えたくない。
「関係ないはずがねえだろうが。俺は将来の夫なんだろ?名前。だったら……」
「関係ありません。あなたには何の関係もありません」
「どうしてだ、言えよ! さっきの言葉は嘘か?」
「やめてください! わからないんですか? その場しのぎの嘘に決まっているじゃないですか!」
さっきまで「将来の夫」だなんてのたまった私は同じ口で平然と暴言を吐いた。
こんな事、言うはずじゃなかった。
最低だ。私は最低な人間だ。
「だったら本当の事を言え。俺は全て受け止める」
「言いません。迷惑です。やめて下さい」
迷惑です、あなたに。
やめて下さい、あなたの優しさは辛くなる。
「大体、最初から迷惑だったんですよ。いきなり誘拐したかと思えば恋をしろだの何だの。あなた、自分がどれだけ狂っているか自覚ないんですか?」
言ってはいけない、いけないのに。
止まらない。
「あなたに付き合うとは言いましたが、断じて私はあなたを好きになりません!」
私なんかを好きになってはいけない。
私はきっとあなたを不幸にするから。
「早く、出て行って下さい……」
「……それがアンタの答えかよ」
馬乃介さんは立ち上がり、足早に私の家から出て行った。
なんてことはない。終わりは非常に呆気なかった。
最後まで付き合うと言いながら、生半可な覚悟で発した私の言葉。
それがこんな結末を迎えるなんて誰が想像しただろうか。
私はとても弱いから、もし馬乃介さんがあの場に居なかったら私は立っている事さえ出来なかっただろう。
味方が居るという事、誰かが側に居るという事が非常に心強く感じた。
それなのに私は、触れられたくない部分に触れられそうになったからと彼を突き放した。
彼の心を傷つけてしまった。
また独りぼっちになってしまった。
別に付き合っていたわけじゃない。
付き合うつもりだったわけでもない。
たった丸一日で情が移るわけもない。
それでも胸が苦しい。
苦しくて、張り裂けそうで仕方ない。
全部、自業自得だ。
「……大丈夫」
そう自分に言い聞かせて、私は迫り来る明日に備えた。
(20120515 修正20160727)
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Smotherd mate