あらすじ…ストーカーは退散しました。
08
「はあ……」
会社へ向かう私の足取りは鉛のように重い。
昨晩は色々あったせいで、簡単には寝付けず睡眠時間は短いものだった。
会社へ着いたら社長に何を言われるのだろうか、何をされるのだろうか。
考えただけで怖くなる。
馬乃介さんはもう私の前には現れないのだろうか。
本当にあれで終わりなのだろうか。
考えただけで胸が苦しくなる。
ならもう、何も考えなくていいのでは?
……そうだ、だって、私はただあの会社で言われたとおりに働いていればいいんだから。
全部、夢だと思おう。
いつも通り出勤し、自分のデスクに座る。
どうやらまだ社長は来ていないらしい。
「おはようございます……苗字さん……」
「あ、おはようございます鹿羽さん」
「どうぞ……お茶です……」
「ありがとうございます」
湯のみをデスクに置かれ、私は頭を下げた。
「昨日は……高熱とお聞きしたので…………が、入っています……」
「え? な、何ですか?」
「……飲んでからのお楽しみです…………ククッ……」
「あ、はは……ありがたく頂きますね」
「はい……おかわりなら言って下さいね……」
「あ、ありがとうございます……」
そう言って鹿羽さんは戻って行った。
鹿羽さんなりの優しさだろうけど、何が入っているかちゃんと教えてくれないのはとても恐ろしい。
相変わらずひんやりと冷たく、おどろおどろしい印象である鹿羽さん。
入社直後は怪しくて怖くて近寄りがたかったけれど、少し慣れたおかげか、儚くて綺麗で怪しい女性という印象になった。……好印象ではある。
私は頂いたお茶を飲みながら仕事を始める。
お茶がいつもより苦く感じたので、きっと薬などが入っているんだろうなと思った。
もうすぐ定時の時間になるけど、結局社長は出社して来なかった。
話をすると言っていたはずなのにどうしたのだろうか。
明日に引き伸ばされるだけなのか、それとも言ってみただけだったのか……わからないけど、今日という日が何事も無く終わるのならば願ってもない事だ。
と思っていたのも束の間。
私がタイムカードに手を伸ばした時だった。
「あかん、エライ時間かかりよったで! ほんま忙しいで!」
ドタドタと慌ただしい音を立てて会社へやってくる人が居た。
紛れもなくそれは社長で、私の心は掻き乱された。
「お? 名前ちゃん来とるやんけ!」
私の姿を確認すると、すぐに側へ寄って来た。
そして私の手からタイムカードを抜き取り、ラックへと戻した。
「お、お疲れ様です……社長……」
「お疲れ、名前ちゃん。さあ、遅くなってしもうたが話しようや」
「は、はい……」
やはり忘れたわけでは無かったようだ。
もちろん、そんな都合のいい話があるわけがない。
胸騒ぎする心臓をなんとか押さえながら、私は社長室へと連れられて行った。
「名前ちゃん、昨日のけったいな男は何や?」
社長室に入るやいなや、椅子に座り机に足を乗せて質問をされる。
けったいな男……馬乃介さんの事だろう。
何だと聞かれても私が何だと聞きたい。
「あの人は……特に何も関係ありません……」
「せやかて、将来の夫や言うたやないか!」
「ちょっとした冗談です、無関係の方です。……お騒がせして申し訳ありませんでした」
私は誤魔化すように笑う。
社長は眉をひそめた後、フッと笑みを零した。
「せやろなあ! ワハハハハ! 名前ちゃんが忘れたのかと思うて心配しとったわ!」
「…………」
「なあ? 名前ちゃん? 忘れてへんよな?」
「は、はい……」
じろりと私を睨み、机の引き出しから数枚の紙を取り出す。
そして一枚一枚を眺めて嬉しそうな顔をする社長。
「アンタの借金、まだまだ残っとるで!」
「…………」
「約束したもんなあ? これ返すまで『カリヨーゼ』で働くんやろ? アンタの人生、ワイのもんやろ?」
「…………」
「返事せえや!!!」
「は、はいッ……!」
響く怒鳴り声に、私は体を揺らして驚きながらも精一杯返事をする。
……まただ。
自分が自分でなくなるような感覚。
恐怖が臨界点に達しているのだろうか、ぼんやりとしてまともな思考回路になれない。
怖い。
私はこの人に一生を捧げなければいけないんだと思うと、怖くて仕方ない。
泣きたいけど、泣いたところでどうにかなる問題ではない。
全部諦めるしか無いんだ。
「名前ちゃんのその顔、ええなあ」
椅子から立ち上がり、靴音を立てながら社長が私に歩み寄る。
ごつごつとした手で頬を撫で、顎を掴まれて持ち上げられる。
「ッ!」
「怯えきって絶望した表情、たまらんのう……」
ニヤニヤといやらしい笑みを零しながら社長がジロジロと見てくる。
これから何をされるのかわからなくて震えが止まらない。
その時、コンコンと社長室がノックされた。
社長はすぐに私から手を離して、邪魔されたことに苛立ちながらドアの外へ返事をした。
「何や! 大事な話しとる時に……チッ……」
「……失礼しますわ、トラ様」
「う、うらみちゃんかいな! な、何か用かいのう?」
ドアを開けて入ってきたのは鹿羽さん。彼女を見るやいなや、社長は急に縮こまった。
私はこの二人の関係がいつ見てもよくわからなかった。
立場上、最高権力を持つはずの芝九蔵社長がいち社員の鹿羽さんにぺこぺこする理由は謎だ。
「トラ様……お客様がいらしてますわ……」
「客ううぅ!? 誰や! 入ってこい! こないな時に邪魔しよって、いてこましたる!」
助かった……と私は内心ホッとする。
鹿羽さんの背後には既にお客様が居たらしく、ずいっと割り込んで社長室へ入ってきた。
「よう、また会ったな」
「ワレは……!」
その人物の姿を見て私は驚いた。
だって彼は昨日、私の目の前から去ったはずなのに。
「馬乃介……さん……」
私と社長の間に割り込むように立つ彼は、どう見ても昨晩私の目の前から去っていったストーカーこと内藤馬乃介さんだった。
黒のスーツをビシッと決めて、最高のタイミングで登場した彼の姿は何故か頼もしく見えた。
「待たせたな、名前」
相変わらずの勘違い台詞を容易く吐く馬乃介さんに、これは現実なのか夢なのかよくわからなくなってしまった。
「……待ってません」
「へへっ、アンタのそんな強気なところも大好きだぜ!」
馬乃介さんは人差し指を銃口に見立てて私に向けた。
……待ってない。
確かに私は馬乃介さんなんて待っていなかった。
それなのにどうしてこんなに安心してしまうのだろう。
さっきまでの胸騒ぎはどこへやら、今はただ馬乃介さんがここに存在していることが何よりも安心した。
けど、何でここへ来たの?
昨夜の言い合いで、愛想を尽かしたんじゃないの?
どういうつもりで馬乃介さんがここへ参上したのか、当の本人以外に知る由はなかった。
(20120515 修正20160727)
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Smotherd mate