(一) ネオンが輝く歓楽街。 その角には、『calm's bar』という看板を掲げているバーがある。 店内は落ち着いた雰囲気で、バーカウンターの後ろには、珍しいボトルがずらりと並んでいた。 客からオーダーを受けた、有は、慣れた手つきでシェイカーを振っていた。 リズミカルな、その音が、店内に流れる、ゆったりとした曲調のジャズと調和して、新たな空間を作り出す。 その場にいる誰もが、有が生み出す世界に浸っていた。 そうして有を目にした彼女ら――もしくは彼らは皆、ほうっと短いため息をつくのだ。 有は、長い手足に広い肩幅。夜の闇に溶け込むかのような、漆黒の短髪。鷹のように鋭い目。高い鼻梁に薄い唇。スマートな立ち姿をしていた。そんなだから、有を目当てにして通う客も珍しくはない。 今夜も、有は男女関係なく、『calm's bar』にやって来た客を虜にしていた。 「お〜い、有。また来たぞ、お前の追っかけ」 有は、同僚の声を合図に顔を上げると、カウンターの目の前にはすでに知った顔があった。 「……酒も飲めないくせに何をしに来た」 「なにって、有さんを口説きに」 「………」 有が訊(たず)ねると、やや高めの通りがいい声質をした、彼から単刀直入な返事が返ってきた。 彼の名前は英。 年は有より八つほど下で、文系の大学に通う二十二歳の青年だ。 星でも散りばめたかのような、キラキラした大きな目の中に、有を写していた。 顔の真ん中に乗っている小さな鼻に、弧を描く大きな唇。薄茶色の髪は地毛なのか、短く切りそろえられている髪の端っこが巻いている。 陶器のような滑らかな肌を持つ、細身で華奢な身体。間違いなく、美青年の中に入るだろうその彼は、人懐っこい笑みを浮かべ、冗談とも取れないおかしな言葉をさらりと口にした。 「ねぇ、誰とも付き合ってないんでしょう? だったら僕と付き合ってよ〜、一目惚れなんだ」 英の告白に無言でいると、彼は重ねて言った。 有と同性であっても人目を気にすることなく、交際を求める英は、これまでに幾度も同性に言い寄られた経験があるからだろう。 たしか、英との出会いもそんなだったと、有は思った。 英との出会いは、半年前。 その日は風もなく、蒸し蒸しとした夜だった。 闇に包まれた街はシン、と静まり、ただ虫の羽音だけが聞こえてくる。 深夜三時。その日も無事に仕事を終えた帰り道、有はコンビニの裏にある駐車場で、何やら言い争っているような声を聞きつけた。 その声に吸い寄せられるようにして足を向けると――街灯の微かな薄明かりに照らされた男四人のシルエットが見える。 何分、外は薄暗く、顔までは分からない。低い声からして、男たちの年頃は自分と同じか少し下くらいの年齢だろうか。 彼らは、四人いる内の、一際背が低い一人の腕を掴み、何やら突っかかっている。 聞き耳を立てていると、男三人に囲まれているのは大学生くらいの青年で、「一緒にホテルでも行こう」と、どうにも言い寄られているようだった。 同性に言い寄られるなんて、普通ならあまり考えられない現場ではあるが、歓楽街を抜けたこの地域は、ひっそりとした住宅街が続くだけで、人気があまりない。 さらに、夜も深まるこの時間帯は、有はよくこういう場面を見かけるのだった。 彼らは刺激を求め、引っかけられるのを目的で外に出る事が多い。実際、有がこれまで目にしたこういう場面では、楽しそうに男たちについて行く姿ばかりだった。 だから有は今回も気に留めず、ただ通過しようと思った。 だが、言い寄られている青年は声を荒げ、嫌がっている様子だ。 見かねた有は、男三人の間に入った。 そうして理解したのは、言い寄られていた青年は、たしかに男であるものの、女性さながらの可愛らしい容姿をしていたことだった。 これでは言い寄られるのも無理はない。 そうして有が三人の男たちから助けたその彼こそが、英である。 彼は男を引っかけるために外出したのではなく、深夜遅くまで大学の課題をしていて、小腹が空いたのでコンビニまで気分転換がてら、外に出たらしい。 そこで、あの達の悪い男たちに出会(でくわ)したのだと告げた。 英は、助けてもらった有に一目惚れをしたらしく、それ以来、有が勤務している、『calm's bar』に入り浸り、常に熱視線を送っては告白を繰り返していた。 それは毎度のことだから、同僚たちや客に野次を飛ばされ、挙げ句の果てには、『いい加減付き合ってやれ』と冷やかされる始末だ。 英と有とのやり取りは、ある意味、このバーの名物になっていた。 英の告白にうんざりしている素振りを見せる有だが、その実は彼自身も英に好意を持っている。 英が一目惚れなら、有もそうだった。 ならば、想いを告げればいいと思うだろうが、そうはいかない。 実は、これには英の性格が問題していた。 それというのも、英はとても惚れやすく、飽きやすい体質をしていた。 それは以前、英と付き合っていたという、客に教えてもらった情報だ。 なんでも英は、『両想いになった途端、恋が冷めてしまう』体質らしい。 有自身も英について色々と調べてみたものの、熱しやすく冷めやすい彼の性格はかなり有名で、十人中六人はその事実を肯定した。 それならば、英には両想いだということを告げず、自分に夢中になってくれている今だけを楽しもう。 彼とは恋人にならない方が良い。 そうして有は、密かに英を想い続けていた。 しかし、有の思いは虚しく、決意は脆(もろ)くも崩れ去る。 それは、英を愛おしいと思うが故の――神が有の意志をためすかのような、そんな出来事だった。