◆ 「あ、あの!!」 僕、ナツが、『今日こそは』とそう誓い、やって来た先は兄さんの友達である、香弥さんの家。 僕が肩にかけている布製のカバンの中には、ノートやら筆記用具といった勉強道具一式と――……。 カバンのずっと底の方に忍ばせている、昨日僕が寝る間も惜しんでつくったトリュフチョコレート。 実は、このチョコレートこそが今日の主役だったりする。 ――そう。今日は二月十四日、バレンタインデー。 僕は今日、長年想い続けていた香弥さんに告白する!! そうやって意気込んで来たものの……。 「いらっしゃい、寒かったでしょう? もうすぐ春だといっても、まだ二月だもんね。ほらほら、遠慮なんかしないで上がって上がって」 そう言って、玄関に佇む僕の背中を押して家の中に入れてくれる背の高いこの人こそが、僕が大好きな人だったりする。 長いまつ毛に守られた猫みたいな目、金色の細い髪の毛。 着ている服も柄付きのものが多くて、少しチャラっぽい感じだけど、すごく面倒見がよくって、わからない勉強とかをたくさん教えてくれる、とっても頭がいい人なんだ。 ――少し……ううん、すごく気まぐれ。動物に例えると猫っていう感じかな。 でも、そんなところが気取ってなくて、すごく好き。 親友の兄さんとは全然違う性格なんだ。 兄さんは、どっちかっていうと知識が凝り固まった硬派な感じの人で、実はちょっと近寄りがたい。 だから、家から歩いて十五分くらいかかるけれど、それでも香弥さんを頼ってしまう。 兄さんと香弥さんは、高校からの友人で、よく家に遊びに来ていた。 そうして、香弥さんは、年が三つ離れた僕の面倒も見てくれる。 だからだね。誰に対してでも人懐っこく笑う香弥さんを、気がつけば、好きになっていた……。 高校が一緒だった兄さんと香弥さんは、卒業してからも変わらない。 だって、進学先がふたりとも同じ大学なんだ。 兄さん繋がりだけど、でも好きな人と会えるのは嬉しい。 兄さんは腐れ縁だって嘆いているけど、でも本当はまんざらでもないのかもしれない。 だって、兄さんは嫌いな人には嫌いって素直に言っちゃう人だもん。 だから今でも香弥さんは時々家に来て、兄さんと一緒にいるし、その度に僕の面倒も見てくれるんだ。 だからすごく嬉しい。 ――でも、これは許されない感情。 だって、香弥さんも僕も男だから……。 でも、だけど……万が一っていうことも!! 訂正……。 やっぱり、そんなことはないよね。 ――バカみたい。 わざわざ料理部に入っている女子にチョコレートのつくり方を教えてもらって、家族に勘付かれないよう、夜中にコソコソつくるなんて……。 カバンの中にチョコレートを入れて持ってくるなんて……。 「今日はどこがわからないのかな?」 ニコニコ、ニコニコ。いつも笑顔を絶やさない香弥さん。 そんな彼は、いつも女性にモテモテだ。 現にほら、窓辺にある香弥さんの机の上には、綺麗に包装されたチョコレートの山がどっさり……。 年頃の男子よりもチビで、黒髪で、黒縁メガネをかけた、これといった特技も何もない、しかも男の僕なんかが渡せる相手でもないのに、バカみたいだ……。 「えっと、今日は数学を教えてほしいです」 六畳くらいある香弥さんの部屋に通されて、ガサゴソとカバンの中を探る。 ずっと下の方に押し込んでいる僕が作ったチョコレートになるべく触れないようにして、小さなテーブルに教科書と参考書を出した。 奥底にあるチョコレートを触らないようにするのは、チョコレートをなかったことにしたいと思ったからだ。 告白なんてしたら、嫌われてしまうのは決定済みだ――。 香弥さんへの想いがつのっている今でも悲しいのに、嫌われたりしたら、もっとずっと悲しくなる。 自分がとても惨めになるから……。 あー、なんでチョコレートなんてつくったんだろう。 どうして告白なんてしようと思ったんだろう。 どうして……チョコレートを渡したら、受け取ってくれると思ったんだろう……。 「どれどれ?」 そう言って手元に広げた教科書を覗き込んでくる香弥さん。 ふわふわした前髪が僕の黒髪と交わる。 顔、近い!! なんて慌てるのは僕だけだ。香弥さんは真剣に教科書を見つめている。 バクバク、バクバク。 香弥さんにも聞こえるんじゃないかっていうくらい、うるさく鳴るのは僕の心臓。 香弥さんに気持ちがバレてしまう。 「あ、あの。香弥さん!!」 「うん? あ、そっか。忘れててごめんね、学校から帰宅して早々こっちに来たんだよね、喉が渇いたでしょう?ジュース持ってくるね。オレンジでよかったよね?」 「え? あ、はい……」 顔が近いからどうしようかと思って声をかけたのに、香弥さんは飲み物の注文だと勘違いして部屋を出て行った。 静かにドアが閉まる。 とりあえず、ほっ……だ。 これで少し息を抜いて、バクバクうるさい心臓をなんとか静めよう。 テーブルから腰を上げて進んだ先は、やっぱりチョコレートの山になっている香弥さんの机の上――。 可愛いハートマークやクマの包装紙に包まれたチョコレートたち。 僕が、香弥さんに渡そうとしている、ただ茶色いだけの簡素な包装紙で包んだチョコレートとはワケが違う。 それはまるで、香弥さんに対する僕の気持ちは薄っぺらいものだと告げているようだ。 そうしたら、ドキドキからズキズキに変わる。 山積みになっているチョコレートを見つめていた視界が歪みはじめた……。 「お待たせ〜、オレンジジュース持ってきたよ?」 明るい声と一緒に、ガチャリとドアを開けて入ってくる香弥さん。 僕は慌てて、乱暴に腕で目を拭り、涙で滲む世界を消す。 「可愛いチョコレートですね」 何を言っているんだろう。 褒めたくもない恋敵のチョコレートを褒めるなんてさ……。 そう思うのに、態度は想いと裏腹で、チョコレートに視線を向けてしまう。 いくら涙を抑えたとしても、胸のズキズキはやっぱり治まらない。 それどころか、余計に惨めになってきた……。 くしゃりと歪みそうになる顔を、必死になって笑顔にしようとする滑稽(こっけい)な僕――……。 「あ……それ?」 香弥さんはそう言うと、手にしているオレンジジュースが入ったグラスふたつを机に置いて、代わりに綺麗に包まれているチョコレートをひとつ、取り出した。 「はい、どうぞ」 泣きそうになっている僕に差し出してきた。 「え?」 困ったのは僕だ。 このチョコレートをいったいどうしろと言うのだろう。 だって、これは香弥さんを想っている人がつくったチョコレートだ。 恋敵のチョコレートを食べられるわけないじゃない!! ……イライラする。 きっと今の僕は眉間に皺が寄っているだろう。鏡はないけど、自分でもよくわかる。 ――でも、こればっかりはどうしようもない。 だって香弥さんから見れば、僕は親友の弟だ。 香弥さんにとって、それ以上でもそれ以下でもない。 もしかしたら、僕が異性だったら望みはあったのかもしれない。 ――でも……実際は違う。だから香弥さんにとって、僕は何でもない存在なんだ……。 自分自身の考えによって打ちひしがれ、そうして悲しみを増幅させる。 顔も心と同じように、クシャってひん曲がっていく。 僕の気持ちを知らない香弥さんは、ニコニコ笑って、とっても嬉しそうだ。 そりゃそうだ。だって、自分を好いてくれているコがたくさんいるんだもん。 僕が香弥さんの立場だったら、きっとものすごく浮かれていると思う。 ニコニコ、ニコニコ笑う香弥さんは、泣きそうになる僕を差し置いて、明るい声で続きを話す。 「コレ、全部俺がつくったんだ」 ――えっ? つくった? 香弥さんの言葉は、ものすごく意外なもので、僕は放心状態になった。 だって、綺麗に包装されている山積みのチョコレート。 てっきり女性からの贈り物だと思っていたんだもん。 パチパチ、パチパチ。 瞬きをして、しばらく香弥さんの顔を見つめていると――……。 「ナツ君に似合うような可愛い柄がなかなか見つからなくってね」 ――えっ? 「チョコレート、たくさんつくって包んでみたんだけれど……どれがいい?」 ――えっ? 「今日はバレンタインデーだものね」 ――ええっ? 「好きだよ、ナツ君。俺の彼女になってくれる?」 ――えええっ!? 「それでねナツ君? 俺宛の本命チョコレートはどこにあるの?」 ――えええええええええっ!? ……香弥さんへの僕の気持ち。 どうやらもうとっくにバレてたみたい……。 .。.:*・゚END:*・゚。:.*