「安室さんって探偵もされてるじゃないですか」
「ええ、そうですけど…何かご相談ですか?」
「ああ、いえ、そうじゃなくて、今朝きたお客さんが人を探してるみたいだったので、安室さんに相談したらどうかなって思って」

出勤して早々に言われた言葉にわざとらしく首を傾げてみせた。

「人探しなら毛利さんも居ますし、上にありますからそちらの方が相談しやすいんじゃないんですか?」
「それが、毛利さんがいらっしゃる時間帯に丁度来られたお客さんで、毛利さんともご挨拶したのに相談もされてなかったから他の人の方がいいのかなって」
「もしかしたら探したくないのかも」

あの有名な名探偵と知りながら相談をしないのなら、其処まで切羽詰まっているわけでもないだろう。
そう思っているとランドセルを背負ったコナン君が現れた。

「コナン君いらっしゃい。今日は午前だったのかな?」
「うん。ねぇ、それよりも安室さんに聞きたいことがあるんだけど…」
「どうぞ」

あのね、と言いにくそうにしているのは、梓さんには聞かれたくない話題だからだろうか。

「あ、そうだコナン君、今朝のお客さんの本はもう読めた?」
「へ?あ、うん!面白かったなぁ」
「忘れないうちに預かっておくけどどうする?」
「本?」
「そうなんですよ、さっき話したお客さんの本をコナン君が借りて居て、今日中に読んでお店に置いておくからまた来てねって約束したんだよね?」

梓さんの問いかけに無邪気に返事をしたコナン君がランドセルから取り出したのは、昔俺が妹に買った一冊の古本だった。

「コナン君それ、なんで君が…!?」

見間違う筈がない。
古本だからか、題名の横に小さな星のシールが貼ってあるそれは、雫が笑いながら「デコってある!お得だ〜」と喜んだんだ。
新しいの買ってやると言っても「だってシールつきだよ?お得お得!」と喜ぶ雫に買ったものだ。

「あ、今日は私用事があるのでこれで失礼しますね!本は安室さんが預かって置いてください」

そう言って慌ただしく出て行った梓さんを見送って、コナン君が漸く口を開いた。

「降谷雫さんから借りたんだ」

やっぱり。
忘れるわけがない。
大事な俺の妹。
まさかこんなところでその名前を聞くなんて。
あの時、俺が雫を傷付けたあの日、嫌われるのが怖くて逃げ出したあの日から会うことも、いつしか連絡を取り合うことすら恐れて遠ざけた妹。

「安室さんの妹なの?」
「…安室透に妹は居ないよ」
「そうじゃなくて、僕が言いたいことわかるでしょ?」

ああ、分かるさ。
降谷零の妹なのかと聞いているのだろう。
どうせ俺のこの反応で分かっているくせに、本人からの証言を得ようとするのだから彼はどこまでも探偵だ。
頷いて見せればやっぱりと溢れた呟き。

「雫さん、お兄さんいるのって聞いたら動揺してた」
「…会ってなかったからな。何か他に言っていたかい?」
「もう何年も会えてない。自分のせいで家を出たって聞いたけど…」

そんなまさか。
雫は何一つ悪くないのに。
悪いのは兄である俺なのに。

「雫は何も悪くないよ。悪いのは全部僕さ」
「雫さんお兄さんに会いたがってるみたいだったけど」
「此処にいるって言ったのかい?」
「ううん。安室さんが仕事の関係で意図的に離れた可能性を考えたら言えなかった」
「そうか。ありがとう」

降谷零として、雫の兄として彼女に会うのは正直未だに怖い。
俺はまだあの頃のまま、雫への想いを整理しきれずにいる。
兄である事を止めようとしたあの時を。

「雫さんにこのお店で本を返すって言っちゃったんだけど、やめたほうがよかったかな?」
「いや、彼女と話せるいい機会だし、むしろよかったかもね。勿論安室透として会うからそこはコナン君も協力してくれるよね?」
「僕はいいけど…」
「なら決まりだ」

安室透としてなら、赤の他人としての俺なら、きっと話せる。
兄として雫に会うことはまだ出来そうにない今、彼女とまた話すにはそれしかない。

「じゃあこれ、安室さんに預けるね」
「ありがとう」

渡された本は肌身離さず持ち歩いていたのだろう。
昔見た時よりも表紙がボロボロになっていて、あんなことがあった今でも大切にされていることが嬉しかった。

「こんにちはー…」

カランカランと音を立てて開いたドアの前に居たのは、最後に見た時よりも大人びた顔をした雫だった。
青白い肌は昔と変わらず、ちゃんとごはんは食べてるか?夜眠れているか?と肩を掴んで問いただしたくなる衝動を抑えて、安室透として笑いかけた。

「いらっしゃいませ、こんにちは」

泣きそうに揺らいだその瞳に、胸が苦しかった。
降谷零を見ているのだろう。
喉の奥で小さく掻き消えそうな声が、にいさん、と震えたのが分かった。
思い切り抱きしめたくても、俺にそんな権利はない。
見えないようにカウンターの中で耐えるように拳を握って、安室透は笑う。
そう、俺は降谷零じゃない。
安室透だ。と自分に言い聞かせて。

「お一人ですか?」
「は、い…」
「よければカウンターにどうぞ。コナン君ともお知り合いみたいですし」

よかったね。とコナン君にわざと声をかければ、彼は雫の手を引いてカウンターまで案内をする。

「貴女が梓さんやコナン君が言っていた雫さんですよね?僕は安室透です」
「…ふ、るや、降谷雫、です」
「今コナン君から本を預かったばかりなんですよ。随分読み込まれているようで」

にこにこと笑顔を絶やさず本を差し出せば、震えた手がそれを受け取った。
細い指先は真っさらで、細いどの指にも誰かの物である証が嵌められていない事に安堵した。
自ら離れても尚、妹が誰かの物になるのは嫌だなんて笑えるな。

「安室さんは探偵もやってて、上の毛利のおじさんの弟子で、ポアロのバイトもやってるんだぁ!」

すごいよねぇ!と説明するコナン君にそうだね、凄いねと笑いかける切り替えの早さは、昔教師の前で猫を被った雫と重なって見えた。
きっと内心は兄そっくりの他人の登場に動揺しているのに、うまく隠そうとする。
一人で抱え込もうとする雫は、直ぐに猫を被ってその場を取り繕う。
昔からそうだった。
…昔から、何も変わってないんだ。
大人びたが、俺の知る雫が、目の前に居た。

「安室さんは、そんなにお仕事していて大変じゃないんですか?」
「いえ、僕はやりたくてやってることなので。そう言う雫さんは何のお仕事を?」
「医者です。今日からこの近くの小児科医院に異動になりまして、出勤時の朝ごはんを食べる所を探していたら丁度良いところにポアロがあってよかったです」

医者。
高校生の頃になりたいと言っていた夢を叶えたのか。
きっと料理は苦手なままなんだろう。
作ろうと思えば作れる癖に直ぐに甘えて「兄さんのごはんがいい」と言って聞かなかった妹。

「朝は忙しいですもんね。お昼や夕食はどうされてるんですか?」

さらりと逸らされた視線に、気まずそうに薄く開いた唇は言い訳を探してる時の癖だ。
絶対外で済ませてるな。

「あー…今は美味しくて健康的なものが売ってるのでいい世の中ですよね」
「自分では作られないんですか?」
「…手作りは兄のごはんじゃなきゃ嫌なんです。なんて我儘ですよねぇ…料理が苦手なんです私」

安室透として接することにしたらしい雫は、そう言って罰が悪そうに笑った。

「兄さんに知れたら叱られちゃうかもって思うと、中々口にはできませんけど」
「雫さんお兄さんのこと好きなんだもんね」
「胃袋掴まれたからね。そりゃあ好きだよ」
「それ逆じゃない?」
「いいの。だってそれで幸せだったから」

兄さんごはんおいしかったな。と呟く顔は当時の献立を思い出しているのか、幸せそうだった。
美味しい美味しいと笑って食べる雫が嬉しくて、結局甘やかして作っていた事を思い出す。

「安室さんも料理上手なんだよ!」
「ええ、イケメンで優しくて料理もできるなんてハイスペック過ぎじゃない?大丈夫?人間辞めてない?」
「本人前にしてそこまで言えちゃう雫さんが大丈夫なの?」
「え、すみません、余りにもハイスペックで…」
「いえいえ、褒めてくれてるんですよね?」

勿論!とガッツポーズをしてみせる何処かズレている姿はやっぱり俺の知る雫で、記憶と同じ姿を見るたびに安心する。

「因みに、今日の夕食はもうお決まりですか?」
「まだなんですよ…コンビニは流石によくないのでスーパーのお弁当にしようかなと」
「なら美味しいお店ご紹介しますので、今夜一緒に如何ですか?」

気付けばそんな事を口走っていた。
しまったと思っても言ってしまった言葉は取り消すことはできない。
久しぶりに会話が出来たことに舞い上がって、自分が安室透だからと調子に乗ってこれとは潜入捜査官の名が聞いて呆れるな。
完全に職務を利用している。
それでも、また雫と話したかった。
近づきたかった。
自分から遠ざけて、そして遠ざかったくせに、赤の他人として接した瞬間にこうなのだから自分でも呆れるが、引く気は無かった。
他人としてでいい。
他人としてがいい。
俺は雫の側に居たいんだ。
せめてこの期間だけでも、雫と居たい。
あの日から抑えようとして来た感情がまた溢れ出したのを感じた。

「嬉しいんですが…えっと」
「すみません、用事もありますよね」
「そうじゃなくて、この歳になってこんな事言うのも恥ずかしいのですが、兄に異性と二人で食事はやめろ。と昔言われて居たもので…」

…言ったな。
確かに言った。そしてそれを今でも守ろうとする妹が愛おしくて仕方なかった。
俺の知る限りで恋人の居ない雫は、八割くらいは俺のせいでもあった。
こう言う奴には気をつけろ。
男と二人きりにだけはなるな。
今思い返しても過保護だと思うし、独占欲の表れでもあるあの数々の発言は些か子供じみて居たと今では反省できる。
合コンだけは一生行くなの言葉さえ守ってくれるのなら、それ以外は忘れてくれていいとさえ思う。
合コンだけはだめだ。

「失礼ですがお幾つの時の話ですか?」
「えっと、高校入ったばかりの時ですね」
「きっと高校生になったばかりの妹を案じてのお兄さんの言葉なんでしょう。今は社会人ですし、お兄さんももう気にしないと思いますよ」
「うーん…そういうものですかね…」
「むしろ見分ける力を付けて欲しいのかも知れませんし」

半分本当で半分嘘だ。
こうでもしなければ今後安室透と二人で過ごすことはできなくなるだろう。
今此処でその概念を壊してやらなければ。

「…それじゃあ是非、お願いします」

少し考えるそぶりをしてからにこり、と笑って見せた顔は他人用のものだった。
人当たり良く接する時の雫は、愛想よく笑って本音を隠す。
自分から誰かに歩み寄る事はないけれど、相手から来られたら笑顔で当たり障りのない態度で受け流す。
子供の頃から、こんな風に何処か大人じみた対応をする。
俺以外に向けられて居たそれが今、自分に向けられていると思うと不思議な気分だった。





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