12


薬を横流ししていた組織を壊滅させてから約一カ月が過ぎたが、太宰の画策によりその間のナマエの任務は太宰・中原のいずれかとのツーマンセルもしくはスリーマンセルのみの任務になり、以来ナマエが関わった仕事でのトラブルは一切起きなくなった。

表面上は冷静を装っているナマエだったが、誰よりもその事を安堵していた。
それは今彼女の目の前にいる男達も同じ思いだった。


「最近順調そうだなナマエ」
「…そうね、過保護な誰かさんが動いてくれたお蔭で」
「あれ、バレてた?」


本部で偶然顔を合わせた織田とナマエが飲みに行く話をしていた所に、何処から話を聞いてきたのか太宰も加わる事になり、こうして酒場に三人が集まった。

グラスを傾け、アルコールを流し込みながらナマエは隣に座る太宰を見上げる。


「流石に気付くわよ。そんな権限持っているのは首領か貴方位だし」
「うふふ、そうかい」
「…もう平気だから、任務の体制元に戻して良いでしょう?」
「駄目だよ。向こうが動かないとも限らない」


即答で自分の要望を却下され、ナマエはムッとした表情で反論した。


「大丈夫だってば、もう隙なんて作らないから」
「隙が無い君がしてやられたんだ。相手の方が今は上手だよ」
「でもこの状態が続いたら部下に示しがつかないでしょ」
「示しなんてもう十分ついてるじゃないか」
「私は完璧以上の事をしてないとダメなの」
「でもまだ駄目」
「もう!作之助もこの石頭に何とか云って!」
「…ナマエは如何してそんなに完璧に拘るんだ?もうお前には十分な地位も力もあるだろう」


太宰に口で勝てる気など毛ほども無い織田はそれとなく話題を変える。
その返答が予想外だったのか、ナマエはう、と押し黙り静かに口を開いた。


「…だって、私は」


”生き残ってしまったから”
その言葉を飲み込み、女だからと呟く。

しかし彼女の答えが本心で無い事を知る二人は、何事も無かったかのように酒を煽った。


「この世界は女ってだけで反感買うの。少しでも弱い所を見せると一気に叩かれるのよ」
「そんな奴らナマエの腕で黙らせてしまえば良い」
「太宰、物騒だぞ」
「…これだから男は」


溜息を吐き、ナマエはテーブルに頭を預ける。
柔らかいナマエの髪を撫でながら、織田は静かに口を開いた。


「ナマエ、お前も本当は分かってるだろう。太宰の判断が間違っていた事など今まであったか?」
「……無いから悔しいの」
「それは褒め言葉として受け取って良いのかい?」
「好きにしなさいよもう…」
「太宰、茶化してやるな。…今は耐えろ、ナマエ。狙撃手の経験もあるお前なら理解できるはずだ。忍耐力と判断力が戦局を左右させる。それにな、俺も妹には無理をして欲しくない」
「…本当にずるいよね、作之助って」
「そこは私も同意するよ。天然が一番性質が悪い」


織田本人は何の事か分かっていない表情だったが、その顔を見たナマエは小さく笑い起き上がる。


「仕方ないから云う事聞いてあげるわよ。その代わり、此処の払いはお願いね」
「ええ…私、何も悪くないじゃないか…」
「そもそも作之助と私の時間を邪魔したでしょう。マスター、同じものお願いします」
「ちょ、というかナマエ飲みすぎじゃない?」
「ケチケチしないの幹部様」


早速置かれたグラスに口を付けるナマエを横目に、織田と目線を合わせると同じ心境だったのか肩をすくめていた。その姿を見て太宰も苦笑を浮かべる。




















「…寝たか?」
「うん」
「珍しいな、ナマエが潰れるなんて」
「最近ずっと気を張っていたからね。漸く仕事が落ち着いて安心したんじゃない?」


テーブルに突っ伏して静かに寝息を立てるナマエの髪を撫でながら、先程の言い合いが嘘のように優しい目で彼女を見つめる太宰に、織田は目を細める。
生きる事にも執着していないような男が、ここまで彼女を気にかけている事に驚きを感じながらも、どこか安堵したような気持ちだった。


「で、目星はついたのか」
「まぁ、ある程度はね」


眠っているとはいえ、彼女に聞こえてしまってはまずいと思い織田は小声で声を掛ける。

ナマエの周りで不審な動きがある事は織田も太宰から聞いていた。
鋭い洞察力を持つナマエに感づかれないよう、秘密裏に探っていた太宰だったが、ナマエに付きっきりになる訳にもいかず、密かに織田にも協力を要請していた。


「確証が得られるまで動くつもりは無いけど、私の読みが正しければそろそろ向こうが痺れを切らす頃だと思う」
「…その事で俺に用があって付いてきたんじゃないのか?」
「流石織田作、私の事をよく分かっているじゃないか」


と云うと懐から一枚の写真を取り出し、織田に差し出した。


「この男について調べて欲しい」


受け取ると、織田は黙って写真を見つめる。
そこには眼鏡をかけ、真面目という言葉が似合う男が写っていた。


「この男が?」
「まだ何とも、あくまで調べるだけで良い。私では目立って調査出来ないし、警戒される可能性が高い」
「…誰なんだ?これは」


「ナマエの第一部下の北原という男だよ」



その言葉に織田は目を見開くが、言葉は発さずに静かに写真を懐に仕舞う。


「却説、そろそろ戻るとするよ。明日は早朝から会議があるし」
「太宰が早朝の会議に出席…明日は槍が降るな」
「真逆、ナマエが困るだろう?」


そう云うとナマエの身体を軽く揺すり声を掛けた。


「ナマエ、戻るよ」
「……う、」
「平気?車呼ぼうか」
「だいじょうぶ…」


ふらりと身体はよろけているが、既に意識がはっきりしている辺り流石だ、と織田は感じた。


「作之助はまだ帰らないの?」
「俺はもう少し飲んでからな」
「そう…じゃあまたね」
「嗚呼、あまり無理するなよ」
「うん、ありがとう」
「じゃあ織田作、頼んだよ」
「分かった」


太宰に支えられながら帰るナマエの後ろ姿を見送り、織田は再び写真を取りだす。
北原という男の顔を瞼に焼き付けるように。
















「ねぇ、作之助に何を頼んだの?」
「私の任務の手伝いだよ。織田作は諜報活動に向いているからね」
「…そう」


マフィア本部に戻って直ぐ、ナマエは気になっていた事を単刀直入に太宰に尋ねたが、何時ののように読めない表情で答えた太宰に、ナマエは探るように目を細めたが特に追及もせずに終わる。
織田では無いが、この手の問答で太宰に勝てる気は彼女にも無かった。

人気の無い廊下の先にあるナマエの執務室が見えると、太宰は口を開いた。


「ナマエ、もう気付いているだろうけど君の周りで何か起きているのは確かだ」
「…うん」
「ナマエの実力を疑っている訳では無いよ。特別幹部の名は伊達じゃない。だからこそ、ナマエが無理をしすぎる事が何より心配なんだ」
「子どもじゃないんだから、平気よ」
「中也と違って君は頭で考えて行動できるだろう?何かあったら直ぐ私か中也に云うんだ。良いね?」
「それ中也が聞いたら怒りそうね」
「事実だから仕方ない」
「ふふ、わかっ___」



笑みを浮かべていたナマエの表情が、執務室のドアノブに手を掛けた瞬間に豹変する。


「ナマエ?」

彼女の異変に太宰は首を傾げるが、静かに手で動きを制され反射的に息を潜めた。



(執務室に誰かいる)


声には出さず訴えるナマエと目が合うと、太宰も室内に意識を向ける。

ナマエは腰に備えたホルスターから拳銃を取り出し、素早く安全装置を外す。
気配を殺し、扉に耳を当てながらナマエは言い知れぬ不安を感じていた。



(只の人の気配じゃない。”何か、違う”)

これまでの暗殺任務では感じた事の無い心臓の高鳴りを感じながらも、同じ様に壁に張り付き拳銃を構える太宰を目配せをし、頷いて合図を送ったのと同時に扉を蹴破り突入する。


「…っ!!?」


見慣れた筈の自分の執務室内に広がる、信じられない光景にナマエは目を見開いた。






壁という壁を埋め尽くす程貼り付けられた夥しい量の写真。

その写真は全て、



ナマエが写ったものだった。






ナマエの後に室内に足を入れた太宰も、視界に飛び込んできた光景に目を疑った。

幾度となく死線をくぐり抜け、地獄など何度も見てきている太宰だが、異様としか表現出来ないこの状況に思わず身体が硬直した。



「北原!?」


突然響いたナマエの叫び声に反応し身体を向けると、先程織田に調査対象として依頼したばかりの北原が頭から血を流して倒れていた。


「…此れは予想外だ、」


呟いた太宰の声はナマエには聞こえておらず、未だ倒れている男に声をかけ続けている。



「北原、返事をしなさい!北原…!」
「ナマエ、落ち着いて。息はある」


珍しく取り乱し、錯乱状態になりつつある彼女の肩に手を添え、北原の様子を伺う。
意識は失っているようだが、呼吸と脈は確認出来た。


改めて室内を見渡すと、特に荒らされた様子は無く、備え付けられた棚等も動かした形跡は見られない。

ふと奥に続く仮眠室の扉が僅かに開いている事に気付き、人の気配が無い事を確認してから入ると、執務室とは違った光景だった。




「…これ、は」



いつの間にか背後に居たナマエの声に、太宰はゆっくりと振り返る。


どんなに過酷な任務、悲惨な状況を見ても冷静且つ毅然とした態度を見せていたナマエだったが、今は血の気が引いたように真っ青な顔色をしていた。





綺麗に整えられていたであろう真っ白なベッドは、至る所を切り裂かれ羽毛が床を埋め尽くす。

そしてベッドの中央には一枚、ナマエの写真が羽毛に隠れていた。





写真に写るナマエの顔を、鈍く光るナイフが貫いていた。







「……成程、そう来たか」



力が抜け、立ち尽くすナマエを優しく抱き締めながら、太宰は呟く。


その目線は扉の向こうに見える、未だ動かない北原に向けられていた。




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