綱渡りをしている感覚。知っていますか。想像できます? 足元がね、ふらついて。下を見れば、広がっている山々が頭を尖らせている。それでも必死に歯を食いしばりながら綱を渡ろうとしていた俺へ、その横にある綺麗に補正された橋の上から彼は、悠々とそこを歩き、笑みを絶やさず言うんです。大丈夫、僕がついているからね、と。そこにいていいよ、僕が橋を渡してあげるから、と。

 今にも足元が崩れそうな感じを受けながら俺は、失笑します。失笑ですよ。必死になっている自分に対してこいつは何を言っているのだ、とね。励まされたのならば話は違っていたでしょう。叱咤してくれたならばきっと、もっと違う未来が訪れていたはずなんだ。うん、これも、単なる我が儘だと……今ではわかりますよ。失った、今ではね。

 このままではいけない。そう考えて家出をした事もあります。ま、戻ってしまいましたがね。いいや、戻された、かな。思い出とは厄介なものです。長く時を共にしてきたなら尚更だ。それがね、前を向こうとする自分の後ろ髪を引っ張るんですよ。ははっ、そう、前を向いていたのかわかりませんけれどね。もう、どちらが進むべき道なのか、自分でわからなくなってしまっていましたから。

 戻ってみて、彼の顔を見つめた瞬間、自分の行動の過ちに気づきました。微笑みながらもその目はぎらぎらと輝いていて、掴んでくる手の強さが執着を物語っていたんです。そして……ああ、もう、笑いなしでは語れない。はははっ、彼、言ったんですよ。家を出てみて社会の辛さがわかったんだよね、と。君は僕なしでは生きていかれないはずだ、と。ああ、ああもう、腹が痙攣してしまう。だから、希望に満ちた彼を深く切りつけたくて、別れを切り出しました。好きな人ができたと嘘を、ついて。そこから繋がったのが、監禁です、監禁。

 それからの日々は、いつ思い出しても、口の中に苦いものが込みあがります。何もしなくてただそこにいればいいと願われた側は、どうすればよかったのか。起きている事も億劫になりましたよ。現実から逃げたくて、たまらなかった――違うな。逃げたかったのは、彼からです。ううん、違うか。うかつな自分から逃れたかったんだ。

 くだらない舞台が終幕を迎えたあの時、彼から飛び散ってきた血は確かに俺の肌を赤く染めました。身体も心も昂ぶってしまってね。ここまで自分を愛してくれたのかと、感動すら覚えましたよ。ただ、それでも俺は――許せなかったんだ。こんなに駄目になってしまった自分と、それを助長させた、彼を。

 浮気? しましたよ。彼にばれた一人だけではなく、数え切れない程にね。相手は皆、自分よりもろくでもない奴ばかりでした。その理由は明らかです。この、ちんけなプライドを満たしたかった。ただ、それだけで。

 彼のことは愛していました。ええ、愛していましたとも。監禁されても、愛していました。嘘じゃあないですって。ははっ、はははっ、愛とは、何か。わからぬ俺が言う愛。安くて、軽い。でも、それも愛でしょう? 愛に形なんてない。どんなものでも、本人が愛だと言えばそうなる。違いますか? そうでなくては世の中へこんなにたくさんの愛が溢れる訳がない。安易に言葉にだってできやしませんよ。愛、愛。はは、ははははっ。

 ――馬鹿らしくて、涙が出てしまう。


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