episode 2
止まらない運命に

の日の朝、陣平お兄ちゃんはスズを抱き込むようにして眠っていた。それが幸せなのと同時に物凄く罪なもので、スズの胸は張り裂けそうに痛んだ。次、次に起きた時には元に戻ってる。スズは陣平お兄ちゃんの妹。近親相姦なんて間違ってるから、それで良い。
 次に眼が覚めると陣平お兄ちゃんはだらしなく口を開けて、なんとも幸せそうに眠っている。ちらりと確認した時刻は9時で、それなりに良い時間だった。身動きが取れないので、かろうじて動く手で陣平お兄ちゃんの脇腹のあたりに触れる。とんとん、と叩けばレム睡眠だったのかすぐに目を覚ました。

「おはよう、陣平お兄ちゃん」
「え、は、え?」

 普段はクールを絵に描いたような陣平お兄ちゃんだが、家にいる時は可愛げがあってスズを甘やかすシスコン。そんな陣平お兄ちゃんが自分とスズの置かれた状況に戸惑っているのは明確で、スズは思わず苦笑いがこぼれた。

「昨日べろんべろんになった陣平お兄ちゃんをここまで運んだけど、掛け布団の上に寝ちゃったの。仕方ないから私の布団持ってきて、一緒に寝てたの。ちなみに抱きついてるのは陣平お兄ちゃんが勝手にしたことだから。陣平お兄ちゃん、欲求不満?」
「バーロー!あーくそ、少しずつ思い出してきたけど…お前なぁ…。この歳で妹と寝るとか犯罪みてェだろ?」
「そ?仲の良いきょうだいって感じじゃない?でも陣平お兄ちゃんの頭の中では近親相姦とか?イケナイ関係想像してるんだろうね。あー欲求不満は怖い怖い」
「てめぇ…さっきから聞いてりゃ言ってくれるじゃねぇか…」
「事実でしょう?」

 そのまま昨日と同様にくすぐり合いの喧嘩というかじゃれ合いに発展して、それは母が朝食に呼びに来るまで続いた。
 ちなみに言うとだが、スズは兄の呼び方を『お兄ちゃん』から『陣平お兄ちゃん』に変えた。どう頑張ったってお兄ちゃんは取れなかったが、陣平の名前で呼ぶくらい許されるはずだった。

 そんなお正月はすぐに終わって、直後入試が控えていた。この日のために出来ることはした。試験当日、陣平お兄ちゃんからの応援メッセージが来ていて、その返信にスズは終わったらお祝いに服やらなんやらを買って欲しいなんておねだりをしておいた。一瞬で返信が来て、了解、たった二文字でも嬉しかった。携帯の電源を切ってかばんに戻す。ペンケースに唯一ある鉛筆は陣平お兄ちゃんが天神様で買った来てくれたものだ。それをお守りのように消しゴムや予備のシャーペン、シャーペンの芯と共に並べおいてスズは深呼吸をした。

 寒い冬。制服にダッフルコートとマフラーを装着した。愛用のもこもこの手袋は今はダッフルコートのポケットの中だ。でないと受験票を持っていられない。自然と手に力が入って、スズの受験票にはシワがよっている。
 大学の先生の手によって、掲示板に貼ってあった白い紙が剥がされた。食い入るように人ごみの中から見つめて、自分の番号を探す。お願い、あって…!縋るように祈りながら数字を目で追っていく。

「あ、あった!あった!!」

 一方その頃陣平は仕切りに携帯を気にして、いつにも増してタバコの消費が凄まじかった。タバコを吸い終わって、短くなったそれを山盛りの灰皿に押しつける。胸ポケットから箱を取り出してもう一本、と手を伸ばして陣平は舌を打った。タバコはもう空で、イライラを落ち着けるためにも買ってくるかと席を立った時、ピピピっと着信を知らせる電子音が鳴った。弾かれたようにそれを見ると、件名も本文もなく、ただ添付された画像に満面の笑みで受験票と掲示板の文字を指差すスズがいて、陣平は安心しきってどさりと椅子に戻った。

 迎えたお祝いの日。スズは残り着る機会の少ない制服で兄の勤める警視庁まで行った。制服を着ていれば年の差も実感できるし自分の気持ちをセーブできると思ったのだが、正直自信はない。入口の前で待っていると、見慣れた黒の背広が見えてスズは陣平お兄ちゃんの元へ走り出した。
 文字通り飛びついたスズを変な奇声をあげはしたが難なく受け止めた陣平お兄ちゃん。おめでとうと笑って抱きしめ返してくれる。スズの気が治ると今度は腕を組んで歩き出す。さりげなく胸を当てるように意識しているが、陣平お兄ちゃんはどこ吹く風というか無関心というか、全く動じない。それがつまらなくてスズは唇を尖らせる。するとその口を陣平お兄ちゃんが摘んでイタズラする。

「おい松田…お前高校生はないだろう…」

 同僚らしいその人は陣平お兄ちゃんを心底軽蔑した目で見ていた。これはもしや?と思えばその後に、俺は同僚を捕まえたくないぞ、なんて続いてやっぱりと思った。きょうだいだからといって似ているわけじゃない。男女だし、それぞれパーツは似ていてもバランスで印象はだいぶ変わるものだ。同僚にはスズが陣平お兄ちゃんの彼女に見てたという事実が嬉しくて、スズはノリノリで仕返しを始める。

「陣平さん、私頑張ったからご褒美くださいね?お正月みたいに一緒に寝ても良いですか?れ
「スズ、頼むからマジで誤解を招くようなことはやめろ。荻野、こいつは俺の妹の鈴音だ。断じて彼女じゃないから犯罪でもない」

 スズは陣平お兄ちゃんにまた怒られたが、そんなことどうでもよかった。至極楽しそうに笑って組んだ腕はそのままに歩き出した。
 連れてきてもらったのはショッピングモールで大人っぽい服を何着か買ってもらった。陣平お兄ちゃんはまだスズには早いとかからかったが、それがスズの神経を逆なでして余計に欲しくなってしまったのだ。
 その後は前から気になってたイタリアンのお店。生ハムとチーズのおつまみプレートに、チーズフォンデュ、チーズたっぷりのマルゲリータ。それらに舌鼓をうち、スズたちは陣平お兄ちゃんの家に帰った。陣平お兄ちゃんは一人暮らしで、生まれてからずっと実家の一軒家に住んでいたスズとしてはアパートというのは新鮮だった。
 陣平お兄ちゃんは狭いリビングの大きなソファにどっかり身を沈めてスズに風呂を勧めた。ありがたく先に入らせてもらうことにして、スズはカバンに入れていたスキンケア用品と下着を掴む。適当に陣平お兄ちゃんのタンスを漁ってタオルとTシャツを借りてバスルームに引っ込んだ。
 ユニットバスは初めてで、トイレの蓋に着替えなんかを置いてシャワーコックを捻った。熱いシャワーを浴びるのに反比例してスズの頭は冷えていった。これからするのはいけないことだ。でも止められそうにない。陣平お兄ちゃんはスズを嫌いになるだろうか。
 シャワーを止めて曇ってしまった鏡を拭う。そこに映るのは案外大人びたスズだった。もう、大学生になるもんね。スズはボディクリームを塗ったり化粧水や乳液をいつも以上に丁寧に塗り込んだ。この日のためにバイトのお給料で買った大人っぽいけど可愛らしいモスグリーンの下着、彼シャツは萌えるのかと選んだ陣平お兄ちゃんのTシャツ。敢えて下のズボンは持ってこなかった。
 準備万端、さあ行こう。

「お風呂お先〜」
「…お前なぁ…」

 陣平お兄ちゃんはスズの出で立ちに頭を抱えた。そういうのを男に見せるなとか、男はみんな狼だとか、俺だったから良いものの…エトセトラ。シスコンで口うるさいお兄ちゃんだ。

「陣平、お兄ちゃん、黙って」

 呼び捨てにしたかったけど、夕方のからかうようなノリがなくてはさん付けにも出来なくて、結局お兄ちゃんと呼んでしまった。だけどスズは陣平お兄ちゃんの腰をまたぐように向かい合って座った。これで裸なら対面座位だなぁなんて思ったが、残念ながらスズはそんな想像では赤面しない。そのまま陣平お兄ちゃんの唇にキスした。

「好きだよ、陣平お兄ちゃんが好き」
「スズ…」
「嫌いになった?近親相姦とか気持ち悪いよね」

 スズは冷たい笑みを浮かべた。それは狂気に歪んだ犯人の冷徹な笑いに似ていて陣平お兄ちゃんは顔をしかめた。陣平お兄ちゃんはもう一度口付けようとしたスズの肩を押さえて、突き放しはしなかったが受け入れなかった。
 近親相姦はいけないとか、家族愛と勘違いしてないかとか、そういうスズを傷つける言葉こそ言わなかった。それでも返事は拒絶で、陣平お兄ちゃんは逃げるように風呂に立った。

「逃げないでよ」

 スズはソファの横に降ろされたが、すぐに陣平お兄ちゃんの背中に呼びかけた。足を止めたけど振り返れないでいる陣平お兄ちゃんの背中に抱きつく。広い背中におでこをぐりぐり押し付けて、イヤイヤと首を振る。

「スズ…」

 向き合ってくれた陣平お兄ちゃんだったが、その顔を見て後悔した。本気で困った顔で、スズに目も合わせてくれないのだから。後悔したってもう遅い。スズは一歩を踏み出してしまって、もう後には退けない。進むしかないのだ。
 スズは陣平お兄ちゃんの匂いの染み付いたTシャツを脱ぎ捨てた。裸体(とはいっても下着はつけている)を見せるのはいつぶりだろうか。そこそこ年の離れたきょうだいだから陣平お兄ちゃんが警察学校の寮に入って、そのあとも一人暮らしを続けたので陣平お兄ちゃんの知るスズの体つきは幼児のそれだったと思う。しかし今目の前にいるスズはもう女性のそれだ。小ぶりだがしっかりふくらみのある胸、ほっそり自然な曲線でくびれた腰、尻から大腿にかけてもむっちりしていて無垢な色香を秘めていた。

「もう、大人なんだよ」

 そうやって伏せられていた瞳をあげると、陣平お兄ちゃんはたじろいだ。体つきはまだしも、上気した肌に潤んで不安げに揺らぐ瞳、薄く開いたさっきキスをした唇は若々しくピンク色でツヤがある。表情は恋をする女で、純粋に己を欲していた。ただでさえきょうだい揃って美形なのだ。長さで落ち着いたくせ毛のうねりさえ艶やかに思えた。

「陣平、さん」

 さっきとは違ってぎこちなくだがお兄ちゃんと呼ばなかったスズ。言葉を失っている陣平を良いことに、スズは陣平のネクタイを引っ張って顔を近付けさせるとまたキスを贈った。放心していて半開きの唇に舌を入れる。
 陣平はスズを引き離そうとした。それでもスズは陣平の首に腕を回して深いキスをし続ける。陣平の舌が絡むことはなかったが、それでも良かった。スズの気が済んで唇を離すと、陣平は無意識だったのか半歩下がって距離をとった。
 本当はスズは陣平を無理矢理にでも抱いてしまおうと思っていたのだが、距離を取られたのは明らかな拒絶でスズに事実を突きつけた。キスをして想いを告げられただけでも充分ではないか。そう納得させようと胸の中で欲求を抑えつけようとするが、上手くいかなくて鼻の奥がツンとした。

「ごめんね」

 スズは陣平に背を向けて着てきたセーラー服に袖を通した。泣き顔なんて見られたくなかった。背を向けて、顔を俯かせて長い髪で隠した。身支度が整って出していた荷物をリュックにまとめると、すぐにスズは出口を目指した。髪がまだ生乾きで外に出たら気化熱で寒そうだけど、とりあえず一人になりたかった。
 立ち尽くす陣平お兄ちゃんの隣を通る時、陣平お兄ちゃんはお兄ちゃんらしく夜だから、とか言ったけどスズは依然として顔をあげようとは思わなかった。

「一人になりたいの。ちゃんと家に帰るし、このくらいの時間なら塾よりも早いから大丈夫」

 スズは悪者から逃げるようにアパートから転がり出た。真の悪者はスズ自身だというのに。どうしてこんなに胸の中で色々な感情が渦巻いて落ち着かないのだろう。こんな恋なんてしなければ良かった。
 泣き顔で大通りなんて出れるはずもなく、スズは人通りの少ない道を選んで帰途についた。とぼとぼ止まらない涙をぐしぐし拭いながら歩く。家の近くまで来たが、こんな顔ではまだ帰れない。仕方ないのでスズは公園に立ち寄った。夏なら夜遊びをする人がいる公園は、寒い冬とあって誰もいなかった。これ幸いとスズはブランコに座ってきぃこきぃこ小さく揺らした。
 止まらない想いは涙になって流れる。なのにそれは底なしで、尽きることがない。やるせなさを抱えながらスズは寒空の下小さく嗚咽を漏らした。

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