03
 今からおよそ9年前、紫は16歳の少女だった。紫は元々風の国に吸収された土地に住まう民族の生き残りで、赤ん坊の頃木ノ葉の忍である灯火コハネに保護された。その民族には特別な力があるとされていて、三代目や四代目の協力によりその系譜はうずまき一族を汲んでいると判明した。封印術に秀でたうずまき一族 紫の一族は封印を解除することに秀でた能力を持っていた。それを狙った謎の組織によって紫は誘拐された。
 当時紫の能力は一部の人間にしか知らされておらず、その少ない人間が先鋭だった事もあって三代目はそれらの人物に奪還任務を命じた。総指揮は奈良シカク、暗部からはたけカカシとうちはイタチ、紫の元チームメイトのはがねコテツと神月イズモ、医療忍者として灯火コハネと篝火ユリの七名で向かった本拠地。優秀な忍たちと多勢の戦いは熾烈を極めた。紫は無事奪還されたが、紫の恩人灯火コハネは殉職し、篝火ユリは命こそ助かったものの忍に復帰する事は不可能な深手を負った。紫は当然のように自分を責めて、自分の殻に閉じこもってしまった。

「組織は壊滅したかどうか微妙な所でね、また私を狙って来るかもしれなかった。だから私は自ら進んで軟禁される事を選んだの」

 隔離して自分の存在を消し去る。作戦のことで悔いがあったシカクが場所を提供し、三代目火影様 奈良シカク はたけカカシ うちはイタチ。この四名で紫に術式を施して紫の存在は四人以外から消えた。その時四人と紫は約束をしていた。世界が平和になったら迎えに来てね、と。

「イタチが里を抜けてからも私たちは友人だったわ。うちはの悲劇の真相もイタチの葛藤も私は本人から聞かされていたから知っていたしね。ある日突然やって来たイタチは不治の病を抱えていた。こう見えても私は結構優秀な医療忍者でね?彼は"まだ死ねない""サスケにすべてを託すまで延命して欲しい"って言って治療を受けに来たの」

 一人で孤独だった紫。それはイタチもだったのかもしれない。孤独の寂しさを紛らわすように、迫り来る死の恐怖から目を背けるように紫とイタチは求め合った。そこに明確な愛はなかった。ただの慰め合いだったのかもしれない。今となっては感情に名を付ける事は困難だが、イタチはふくれた紫の腹を撫でて新しい命を愛でていたし、愛に似たなにかはあったはずだ。

「みんな私が木ノ葉に戻ることを望んで、尽力してくれた。だけど、怖いの。私がこの里に戻ってしまったら封印した記憶が完全に蘇ってしまう。私は、私は…」

 いつまで経っても成長しない。弱くてちっぽけな16歳の紫のままだ。
 紫は里の入り口の、阿吽の門の前で立ちすくんでいた。当時の紫は大切な人をもう巻き込みたくないと言う、自分勝手な自己満足のために自己犠牲をした。それが最善でも最良でないことも分かっていたけれど、閉じこもってしまう"逃げ"の決断が楽だったのだ。
 きっと記憶の戻ったイズモもコテツも、激怒することだろう。怒られて当然のことをした自覚はある。それでも、どうしても、紫の足は竦んだままで動きそうになかった。

「紫…」

 紫を呼ぶカカシの声は切なさを孕んでいた。そっと細くて小さな肩に手を置き、何となく前へ前へと促す。紫はそれにつられてそろそろと足を進め。漸く門の真下、境界までやって来た。カカシ ナルト サスケ シカマルの四人は先に門の内側に入り、紫と対面して待っている。ぴょん、いい歳こいた大人が何しているんだと言いたくなるだろうが、紫はジャンプして境界の内側に入った。シャボン玉が弾けるようなぱちんという音が、紫の記憶を持つ者たちに聞こえた。

「おかえり、紫」
「ただいま、カカシさん」
「…紫姉ちゃん?」
「…紫姉さん?」

 紫の記憶を持つナルトとサスケは、思い出したのだろう。呆然とした表情で紫を見た。特にナルトは見る見るうちに涙をこれでもかと溜めて、震えだす。
 ナルトは生まれた日に両親を失った。そのナルトを誰が育てたか。それはミナトとクシナの娘であったname#が姉として、母として。幼いナルトを必死に里中の白い目から守り抜いて大切に育てた。それもナルトが5歳になるまでしか続かなかったが、その数年間の思い出はかけがえのないものだったはずだ。
 サスケは紫の事を、兄と仲の良い、兄より年上だけど位は下の人、くらいにしか気に留めていなかった。けれど二人が一緒に居る所はよく見かけたし、兄さん兄さんと煩かったサスケを嗜め、イタチを驚かせようと言って修行に付き合ってくれた優しい姉さんでもあった。

「ごめんね、記憶を奪ってしまって」
「おかえり…おかえりだってばよ……」

 紫は片手でスバルを、余ったもう片方でナルトを抱き寄せた。

「ダメな姉ちゃんでごめんね。寂しい思い、いっぱいさせたね」
「いいんだってばよ。俺、一人じゃなかったって、分かったし…姉ちゃんが帰って来てくれたら、それで良いってばよ」
「サスケもごめんね。修行付き合ってあげるって、約束したのにね。イタチくんのこと、ぎゃふんて言わせるくらい修行するんだったのにね」
「…別に、良い」

 たくさんの思い出が人々の中を駆け巡る。温かいおとうとたちの言葉に胸が熱くなった時、爆音が目の前に舞い降りた。火影室で引き継ぎの激務に追われる中、秘書業務も任せられているはがねコテツと神月イズモだった。二人は憤怒を浮かべて紫の前に立つ。
 紫はナルトを離し、居心地悪そうにしていたシカマルにスバルをそっと預ける。そして二人に向き直る。本当は目を泳がせて、逸らしたかったが、踏みとどまって二人の視線と自分のそれを絡ませた。

「俺たちが何を言いたいか、分かるか…?」

 イズモが怒りを噛み殺したふうに、口を開いた。紫はこくりと頷く。次に走ったのは肩の衝撃だった。コテツが縋り付くように紫の肩を握って、前後に揺らす。

「何で勝手に居なくなった!何で勝手に記憶をいじった!何で俺たちに何も言わない!何で、何で、何でだよ…ッ!俺たちおんなじ班で頑張って来たじゃねぇかよ!仲間じゃねぇのかよ!!」
「本当に、ごめんなさい…」
「おい、コテツ。…でもな、俺もコテツと同じ気持ちだ。俺たちは、そんなに頼りなかったか…?」

 コテツは肩を揺すっていた時から男泣き。イズモも言葉を紡ぐうちに堪えきれなくなってぼろぼろ涙をこぼす。それでもイズモはそれを見られたくなくて、俯いてしまう。紫は申し訳なさに胸を裂かれるようだった。二人につられて泣きながら、ごめんなさいを何度も繰り返す。

「おかえりくらい、言ってあげてもいいんじゃなーい?」

 カカシの言葉に二人は涙を拭っておかえりを言う。紫はあの頃より成長した二人に背伸びして腕を回すと、抱きしめながらただいまを言った。
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