おおかみと次の朝


「今回はまた、酷くやったなリーマス」
「………うん。ちょっと、今日中に授業に戻るのは、無理そうかな」
「それがいいよ。君がこの体を押して授業に出るっていうならインカーセラスするところだ!」
「はは、洒落にならないな。大人しくしているさ」

戯けてみせるジェームズにどうにか笑みを返すと、シリウスがムッとした顔で「寝てろよ」と布団をかぶせてくる。気を紛らわせたいんだ、君たちが授業に行くまでくらいいいだろう?と言えば渋々納得してくれた。
僕の体についた傷があまりに生々しくて怯え気味だったピーターがその後ろからひょっこり顔を覗かせる。傷を見て自分のことのごとく痛がるピーターに少し申し訳なくなった。

「あ、あの、リーマス。「大丈夫だよ」って」
「あ………………わざわざありがとう、ピーター」
「? 何のことだ、ピーター」
「伝言かい? ……………もしかして!」
「僕が読みたいって前から言ってた本をジャックが持ってるって聞いたから借りたかったんだ。そしたらちょうど満月だろう? ピーターに言伝を頼んだんだよ」

ピーターが言ったのは間違いなくリズのことだろう。なぜ嘘をついてまで隠してしまったのかはわからない。にやりとしたジェームズにいやな予感がした、だけじゃないのは、誰より僕がわかっていた。「そ、そうなんだ!」 震える声で返すピーターは相変わらずの大根役者だ。この分だと彼は怪訝そうにしているシリウスにあとで問い詰められるんだろうな。

「……さ、そろそろ行かないと間に合わないんじゃないか? 引き止めて悪かったね」
「お、おう、そうだけど」
「いっ行こう!シリウス!ジェームズ!」

ピーターが慌てたように二人の背を押していくのを、ひらひらと手を振って見送る。憂鬱な気分が彼らと話すことでいくぶんかマシになった。しっかり眠って傷を治すのに専念しようかと布団を持ち上げた時、ジェームズが振り返る。

「ねえリーマス、次は変身術だよ!」
「……? そう」
「いったい今日は何が爆発すると思う? 楽しみだなぁ!」
「!」

それじゃあ、と腕を上げて去っていくジェームズの背中を睨みつける。_______余計なことをまた口走りそうだから、彼女には今会いたくないのに!
スミスの呪文が今日は好調でありますように____いや、偶然今日そんな奇跡が起きるくらいなら、既に彼女は素晴らしい呪文使いになっているはずだから、今日の変身学は、マクゴナガル先生どうかお願いですから座学にしてください!なんて心の中で祈って、眠りについた。なんとなく晴れない心中ではありつつも、体は疲れを訴えている。暗闇に溶けるように意識を手放した。








「………た、………すか!貴女も………ませんね」
「いや、………ても、……ればかりは………」

マダム・ポンフリーと女子生徒の話し声でふと意識が浮上する。のっそり体を起こすとじくじくと新しい傷痕に痛みが走った。「いっ、」小さく悲鳴をあげたのが聞こえたのか、起きた気配を察知したのか。マダムが苦そうな薬をなみなみと注いだゴブレットを持って「起きましたか」と僕の様子を見る。「は、はい」 その奥には、ゴブレットに入った薬を煽るように一気飲みして、苦虫を噛み潰したような顔をしたグリフィンドール生がいて、目があった_____リズだった。

「リーマス、体調よくなった?」
「………あ、ああ。大丈夫だよ」

震える声を誤魔化すように、マダムから受け取った薬を飲み込んだ。苦味に顔を顰める。その様子を見てリズは深く頷いていたから、たぶんさっきの彼女と同じような顔をしていたんだろう。

「それで、リーマス。何か話したいことでもあったの?」

僕のベッドの端に軽く腰掛けながら彼女が言う。どきりと心臓が跳ね、背中を冷や汗が伝った。

「い、や……………その、僕、何か………言ってた?」
「嘘じゃない、って何度も言い訳されたかな。なにー? 私に知られて困ることでもあるの?」

いつもなら、「はは、そんなことないよ」って笑って言ったはずだ。そうしようとした。でも、僕の顔は僕の思った通りには動いてくれなくて、きっと、酷く動揺した顔の僕が、彼女の目には写ったはずだ。固まってしまった唇に音は乗らない。幽霊でも通ったみたいな沈黙が僕らの間を通り抜けた。堪らず目をそらすと、リズは「リーマス?」と僕を呼ぶ。顔を見れなくて下を向いたら、火傷痕のついた足が見えた。

「あの、さ。言いたくないことは言わなくていいんだよ。私たちはただの友達で、隠し事ぜーんぶなくすなんて、それこそむしろ“おかしい”くらいだよ。それに、リーマスは意味のない嘘はつかない、優しいやつだって知ってる」

リズが僕を覗き込む。気遣わしげな動作に、何故だか少し苛立ちを覚えた。

「誰が優しいだって? 僕が? 馬鹿馬鹿しいことを言うのはやめてくれないか。僕は………卑怯で…………臆病な………つまらないやつなんだ……!」
「謙虚も過ぎると失礼だよリーマス。私は興味のない人に話しかけたりなんかしないし、嫌いな人ならなおさら」

咎めるような口調のリズが言う。僕も彼女も事勿れ主義というか、荒事を起こさないタイプだからか、このような空気が流れることはあまりなかった。でも、一度感情的になると中々戻ってこられない。目の前のリズはこちらを病人だと思っているからか、つとめて冷静に話そうとしているのは窺えた_____それでもなんだか、気に食わなかった。どうしてこんなに拘るのか、なにが気にくわないのか、僕にもわからない。

「……君は、僕のこと、知らないから、そう言ってられるんだ」
「知らないのかもね。私はリーマスのこと、体が弱くて、優しくて、勉強はそこそこできて、でも魔法薬学はちょっと苦手で、甘いものが好きで、品行方正な顔してなかなかやることのえげつない私の友達としか知らないからね」

並べ立てられた言葉たちに口を挟む隙もなく、彼女は続ける。

「リーマスが何を後ろめたく思っていようと、私の知るところじゃないよ、当然でしょう? 君が話したこと、君と話して私が感じたことだけが、リーマス・ルーピンについて私が知ってる全てじゃん」

言いたいことを言い切った、と言いたげな顔で彼女はこちらの様子を見た。その瞳には呆気に取られた僕の姿が映っている。

「君は強いね」

それだけ言うのが精一杯だった。

「強くなんかないよ。私のこと、誰よりリーマスが一番「ふつう」だって知ってるはずでしょ」
「ううん、訂正するよ。君は確かにふつうだけど、ここで、ホグワーツで、グリフィンドールで、あまりにも普通でいられるだけの強さがあるんだ」
「なにそれ」
「グリフィンドールだからって、誰もが同じ型にはまった勇猛果敢である必要はない、って、そう言ったのは君だよ」
「うん、まあ、そうだね」
「君はエヴァンズのような子を「強い子」って言うし、僕のことを「優しい」って言ってくれる。同じだよ。僕は、あまりにも「ふつう」な君が、これ以上ないくらい、強くて優しいと思ってしまうんだ」
「ううん、よくわからないけど………褒め言葉としてうけとっておくよ」
「うん、そうして」

君の「ふつう」な強さと優しさが、あまりに僕に染み込むのは、なんでか。
自分の異常性を嫌う僕は、リズの「ふつう」さにこれ以上ないくらい憧れていたのだと、漸く気がついた。
リズと話していると、僕もふつうの、ただの学生になれた気がしていた。