平凡と憧憬


【憧れ】
あこがれること。理想とする物事に強く心が引かれること。

「憧れの説明に“あこがれること”って書かれても困る!!!」

行く当てもなく逃げ出した足で図書室に飛び込んで、マダム・ピンスに睨まれて。(「すみませーん」と肩を竦める羽目になった。) あまりに脳内の整理がつかないので、普段滅多に開きやしない辞書なんか引っ張り出して、言葉の意味を調べた。憧れってなんだ? さっきのリーマスの言葉は、まるで、まるで私のことが好きみたいだ____そう考えてしまうと止まらないのが人のサガというか、私のサガというか。そこに至るまでの会話も、私に対する質問だったみたいな気がしてきて、恥ずかしさがこみ上げてくる。自意識過剰だ、まったくもって自意識過剰だ! わかっているけど、あんなもの、誰だって変に意識してしまうに決まっている! と、どこにもぶつけられない感情を持て余して、辞書に頭から突っ込んだ。そのまま机に顔を伏せる。
周りに人がいなくてよかった。奥まったところに辞書のスペースがあってよかった。奇行に走ったことで逆に落ち着いた。少しだけ冷静になって、考えてみよう。そんな気になった。
理想とする物事に強く心が惹かれること、という意味だと解釈したとして、彼が私を理想に思う点などあるだろうか? 勤勉で、もともと要領もそれなりにいいリーマスは勉学に関して大抵私よりも優れている。他のことだってそうだ。全てにおいて“ふつう”と自他共に認める私なんかより、随分とスペックの高い人間なのである。強いて言うなら、体質的な問題なんだろうか____リーマスは月一ほどの頻度で体調を崩す____しかし、それは何も私個人に「あこがれる」理由になんてなるものか。私だって風邪はひく。頑健な人など他にもいくらでもいる。
ますます煮詰まって来たので、やっぱり聞き間違いだったんじゃないか、という気がしてきた。とすれば、私は質問相手を欲していたリーマスを放って勝手な勘違いで逃げ出したイタい子だ。あれ? そっちの方が自然なんじゃないか? そう思ったら途端にリーマスに申し訳なくなって、勢いよく辞書から頭を離す。勢いをつけすぎて、ほぼ座った席から飛び跳ねて立ったようになった。「ぐっ!?」____何者かにぶつかった。振り返ると、真っ黒な頭が片手に本を持って、もう片手は背中を抑えて蹲っている。

「……えっと、度々ごめん、ブラック」
「〜〜〜ッ! お前、サティ、か!」

私の後頭部に激突されたらしい彼の背中はかなり痛むみたいだ。大声をあげたいのを図書室ということでかなり頑張って抑えているのが窺える。

「くそっ、寝てる奴が急に飛び上がるなんて思わねーよ」
「寝てな……ああいや、ごめん」
「寝てない? 本に頭を突っ込んで突っ伏してた奴が? なんの冗談だ?」

小馬鹿にしたように鼻で笑うのも、痛みに悶えた時に浮かんだらしい生理的な涙が視界に映っちゃあまり腹も立たない。彼はその長い腕で私がさっきまで頭を突っ込んでいた辞書をさらう。

「あっ」
「……辞書? 課題をやってるでもない、どうして?」
「う、うーん、言葉の意味を調べてて……?」
「へえ」

元より私にも、私のしていることにも興味がないのだろう彼はすぐに辞書を手離した。

「……あっ! ねえ」
「なんだよ」
「ブラックってさ、リーマスと仲良いよね!」
「当たり前だろ、親友だ!」
「そう、親友! そんじょそこらの友達なんかとは違う、特別だ! つまり、私なんかよりよっぽどリーマスのことはわかる、そうでしょう!?」
「お、おう! そうだとも!」

なんてわかりやすいやつだ。リーマスとずば抜けて仲が良いと強調すれば、得意げな顔を隠しもしない。それでもやっぱり綺麗なかんばせに自信の溢れた表情は似合ってしまうから困りものだ。ポッターやペティグリューならこうはいかなかっただろうな_____ポッターはのらりくらりとかわしてみせるだろうし、ペティグリューは自尊心が足りない。

「そう、つまり……ブラックにならリーマスの憧れるものがどんなものか、わかるんじゃない?」
「憧れるもの? リーマスが?」
「うん」
「それは、たぶん、」
「たぶん?」
「いや、なんでもねえ。急になんなんだよ」
「アー……いや、リーマスくらいできた人が、憧れるものとか、人、ってどんなだろうなって」
「で、本人はなんて?」
「ええっと、その」
「言えよ。気になるだろ」
「なんで聞いてないとは思わないの」
「お前が友だちのリーマスより先に大して接点のねえ俺にそんな質問をする意味がわからない」
「……その通りで」

これだから頭の良いやつはズルい。そう嘆息した時、急にこちらへ向かってくる足音が耳についた。背の高い本棚の森を抜けて、誰かがこちらへ来るのかと思って一瞬私は会話を切ったが、その気配が近づいてくる様子はない。

「リーマスは、私のこと憧れなんだってさ」

ブラックが片眉を吊り上げるのが見える。私もそう思う、意味がわからないと暗に示してやることしかできない。

「お前を?」
「らしい、よ……さすがに、あんな真面目な顔で嘘とか冗談いわないだろうし。なんだってこんな、“ふつう”の奴に憧れたりなんかするんだろう?」
「っ、あ」
「え? 何か、ひっかかった?」
「いや_______いや、ふつうだから、かもしれないと思っただけだ。リーマスは、自分のこと、その……異常だと思っている節が、あるから」

竹を割ったような発言の多いブラックにしては珍しく、言葉を選んだ言い方だった。口の中でモゴモゴしている。 何かまだ言いたいことがありそうな雰囲気なので言葉を待つ。「あいつは_____ 」

「やあリズ、よかった! ここにいたんだね」
「リーマス」
「シリウスと、って珍しい組み合わせだね? でも、二人ともとってもいいやつだから、きっと仲良く……できるよ」
「リーマス?」

どうした、なんか変だぞ。そう言うブラックにも、もちろん名前を呼んだ私にも目を合わせることなく、リーマスはすぐに踵を返そうとした。ほぼ反射で椅子から身を乗り出しリーマスの腕を掴む。リーマスは歩き始めているから、乗り出した私は引っ張られるように椅子から転げ落ちた。椅子の倒れる大きな音と一緒に。
「何事ですか!」とマダム・ピンスが飛んできて、惚けている私たち3人をまとめて図書室の外に追い出した。