平凡と悩み


様子のおかしいリーマスに愛の告白のような文言を聞かされてしばらく____いや、彼にはやはり他意はなさそうだったから愛の告白でもなんでもないのだが_____私はなんとなくリーマスの前でどんな顔をしていいのかわからずにいた。有体に言うと、微妙に避けていた。とはいえもともと積極的に関わりに行かなければさして喋る仲でもなかったので、3年以前に戻ったくらいだ。最近の関与率が高すぎただけなのだ。リーマスの淹れた紅茶だとか、一緒に食べる甘いお菓子だとか、彼の穏やかな語り口だとか、ゆったりとした時間の流れるリーマスとの時間が嫌いになったわけではない。私はすっかり彼のことを大事な友人と思っていたから、単に気持ちの整理をつけたかっただけだった。そんな彼はまた体調を崩して今医務室にいるようだから、帰ってくる頃には普通に喋ろうと思っている。
さて、そんな平穏な日常を取り戻した私に舞い込んできたのが、我が親友アメリアの妙な雰囲気だ。何か思い悩んでいるように見えるのに、私には決して言おうとしない。もともと人の隠し事に頭を突っ込んでいく方ではないし、彼女も詮索されたくはないようであったから放置していたが、常に一緒にいる相手の調子が悪いというのも気持ちが悪いのだ。いつ頃からだったろうかと思いだしても、強いていうなら先週の木曜あたりだったかな、と私にも心当たりがない。薬草学があって、占い学で水晶玉を覗いて、闇の魔術に対する防衛術の授業ではレポートが出た。人狼の特徴と見分け方について、羊皮紙二巻。アメリアは座学に関しては熱心で優秀な生徒であるから____勿論呪文及び実技に関しても熱心なんだけど、優秀ではない_____そんな彼女に引っ張られてレポートだけは終わるのが早い。授業があったその日には文献を押さえて(私は気が早いと思うのだが、彼女曰く「良い文献は早い者勝ちなのよ!」)、さっそく読み始めていたのだったか。なんて事のない、いつものアメリアだ。この日を境になんだか不安げな顔をし始めたのは確かなのに、肝心の原因は全くもって思い当たらない。
かくいう彼女は今も尚私の側で物思いにふけっている。「おーい、どうしたの」「ううん、なんにも」このやりとりも、既に今日だけで3回はやっていた。
談話室のソファに陣取って、私は件の人狼のレポート用の本を読んでいた。アメリアが読んだ後のを借りるのがいつものパターンだ。アメリアはぼう、と暖炉の火を眺めては溜息をつき、時々私と私の手元に視線を下す。(「どうしたのってば」「ううん、なんにも」)アメリアったら、次は本の中の人狼に恋でもしたの?なんて揶揄うことを考えたが、どうせろくな反応がないことは明らかだった。

「ねえリズ、そういえばあなた最近、ルーピンと話してるところ見ないわね」
「え? あ、ああ……今、体調崩して医務室にいるみたいだから」
「そ、う。医務室に………!」

次の瞬間彼女は勢いよく立ち上がる。「えっ?」思わず肩を揺らす私にも御構い無しに、アメリアは一直線に歩き出し、小柄な少年____ピーター・ペティグリューの腕をひっつかんで談話室から焦ったように飛び出した。
ぽかん、と取り残されたのは何も私だけではない。ペティグリューと話していたポッターとブラックも、何が起きたんだと言わんばかりの顔で談話室の出口を見つめていた。「……えっと、」ポッターがこちらに視線をやる。それに気づいたブラックが、説明しろと言いたげな目で見てくる。私だって知りたい。そんな気持ちを込めて、肩をすくめてやった。レポートのことは一旦後だ。本を閉じて、膝の上に置いておく。

「いやあ……驚いたな。ピーターも隅に置けないじゃないか。スミスはなかなかの美人だぞ!」
「明らかにそんな雰囲気じゃなかっただろ」
「わかってるさシリウス! ……と、いうわけで。何か知らないのかい、サティ?」
「知らない、って意思表示したじゃん」
「直前は? 何話してた?」
「ええ……? ろくな会話してないよ。そもそも、アメリアは最近なーんかぼーっと考えっぱなしだったからね」
「へえ? なんのことで?」
「知らないよ。聞いてないんだもの」
「はぁ? 気にならねーのかよ」
「気になるよ。でも別に、本人が話したくないことをほじくり出す理由ないでしょ」
「女の子ってそういう秘密共有するの好きじゃないか!」
「意外とそういうのって男子の方がしてない? 女ってこう、不可侵条約的なさ」
「なるほどなぁ」
「……おい、話ズレてんぞ。さっき、直前に、話した、内容は!」
「だから、ろくな会話は………そうだね、さっきは突然「最近リーマスと喋ってないね」って言われたかな」
「リーマスなら医務室だぞ」
「うん、知ってる。そう言ったすぐ後に、急にペティグリュー捕まえて飛び出して行ったの」

ポッターとブラックが顔を見合わせる。アイコンタクトでもしているのか、しばらく眉間にしわを寄せて見つめあった後____ポッターがはた、と私の膝の上に視線を落とした。

「サティ、それは?」
「これ? ほら、闇の魔術に対する防衛術のさ、レポートの。アメリアが借りたやつ借りてんの」

パラリと読んでいたページを開いて見せる。恐ろしい唸り声を響かせる人狼が、満月をバックに写真の中で吼えていた。初めてこのページを開いたときは、私もアメリアもあまりの恐ろしい形相に「ぎゃっ!」と可愛くない悲鳴を上げたものだ。

「あ、ああ、そうか。そういえば、人狼のことについてレポートが出てたっけ」
「そ、羊皮紙二巻。アメリアはこういうのに関してはすごく熱心だから、もう書き始めてるんだよね。私はそのおこぼれに預かってるわけ」

にっこり。不自然な、引きつった笑顔のポッターがそこにはいた。後ろには、滅多にお目にかかれない焦ったような、困ったような顔のブラック。

「ね、サティ。僕ら、このあとリーマスのお見舞いに行こうと思ってたんだけど、ピーターを回収していかないといけないから、先に行ってこれ、リーマスに届けてくれないかい?」
「え? や、リーマスもポッターたちから受け取った方が喜ぶと思うし、ていうかもう大丈夫なの?」
「……様子見だからもしかしたら追い返されるかもしれねーけど、頼む」
「そうそう! スミスがピーターをどこまで連れてったか、いつ戻ってくるかわからないから僕らはいつ行けるかわからないし。予定が悪くなければ頼むよ、サティ」

珍しくブラックがこちらをまっすぐ見て、ポッターが真面目な表情で話すものだから、思わず首を縦に振った。これ、と差し出されたチョコレートの入った袋はそこそこの重量だ。それから私は急かすように談話室から押し出された。



医務室に私が着くと、マダム・ポンフリーはキッと目を吊り上げて「またですか!?」と声を上げる。「ちっ、違います! リーマスが寝てるって聞いて!」つられて大きくなりそうな声を必死に抑えて弁解すると、胡乱げな目をしつつもベッドの位置を教えてくれた。
カーテンをめくったら、青白い顔をしたリーマスが寝ていた。会っていなかった数日のうちに、また顔に新しい傷をこさえているようだ。せっかく綺麗な顔をしているというのに勿体無い。要領が悪いわけではないが生傷の絶えない男である。
マダムからメモを借りて書き置きして帰ってもいいけれど、リーマスの顔をしっかり見るのも久しぶりだから、もう少しここにいたい気がした。側に椅子を寄せて腰掛けて、チョコレートの袋はベッドサイドに置いて、また、本を読み進めることにした。リーマスの呼吸音と、ページをめくる音。時々マダムがものを移動したり、動き回ったりする音が響く。
ゆるり、と気配が動く。視界の端の鳶色が身じろぎした。リーマスがぼうっと瞳を開く。

「…………リズ?」
「うん。ごめん、起こしちゃった?」
「ん、んー……なんで、ここに」
「ポッター達が野暮用中だから、代わりにこれ届けに来たの。後から顔出すってさ」
「! チョコがいっぱい!」
「うんうんよかったね」

疲れた顔が一変して幼い子どものように輝かくリーマスを見て、私も少し頬が緩んだ。「ありがとう!」と私にまでお礼を言って、早速手をつける。

「ごめんね、わざわざ」
「いやいや、どうせ談話室にいてもこれ読むくらいしかすることなかったしね。久しぶりにリーマスの顔見れて、話せてよかった」
「……ええと、それ、」
「ほら、人狼のレポートの。あ、まだ期限まではぜーんぜん余裕あるから気にしなくていいよ」
「ああ…………そうだったね。忘れるところだったよ」
「寝込んでる間くらいレポート忘れたって咎められないよ!」
「そう、だといいなぁ。……ねえ、リズ」
「うん?」

リーマスがチョコレートを取る手を止めた。かさり、と包み紙が1つ床に落ちたので、それを拾ってまた腰を落ち着ける。彼の目は、まっすぐにこちらを見ていた。

「リズはさ、やっぱり、人狼って怖い?」
「そうだね、怖いよ」
「……そっか」
「そもそも私、魔法生物すら苦手だし。凶暴な生き物が怖くないわけないじゃん?」

いや、魔法生物どころか、マグル界の動物も結構怖いかな。でーっかい犬とかさ!
何を隠そう昔近所の大型犬に噛まれたもので、それ以来怖そうな動物は苦手なのだった。(アメリアには「苦手なものまで普通」と鼻で笑われた)そんな理由で魔法生物飼育学だけは避けて通ったほどだ。
そんな風に言うと、リーマスはぱちくりと目を瞬かせたあと、「リズらしいや」とどこか寂しげに笑って見せた。リーマスは動物が好きだろうか。人狼が怖くないのだろうか。なんとなく、聞けなかった。四年も一緒にいたけれど、私たちの間には一定の距離があった。踏み込んだ好き嫌いも、価値観も、話したことなんてなかった。私はリーマスについて、知らないことばっかりだった。そのことが、なんだか急に壁となって私たちの間に立ち塞がっているような感じがした。