おおかみと“いたずら”


満月まではまだもう少しあるけれど、僕はいまいちなにかをする気分になれなかった。体調が悪いんじゃない。少し、気分が落ち込んでいるだけだ。婦人に合言葉を告げて、グリフィンドールの談話室へ入る。人は疎らだ。あまり誰かと顔を合わせたいような状態でもなかったから、これ幸いと部屋に向かおうとして_____やめた。悪戯道具に溢れた、今日の計画書が散らかったあの部屋に、今は入りたくない。読みかけの本を取りに行くのも億劫だ。ぐるぐると腹の底で気持ち悪い何かが渦巻いている。ソファの方に、見慣れた頭を見つけた。リズだ。大抵一緒にいるスミスは最近フリットウィック先生やらマクゴナガル先生に呪文の教えを乞うていた様子を見たから、多分今のような空き時間は特訓に行っているのだろう。
もしここにいたのがエヴァンズだったら、僕は迷わず逃げ出して図書館の方に行っただろう。_____ああ、ダメだな。中庭のそばを通らなくちゃいけない。なんにせよ、どこかへ避難しただろうが、今中庭で起きている騒ぎを彼女が聞きつけないはずはない。自嘲するようにすこし笑みを零して、僕は無言でリズの向かいに腰掛ける。僕は、どこまでも卑怯な奴だ。

「ポッターたちなら中庭にいたよ」

読んでいる途中であろう本から目を離すこともせず、リズは告げる。

「……知ってるよ」
「ああ、なるほど。紅茶出す?」

たいして美味しくないけど、と付け足して、席を立とうとする彼女を引き止める。

「敵わないな」
「いーよ、友達じゃん。私もあれは見てて気分良くないし、親友のリーマスなら尚更でしょ」
「僕は狡いね。君がそう言ってくれると思って、ここに来たんだ。本当は、」
「私はグリフィンドールだし、よその寮のことどうとも思ってないけどさ、あくまで組み分け帽の言うことなんだから、全員が全員、同じ型にはまった勇猛果敢である必要ないと思うよ」
「……」
「エヴァンズは確かに正しくて勇気のある強い子だよ。あの二人……とまあ、時々ペティグリューのやってることも間違ってるだろうね」
「止めないといけないことはわかってるんだ。友人、だから、こそ。でも僕は」
「怖い?」

率直な問いに思わず目を見開く。そうだ、その通りだ。僕は明らかに度を越した悪戯に対して、立ち向かう勇気はなかった。スリザリン生たちが、セブルス・スネイプが苦しそうにしていたって、止めやしなかった。いつも、みんなの後ろで、自分は悪くないみたいな顔して。

「…………怖い。愛想を尽かされるのが、離れていかれるのが」
「そんなもんだよ。私も、ブラック過激派ファンクラブの友人とかいるけど、あの子たちがブラックに近寄るハエとやらになにしてるのか聞いたことも、止めたこともないもん」

意外だ、と思った。それこそリズは、割と目立たない部類の生徒だろう。地味というよりは、大衆にまぎれるといったほうが正しい。そんな派手な子が友だちにいたのか、と思ったが、そうか。彼女の普通さを際立たせているのは、確かにそういう目立つ友人たちなのだろう。………前に、リズから「悪戯仕掛け人に混ざってると人畜無害そうに見えるけど、リーマスだって大概いたずら好きの良い性格した少年やってるよね」と言われたことを思い出した。同じなのだろう、僕も、君も。いや、決定的すぎる違いはある、けど、そんなことは彼女が知る由もない。

「ま、リーマスは優しいから迷うんだろうね。好きなだけ迷えばいいんじゃない?」

優しくなんかない、と口を動かそうとして、やめた。すこし細められたリズの瞳を前に、僕はなにも言えなくなってしまった。威圧感があるとか、何かを強制させる力があるとか、そんなことではない。漠然とした感覚で、うまく言葉にできないが、何故だかこれ以上自分を卑下する_____これは僕にとっては事実を言っているだけだとしても______ということが憚られた。彼女の優しげな、哀しげな表情が僕をそうさせた。リズの暖かな光を湛えた目から、僕の心にもその温もりが移り住んできたような不思議な心地がした。そして、なんだか少し、気恥ずかしくなった。その瞳に映されることが。

「君の、なんていうか………そういう、あっけらかんとしたところ、とても落ち着くよ」

少しの沈黙の後、僕が捻り出した一言はなんとも間が抜けていた。いつかは、この気持ちにうまく言葉をあてがうことができるようになるのだろうか。まだ子どもの僕には、わからないだけなのだろうか。しかして今の僕は、彼女と話したことで凪いだ心象のことについて、礼を言うこともできそうにない。目の前で「褒めてる?」と複雑そうな顔をしたリズに、今は笑ってこう言うだけだ。


「褒めてるよ、とってもね」