『花咲く前に』(4年目)
毎日同じ時間に水をあげ、よく日光を浴びせて。
例え物言わぬ花だとしても、毎日丹精を込めて世話をしていれば自然と愛着も沸く。それはアスヒも同じで。
掌に乗る程度の小さな鉢植え。その中でようやっと蕾をつけた花はとても可愛らしかった。
どんな花を咲かせるのだろうと期待するアスヒは、今日も水をあげ、彼女の部屋で唯一地上からの光が届く窓際に置いた。
その時、部屋の扉がノックもなしに開いた。
突然のことに驚き、咄嗟にペーパーナイフを握って振り返るアスヒ。
だが、扉の近くにいたのは怪訝そうな顔をしたクロコダイルだった。
ふうと息を吐いたアスヒは、握ってしまったペーパーナイフを机に置き、主君に対して無害だという微笑みを浮かべる。
着替え中だったらどうするんだ。と内心小さく愚痴るアスヒだったが、相手が主君ゆえに口答えは出来ない。
ただ微笑みを浮かべたアスヒは上品にスカートの端を少し持ち上げ、深々と頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。…如何なさいましたか?」
「何を隠した?」
問いには詰問で返された。
一瞬向けてしまった殺気を咎められると思っていたが、どうやら違うようだ。
きょとんとしたアスヒだったが、次に今まで触れていたものを思い出して、彼に背中を向けて小さな鉢植えを手に持った。
「隠したわけじゃないですけれども…、」
微笑みを浮かべながらアスヒは幾分嬉しそうにクロコダイルへと蕾を見せた。
「市場に行った時に種を頂いたので、育ててみようと思いまして。
この前ようやく蕾が出来たのです。可愛いでしょう?」
「市場で?」
クロコダイルの声は何故か酷く不機嫌そうなものだった。
花を育てていただけで怒られるとは思ってないアスヒは、近づいてきたクロコダイルを疑問符を浮かべながら見上げていた。
そして不意にクロコダイルの右手が撫でるように蕾に翳された。
「あ」
次の瞬間、花は一気に枯れ切って、端からサラサラと砂になっていった。
ぱちくりと目を瞬かせるアスヒが砂になった蕾を見下ろす。
あまりにも素早い出来事ゆえに、彼女はただ黙って見ていることしかできなかった。
「男から花なんぞ贈られてんじゃねぇよ」
クロコダイルは不機嫌そうに踵を返し、去り際に苛々と言葉を吐き捨てた。
言葉を聞いてゆっくりと思考が戻ってきたアスヒが、小さく、だが隠すことなく溜息をつく。
その溜息を聞きつけて殺気すら込めて振り返ったクロコダイルを、彼女は怯えることなく呆れた表情で見上げた。
「…。私の言葉が悪かったんですね」
土や砂だけになった植木鉢を机に置き、アスヒは言葉を続ける。
「これは市場に来ていた踊り子に頂いたんですよ。
無くした髪飾りを一緒に探してあげたお礼として。
そうですね、最近は男性の踊り子もいらっしゃるそうですが、その方はとても美しい『女性』の踊り子でしたわ」
一気に言葉を言い切ったアスヒはじぃとこちらを見ているクロコダイルを見上げて、少しだけ頬を膨らます。
「それでもご不満?」
丹精込めて育てた花を一瞬で砂にされたアスヒ。彼女は不満げにクロコダイルを見上げ続けていたが、クロコダイルは悪びれた顔をすることもなく、1度だけ鼻をならして部屋を出て行った。
溜息をついて机に置いた植木鉢を見るアスヒ。
植木鉢の中は変わらず砂と土しか残っていない。
あのクロコダイルが、アスヒが『男』から何かを貰ったということで怒りを見せるとは思わなかった。
その行動は決して好意なんてものから来てるのではなく、ただの所有物に対する独占欲の現れなのだろうが。
アスヒはそこではたと思い至って、部屋を飛び出しクロコダイルの背中を探した。
「クロコダイル様! 何かご用事があったのでは?」
大切にしていた花を枯らされてしまったわけだが、彼女にとって1番は花などではなく、主であるクロコダイルだ。
本当は大した怒りすらも覚えていないアスヒは、見つけたクロコダイルの背中を追いかけた。
†††
それから数日間。植木鉢には何も植えられないまま、アスヒの机に置かれていた。
小さな植木鉢で特段邪魔にならなかったし、地下にあるこの屋敷から上まで捨てに行くのが面倒だったのもある。
また何か買ってきて植えてもいいなと思っていたアスヒ。
ある朝、目覚めた時に土だけが入った植木鉢の上に置かれた袋詰めの種を見て、彼女は酷く驚くこととなった。
「………。珍しい」
送り主が誰かを察したアスヒは思わずそう言葉を零した。
「少しは悪いと思ったんでしょうかねぇ」
種を見つめながら、これを置いていったであろう主君の、その「らしくない」行動に笑みが溢れる。
そしてその次にムスと表情を変えた。
「でも普通、真夜中の女の子の部屋にノックもなしに入るかしら?」
不満をひとつ零したアスヒは、いつも以上に上機嫌でメイド服に着替え始めた。
(花咲く前に)