『グラスを空にして02』

「貴方様との晩酌は嫌いじゃありませんわ。私が嫌なのはこの洋服です」

告げられた言葉にクロコダイルは器用に片眉だけ上げてアスヒを見る。
視線を受けたアスヒは真っ直ぐに彼を見つめ返してから口を開いた。

「私はメイド。貴方様の女にはなりません。なりえません」

ドレスからのぞく白い肌。露出の高い服を着て酌をするだなんて、クロコダイルに媚びる女達と何も変わらないではないか。
アスヒはそんな品のない女達とは一緒にはなりたくなかった。同じにはされたくはなかった。

面食らったように瞬きをしているクロコダイルは、次にグラスに残っていたワインを一気にあおった。彼女の考えは、クロコダイルにはやはり理解できなかった。

「くだらねぇ。服1つで」
「……私もそう思いますわ。ですが、貴方様が思っているよりも私はメイド服に誇りを持っているようです」

苦笑と共に告げたアスヒは指先でスカートの端を弾いた。
クロコダイルはそのスカートの裾から伸びる白い肌を見た。それは確かに魅力的ではあった。

「てめぇじゃ遊ばねぇよ」

葉巻に手を伸ばしたクロコダイルに、アスヒが身体を起こし、慣れたように火をつける。
煙を吐き出して、ちらりとアスヒを見ると、彼女は再びこてりとクロコダイルに寄り添っていた。

不機嫌そうにしながらも、アスヒはクロコダイルから離れようとはしない。クロコダイルはやっとあることに気が付いて、短く笑う。

葉巻の煙をふぅとアスヒに吐きつけると、アスヒは不服そうな目でクロコダイルを睨むだけだった。
呆れたように、そしてどこか楽しそうにクロコダイルが口を開く。

「酔ってやがんな?」

アスヒは返事をしない。が、様子を見れば彼女が酔いからくる睡魔を耐えていることがよくわかった。

「ここで寝るんじゃねぇよ」

先ほどの会話のこともある。クロコダイルはアスヒに回していた腕を外して、背もたれから身を起こす。
いちいち気を使わなくてはならないのは確かに面倒だったが、アスヒの力を考えればそれくらいの手間はかけてやってもいい。

ゆっくりとした瞬きを繰り返すアスヒは、深く黙り込む。
本当に眠たくなってしまったのだろう。クロコダイルは再び呆れたようにアスヒをちらりと見たあと、ボトルを持って立ち上がった。

放っておけば勝手に眠るだろうし、帰りたくなったら帰るだろう。

案の定、クロコダイルが立ち上がると、アスヒは耐え兼ねるようにぱたりとソファに倒れ、片側にある腕置きに頭を乗せて、目を閉じていた。

目を閉じたままの彼女の口だけが動く。

「気分が優れませんわ…」
「不貞腐れながら飲むからだ」

鼻で笑ってクロコダイルはボトルの底をアスヒの額に当てる。冷たいボトルが心地良いのか、小さな呻き声をあげるアスヒ。
くだらなさにクロコダイルがまた笑うと、アスヒもいつのまにか口元に笑みを浮かべていた。

クロコダイルがまたじとりと彼女の顔を見つめる。やがてボトルを離して、背を向けたところで彼女から囁くような声が後ろから聞こえた。

「………」

クロコダイルはその囁きが聞こえなかったフリをして寝室へと入っていく。

ボトルに直接口をつけて飲み、ベットに腰掛けると自然と舌打ちが零れた。


†††


目を覚ますと、肌色の背中が見えて、尋常じゃないほど驚いたアスヒは、悲鳴すら上げることなくただ息を飲んだ。

そして瞬時に昨日のことを思い出す。

昨日は確か、高価ではあるが娼婦のようなドレスを着ることになって、それがなんだか無性にムカついて、苛立ったまま酒を飲んでたら、悪酔いをしてしまって。

ソファに、そうだ。昨日は確かにソファで眠ったはずなのだ。それがこんなふうにクロコダイルの背中を見ながら起きるだなんて。
服装も記憶にないうちに、ドレスの上からクロコダイルのYシャツを羽織っていた。クロコダイルがわざわざ羽織らせたのだろうか。そんな、馬鹿な。

(頭が痛い)

それが2日酔いなのかなんなのかわからないまま、ゆっくりと身を起こして、ベッドの上で正座する。
上半身裸の主君を覗き込むようにして見ると、彼は未だに目を閉じていた。

静かな溜息を零したアスヒは、自分の身体をぎゅうと抱きしめる。
肌寒いアラバスタの朝。すぐ近くにあるぬくもりに手を伸ばしたいのを堪えて、深呼吸をした彼女はベッドから立ち上がった。

「起きんのか」

急に聞こえてきたクロコダイルの声に、アスヒの動きがぴたりと止まる。
振り返ると、クロコダイルが寝返りをうってこちらを見ていた。金色の瞳が射るようにアスヒを見つめており、思わずアスヒはぱちくりと瞬きをしてしまった。

クロコダイルはじとりとアスヒを見つめたまま、口を開く。

「早いな」
「…仕事が、ありますので」

返した言葉が少し硬い。いつもの調子に戻そうと仕事用の微笑みを向けると、クロコダイルは不意に呆れたような顔を見せた。

「てめぇ、意外と頑固だよな」

アスヒが疑問の視線を向けるとクロコダイルは溜息をついて、再びアスヒに背を向けた。

「まだ寝る。朝食はいらねぇ」
「…。かしこまりました」

疑問符を抱えたままのアスヒだったが、メイドとしての命令を与えられて、幾分いつもの調子を取り戻す。

「…ありがとうございました」

一応、礼だけ彼の背中に告げて、頭を下げる。寝室を抜けて自室に戻り、メイド服に着替える。
思わずそのまま着てきてしまったクロコダイルのYシャツを綺麗に畳む。

綺麗に洗濯をして、あとでこっそりと戻しておこう。

何事もなかったかのように。今まで通りになるように。


(グラスを空にして)

prev  next

- 63 / 77 -
back